むりむりちゃん日記

私が孤独なのは私のせいではない

友達との約束

辞めるとき、元同僚友達とある約束をした。

それは、「人を馬鹿にしないこと」。(ひでえな)

 

私は、人の取り繕っていることや真実を見抜いてしまうタイプで、

彼は、頭の回転が速く対応する力がある人。

それぞれタイプは違うけど、旧態依然すぎる体質の学校と同僚に辟易し、グチを言い合うことが時々あった。べつにわれわれがデキル人というわけではなく(彼はそうだけど)、自分の意見を持っていただけだと思うけど、自分と職場が一体化しているように語ったり、「先生」ということと自分自身が同化しちゃったりしていない人は超レアケース。

だから、職場で浮いたり、嫌われたりする(自業自得かー)。

私は彼の「嫌われ〇〇(自分の名前)」という自虐的自称が好きだった。

 

私も彼も、そういう傾向(人や周囲を馬鹿にする)にある自分のことを知っているから、未来の話をしたときにそんな約束をした。というか、させられた。

私は自分にそれが達成できるとは全然思っていなかったけど、「約束やで!」と言われたから半信半疑でしたがった。達成しなくても、別に近くにいるわけじゃないからバレないだろうしいいかな、と思って。

 

ところが最近、この教え(約束)が生きているなあと思う場面にちょくちょく出会うようになった。

 

馬鹿にする傾向の自分については無反省ゆえに変わってないと思うけど(反省しろよ)、人と話す内容が、そもそも不本意である「仕事について」ではないために、それほど苛立たずに受け流すことができるようになった。

たとえば、そこにいたる理由が私とは違っても、結論が同意できるものであるならばまあいいか、と思える。相手を観察してみると、どうやら中身は理解されていないみたいだな~と見抜いてしまったとしても、私はここにそれ(理由や中身の理解)を求めて来ているわけではないのだからまあいいか、とすることができる。

それは、すべての勝負(理解、分かち合い)をこの目の前の1ヶ所でしようと思っていないからだともいえると思う。

つまり、 依存先を増やす=自立。(熊谷晋一郎さんのお言葉)ですね。

 

さっきタイの友達とやり取りをしていて、彼女が指摘した「寄生」という言葉はピッタリだと思う。

私は仕事に「寄生」していたし、唯一無二の理解者の親友に「寄生」していたし、母や妹に「寄生」していた。

それしかないんだから、そこで結果を出さなきゃ生き甲斐的に困るし、それなら私が懸けたぶんだけ返してくれないと困る。もちろん最低限の私の世話もしてくれ。それは言うまでもないこと。

 

といった姿勢。ヤバい。ハラスメント一直線。

そのうえ、そのタイの友達いわく、

「一方で、『寄生』されている側も、主がいないと生きていくことができない。ふふふ。」

す・る・ど・い。

ザ・共依存

これ、実家滞留時の私と母の関係ね。

 

人を馬鹿にしないことの実行はまだまだこれからなんだけど、そうなりがちな原因と対策が少しつかめたからいい気がしている。

  • この人(場所、こと)だ! という一極集中! → ほどよく距離を置くこと。
  • 1ヶ所に命を懸ける! → 複数の依存先を持っていること

この生き方は、気楽でごきげんで自由です~

ブログもそのひとつなので、ゆるっとこれからもどうぞお願いします~。📚

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タイの友達が持ってきてくれたキットで作ったグリーンカレーカノムチーン。うまい!からい! うまい~