蛍光ピンクじゃないともうムリなんです!💛
お洒落でかわいい人だけじゃなくて、持ち物がかわいい人もナンパしたい。
ドトールで通路を挟んだ向かいの席に座った女の子のペンケースが、ダリとフリーダカーロとピカソの顔の絵だった。
高校生じゃないかな。古典やってる。
ノースリーブのサマーニットはパープルで大人っぽくて、めちゃハイセンス。
ショートパンツもよく似合っていた。
普通の高校生っぽくない。外国人なのかな?
宇多田ヒカルに似てる。
話しかけたい。話きいてみたい。そのペンケース、どこで買ったの?
その天才芸術家達のイラストをどうしても自分のものにしたくて、パソコン作業そっちのけで紙を広げ、この距離で慌てて模写する。
愛と尊敬をこめてデフォルメされた天才達の顔を、凝視しながら、才能っていうのはもうすでに本人がその姿で体現しているんだなと思う。特別にアピールしているわけでもなくて、最初から普通なんかではいられないのだ。
ペンケースの反対側の面は……エルトンジョン? 急に歌手? しかも現代の?
エルトンジョンの、イエロー寄りの金髪に薄いブルーのサングラス、赤のボーダーのシャツ、その上赤い唇ってすごいよなと感嘆しながら色も塗った。
カラフルがかわいい。絶妙な色の組み合わせ。この作品は色が大事で魅力的なのだと、だんだんわかってくる。それが彼らの顔と雰囲気を表している。色とりどりの人たち。
以前だったら、「いや、そうは言ってもこのファッション、エルトンジョンだからいいようなものの、その他の単なる一般人がやったとしたら悲惨なことになりまっせ」と思っていた。
世界的歌手でゲイで、数々のスキャンダラスな噂さえ、むしろ華を添えるぐらいの勢いで許されるのは、彼が天才だからだ。奇抜なファッションはむしろそのイメージに箔をつけているように感じた。
でも、もう今は、どんなに奇抜な格好でも、したい人がしたらいいのだと思っている。その辺のおじさんでも、おじいさんでも、したければいしたらいいのだ。
そう言ったとしても、誰もしないだけだ。
(安冨先生のことは一瞬忘れてください。書いたら結局先生礼讃になってしまう!笑)
それは、イエローに近い金髪も赤い唇も、おじさんのファッションとしては普通じゃなくて変だからだ。普通のおじさんはそんな格好をしない。だから、みんなしない。
他に誰もしないから、エルトンジョンだけがしているということになっている。
他のおじさん達はみんな、なぜかおじさんの格好をしてる。
その格好がしたいからということでもたぶんなくて、ただそういうことになっているからおじさんたちは一様に白いワイシャツと黒かグレーのズボンを履いている。ネクタイを首からぶら下げて。
……ねえそれなんで?
もし私がおじさんだったとしたら絶望する。あんなテンションの上がらない格好はしたくないし、何着もクローゼットに吊りたくない。
化粧しないで外に出るのとか無理。
おじさんは、自分がおじさんの服を着ることを、いつかどこかで了承したり、諦めて納得したりしたのだろうか?
録画していた、『かんさい熱視線‟自分らしさを着る”~性別を越えるファッション~』(NHK)という番組を観た。
「性別にとらわれないファッション」がテーマで、それを実践している人々のことを、東大で行われたファッションショーの映像を交えながら伝えていた。
スタジオのゲストは「ボーダレス男子」として紹介されたぺえさんだった。
両サイドには、おじさんのアナウンサーと、ジェンダーが専門の女性助教授。
性別と年齢と職業という、すべての記号が示すイメージに完全に一致した装いに身を包み、そのことに何の疑問も無さそうな二人に挟まれたぺえさんは一人異色で、異彩を放っていた。その場所だけ蛍光ピンクに発光して見えたのはぺえさんの髪型や洋服のせいではないと思う。存在自体の色。
番組では、ファッションショーやその出演者に密着したVTRを流した後、スタジオでぺえさんに、「女装」する理由を根掘り葉掘り聞いていた。散々聞いた後、おじさんアナウンサーが仰々しく「L・G・B・T」と書いたフリップを取り出してきて、どや顔で解説し始めた。
……え? まだそんなことしてるの?
っていうか、結局それって、VTRの人々の「女装」したいという欲求は、特別な「障害」を持つ人々の、特別な性質ですってこと?
