羽生意識で取りにいく
フェルナンデスが一位で羽生結弦が二位だったとき、悔しがる羽生結弦を抱き寄せてな、「僕の中ではいつも君がチャンピオンだよ」って言う、そんな伝説があってな、日本勢以外は興味ないって人も、ぜひ、応援、ね、ンオーーー!!!!!!ぁ゛あ゛あ゛あ゛;;;;;;;;;;;;;;;; pic.twitter.com/3CCQs1983q
— えり@我が推しに幸あれ (@Rabi_4510471) 2018年2月16日
日課で救いの、読むだけツイッターで知ったフィギュアスケート男子のフェルナンデス選手と羽生選手が好きになって、
生まれて初めてフィギュアを録画した(ヨガ行った)。
帰って観たらいろいろおもしろかった!
思っていた通り全然私はフィギュアに興味がなくて(というかオリンピックに興味がなくて)、みんなは「すごい」と言うけれど、私は演技を見てもきっと彼(羽生)が他の選手よりも良いかどうかなんてわからないだろうなーという予測はほとんど当たっていて、
ネットの速報で金メダルの結果を先に知ってしまったから彼がいちばんよく見える・・・
という域を出ない(つまりみんなすごい)。
だがしかし、まったく見慣れていない私にも明らかにわかるその気迫というか、
なんかそういう技術とか演技とかじゃなくてにじみ出る(っていうかにじみ出す)ものや、漂う(っていうか漂わす)ものが他の選手たちと比べてどうしても違っていた。
最初は(っていうか今ももちろん!)すごいもんだなーと思ってみていて、その鬼気迫る様子っていうか彼から垂れ流されている何かが実際に審査の基準と適合して点数につながり、優勝できて木津に、じゃなくて本当に置かったね、じゃなくて本当によかったね、って思っていた(なんだか指がひっかっかるんです)。
みんなも感動していて他の選手たちもたたえていて、日本の全員が望んで夢見ていたことが無事に叶ったのはよかった、逃していたら国民的悲劇を全員で味わって古典として語り継ぐみたいな感じになるとこだったよねドーハ的な、よく知らんけど。
とりあえず取るべき(らしい)人がとってよかったんじゃないか、という単なる感想で、無事でよかったみたいな感じと、私なんて完全に通りすがりのファンで部外者なのにほんのりうれしく思ってしまうのはかなりずうずうしくて臆面の無いことだなあやっぱり恥ずかしいなあと思ったりした。
セレモニーや表彰式を見ながら、この三人がそれぞれどういう人なのかを考えるのはかなり楽しかった。
(とにかく誰も悪口なんて言わないし私だって言いたくないのだ。)
2日経って、フィギュア(っていうかオリンピック全体)を見ていないみさきさんに説明しながら、やっぱり羽生君の感じがなんだかとにかくものすごかったっていうことを言いたくてたまらず、玉造の喫茶店から大阪城公園の梅園に着くまでずっと そのことを話し続けた。
つまり彼のそのものすごい形相とか、熱量とか、力の具合とかの感じで優勝をさらっていったんだよねってことで、その感じが他を圧倒して寄せ付けなかった。
むしろ、「どうぞどうぞどうぞ!!」ってダチョウ倶楽部みたいにして譲り、
みんながこぞってセンターの道を開けるっていうかそういうことな気がした。
すいません全然わかってないのに勝手なこと言って、っていうかそもそも発言して。技術とかジャンプの精度とかなんかそういうミリ単位のことがもちろん言うまでもなく土台にはあるのでしょうけどそれは私にはさっぱりわからんのでプロにおまかせして、こっちは単なるファーストインプレッションです~。
とにかく彼の過剰なまでの入り込み方とか鬼気とかがなんかもうすごくて、フィギュアを見慣れない私には恥ずかしくてそれこそちょっと見ていられなくなりそうなぎりぎりのラインで、つまり完璧と下品は紙一重なのかもしれないとか思ったのでした(ハイ言ったー)。
梅園にいたから、そのとき。咲き始めのころで、まだ白梅の額(っていうのかな?)の緑がずっと目立っていたり、つぼみがたくさんついているような様子だったから、想像してみて、この前の羽生君は今目の前にある梅のようなものとは対極の、咲き誇りまくった桜の絢爛豪華な様子、むしろ盛りを過ぎて少し開きすぎな、
見て見て見て私を見て絶対見て綺麗でしょ?ねえすごく綺麗でしょ?いちばんでしょ?あなたの好きなように咲いたのこういう感じでしょ?
ってむしろ開ききって全身で訴えてくるような貪婪な感じ。
が、だらだらと漏れていた。
それが、「気迫」とか「会場の雰囲気を一変させた」とか翻訳して言われていたところのもう一方の姿。じゃないかな。なんつって。
もちろん表現の仕方はさまざまでそこから抱く印象もそれぞれ、感想も好き好きだし、私のこの穿った見方が怒られそうでもうやめるけど、悪口を言っているわけではなくて、つまり、こういう人が優勝するんだなあと思ったのでした。
羽生は金メダルを取りに行ってた。そんなにも欲しいというなら……と他の人たちがちょっと引き気味に道を開けるぐらい。そうやって取りに行ったものは手に入るんだな。人は彼ほどまでに金メダルをほしくないし(ほしいか・・・)、あんなに見境なくなれない。芸っていうものがどういうものかはともあれ、ああして見境なく取りに行く人こそがまさに取るんだなということがしみじみわかった出来事だった。
そして、年賀状でも友達との会話でもグループでも1対1でもタイムラインのコメントでも友達宛の手紙でも、その中でいちばん面白い人でありたくていつも見境なく優勝を狙ってる私は、羽生君みたいだなと。(すぐ自分と思う病。)
みさきさんいわく、人は私みたいに考えてないし怒ってないし優勝も狙ってないって。
そんなに考えてないしとにかく怒ってないし優勝狙ってないんだって。
そうなの?
じゃあ私、金メダル取りに行くわ。
っていうことで、本当にちゃんと書くことを始めることを改めて決定したのでした。(何度目?)
- 目の前の人を笑わすっていうところにとどまらず、もっと活動の場を広げて。
- 羽生意識で金メダル狙いに行ったらいいんだなってこと。
- 作品を書くこと。応募すること。
- 同時にブログもやってみること。
やるしかないらしい。
でも。
本物の芸とは何か? っていうので、『風姿花伝』読みたい今。
大阪城公園の梅。
可憐に咲いてるだけなのに、 撮影者(私)が羽生意識で寄りすぎ。