むりむりちゃん日記

私が孤独なのは私のせいではない

つかまえたしっぽのこと

今ハイなだけのすごく変な感想かもしれなくて後から読んだらむなしくなるかもしれないけど、大事な感覚のしっぽをつかまえたかもしれないから、忘れないために書いておきます。

 意志を持つとは

 

 最近ずっと、正確には3月のお話会*1からずっと、ひとつのある流れの中にあるような気がしている。

自分で意志を持ってやりたいことを考え、その実現のために行動する という。

働いていた時だってちゃんと意志を持ってやっていると思っていたんだけど、それはまた全然違ったんだなー。

当時は「やりたい」と思うことにしていたというか。嫌な中でも「やりたい」方向になんとか工夫して変えていたというか。それはそれで全然悪いことではなく。

 

ただ、結婚式並みに(何度も言う 笑)、完全に自分だけがとにかくやりたくて周りを巻き込んでまでもやる、という究極の自己満足 をやり通したのは、人生で初めての経験だったんじゃないか!?

 

自問自答のコーナー(しばらくおつきあいください。)
  • (それだけ、「自己満足の追求」が眉をひそめられる傾向にある国ジャパンだとも言えるし、それを内面化してきた自分というのも発見するし、それは同時に無意識に他人にも強いてきたことであるとも言える。……さんざんだなあ、おい。)

  • (つまり、人は、結婚式をするにあたって初めて究極の自己満足を発揮し実現させるっていうわけなのかも。それはそれでいい機会なのかも。)
  • (でもそれなら【初めての自己満足の発現と意識化と実現=結婚式】、それ【自分の意志の発現】をもっと意識すべきだ。
  • (そのこと自体を祝福する! ぐらいの勢いで。あ、だから結婚式って盛大なの? ……ちがう!
  • (つまり言いたいのは、それぐらい普段ゾンビってことなんだけど)、
  • べつに結婚式が最初で最後で唯一の自己満の実現の機会とかじゃなくていいはずだよな~
  • つまりみんなもっと自分の自己満足=自分の意志の発現と意識化をはっきりさせて、ことあるごとに実行させながら生きていたら楽しそうなのに。

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神社にねこいた。

 

気を取り直して……

 お話会のことを考えると、

そのために動いた経験が今につながっているんです~。

 

・意志を持つとはどういうことか? についての触感みたいなもの。

・そのためには、自分で動かなければいけないんだという苦い失敗と実感。

・意志を持って生きていく流れの中にいると、自分の生活のすべてがそれにつながっているのだという不思議な感覚。

・〈例〉行きたいところに行ったらそれ以上のものを得た。会いたい人に会っていたらその上思いがけない出会いにも遭遇した*2

・つまり、「やりたい」と思って動いている人の流れに沿うように、周りのムードが動いているような錯覚さえしてくるぜ。

 

とりわけ、新しい部屋と引っ越し、京都に通うこと、新しいことが楽しみで、そこに関わっている人のことを考えると楽しくて、ひとりじゃないこともうれしい。変だな。こんなこと今までなかったことだな。

 

 よく聞かれるんです~

 最近新しい人に会うと、 「先生を辞めるの、勇気いりませんでしたか?」とか「公務員辞めるなんて、親御さん心配したでしょう?」と言われる。

私も逆の立場だったら同じことを聞いていたかもしれない。(ホントに?)

少なくとも、私の元同僚のほとんどの人たちは、公務員辞めるなんて気はさらさらなさそうだった。

若い人は、採用試験に受かったらそこでゴールみたいな顔して、講師の先生たちのことを、「あの人はまだ受かってないから」と言って一段低く見ている感じだった。

年配の人たちは最初から公務員みたいな顔していたし、朝も夜も休日もいつも学校にいて学校と一体化していた。

 

公務員は安定職らしい。「腐っても公務員」っていうらしい。部屋を借りるにも苦労なくて最強らしい。そのうえさらに教員だったら信用があって無敵、みたい。50代になったら月収70~80万らしい。そりゃ辞めんわな。

 

でも、そんなに無敵な公務員なのに、不安そうに見える。

たとえば辞めるのを怖がったりするのってなんか変だなあと思う(これは本当に最近の気付き)。

「安定で安心で無敵」なのに、なんか恐れてる。倒産も辞めさせられることもないって自分たちで吹聴しているくせに、「辞めるなんておそろしい!」って私に言ってくるなんて(私に言ってきたのは公務員たちじゃないけど)、すごくそのことが不安で、縛られているっていうことなんじゃないか。それって全然自由じゃなくて不幸じゃないか、って現在無収入の私は思う。……変かな? 

だってそれって、「安定で安心で無敵」なのに、お金と将来の心配をしている っていうことでしょう? お金や将来の心配しないでいいための「安定で安心で無敵」だったはずじゃないのかな。それなのに、全然精神的に安定で安心で無敵じゃない。それ(お金や将来)を失ったら……っていう恐怖にずっと駆られてる。それらを持っている(と信じている)はずなのに、それらを失ったらどうしようという不安をずっと抱えてる。大変すぎる。

そうでなくとも公務員はなんやかんや縛りがきつくて(よく知らんけど。市民の目?)、そのうえ教員となれば「言動に注意せよ」の無言の圧力があって、特に今の時代に政権批判とかしたら逮捕されそうな社会の雰囲気で、自由がないのに、そのうえ持ってるようで持ってないかもしれない「安定と安心と無敵」を疑いながら生きていくって、なんなのじゃ……。

ゾンビちゃん

 つまりそれは、自分の意志どころか、自分っていうものが何か、ぜんぜんわからなくなる流れの中に身を置くということだ。そもそもあいまいであやふやで意志なんてない自分(←経験者は語る。)なんか、社会やお金やシステムという強固に形作られたものの前に、最初から完敗するだろう。そうして人はしだいにシステムに自分を順応させて、組織と自分が一体化して顔が学校(ヤダ!!)みたいになっていく。そういうことなんだなー。

 

だってだって…

 お金なんて働いたらいいだけで、そんなのは難しいことじゃない。

お金がないことは、致命的な問題じゃない。

問題は、自分の意志がない ってことだ。自分がどうやって生きていくか、意志を持って生きるという感覚を知らずに生きていることだ。それは、永遠に不安から逃れられない生き方。

 

 

私に、「先生辞めるの、勇気いりませんでしたか?」とか「公務員辞めるなんて親御さん心配したでしょう?」と聞いてくる人の方が実は不安で、自由じゃなくて、問題を抱えてる。だから私に聞いてくるのかもしれない。何かお告げを聞きたくて? 笑 

なーんてな。私だってわからんよ。働きたいし。

 

でも、日増しに自由な気持ちになっている私は楽しくてたまらない。

こうしていろんなことに気付くことや、いろんな人に出会うこと。

今まで見ていたのに見えていなかったものを発見すること。

新しいこと。

春が楽しいってはじめてよ~。

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*1:「その後」は考察です~

 

murimurichan.hatenablog.com

 

 

murimurichan.hatenablog.com

 

*2:

 

murimurichan.hatenablog.com