だから普通の人々もちゃんと番組を観て理解して、苦しんでいるその人たちを異端視しないようにしましょうね! っていう教育? のつもり? だったの?
……まさか!!
しかもそれ、いま隣にいるぺえさんのことも暗にわかりやすいサンプルとして示しているってことだよね? 楽しく会話しているようでありながらそんなこと考えていたんだね……こわっ!!
でも、まるっきりそうなのだった。男性の身体に生まれてきたのに女性の格好がしたくて、してみたらとても心地よくて安心するのだという「限られた特別な人々」を、「普通の人たち」にわかりやすく紹介する番組なのだった。
はあ?
そんなんだからいつまでも、考え方や状況、環境の異なる人同士の断絶が埋まらないんだって。つい、「支援」とか言っちゃうんだって。単なる「紹介」は、無意識に区別を促進し、差別化を際立たせるだけなんだよ。その上、スタートを間違えたまま、知識だけを得て「理解」し「ケア」しているツモリ人間が増えて問題が余計ややこしくなるんだってば!
‟してないつもりde差別する“人、めっちゃいっぱいいるんだよ~。
この前私が辞めた学校の校長は、ある業務を拒否した私を校内の小部屋に閉じ込めて、人権学習の授業案を他クラスの分も含めて作らせようとしたもん、私が「人権係」だからっていう理由だけで。
「私の人権を侵害しながら人権学習の指導案作らせるとか皮肉っすか? ウケるんですけど~」って言ったら、
「先生(私)の人権は侵害していませんっっっ!!」て怒られたもん真面目な顔で。
「人権侵害なんて言語道断です!」って真面目に信じながら何も行動していないか、加害している人は多い。人権守ってるつもりマン。こわいよ。そして厄介。
……と考えていたら、真面目な顔をしてピンク色のぺえさんを挟む普通の二人というその構図が、どうにも変でたまらないものに見えてきた。
普通すぎるんじゃ……何も考えてない。
あまりにも素朴で凡庸すぎるんだよ……少しは考えてくれ。泣。
このアナウンサーのおじさんは、一体いつ自分がおじさんだと決めて、今のこのおじさんの格好におさまっているんだろう。本当にこれでいいと思っているのかな? こんな何色とも形容しがたいような格好で? ぺえさんのことを「普通じゃないもの」としてじろじろ見てるの? 「理解者」の顔で? マジで?
っていうか、そもそもいつおじさんの格好を了承したとか、そんな意識もないままに、ただおじさんの格好をしているんじゃないだろうか。無意識で。
そんな程度の意識でしか臨んでないくせに、ピンクの髪にさらに色の違う二色のお団子を付けて薄ピンクのユニコーンのTシャツを着たぺえさん(かわいい❤)を、
「そういう人もいて、自分はそれを認めている」的視線で理解者気取ってじろじろ見るのとか、相当ズレまくってると思う。
どっちかというと変なのは、おじさんに生まれて何の疑問もなくおじさんの格好して平気でいられるあなたの方なんだけど。考えたり悩んだり、意識を持ったり意志を持ったりすることもなく、また、自分に合う恰好を研究したり自分をよく見せようとする努力もせずにただぼーっとしていることが「普通」だなんて、もはや完全に……くるっているぜ!!
ぺえさんはめちゃくちゃかわいかった。自分に似合うメイクを完璧にしていたし、髪型も服も全部ぺえさんだった。「普通」の人々が、彼らを「心と身体の不一致」とかいう、自分に理解できる文脈に矮小化して、問題化して、理解者を気取るなんて馬鹿だ。彼らは(私も)ただ、自分が似合う、自分がテンションが上がるかわいいと思う格好を研究して実行しているだけ。それには性別も職業も年齢も何も関係ない。与えられた立場や記号に安住せず、自分で考え、実践している人たちが、そのことを体現しているだけだ。
そしてそれがその人を表していく。名前になる。ファッション=その人の記号になる。ペンケースに描かれた名だたる天才達のように。
自分を表すのは、年齢でも職業でも性別でもないのだと思う。
実際、私はぺえさんの両脇にいた二人の名前も顔も全然覚えていない。性格も考え方も全然知らない。だって見ていても全然わからなかったから。
≪追記≫
ペンケースに描かれた天才は、エルトンジョンじゃなくてアンディーウォーホルだった。
ネットで調べたら(ナンパは……できない!)、MoMAの商品らしい。
道理でお洒落なはずだ。
それで、この並びでダリの横にぺえさんが来ても……よくない!?!!!