むりむりちゃん日記

私が孤独なのは私のせいではない

【緊急 助けてください!!】「大人が子どもを守ること」

今学校で起きている問題で、ある一人の高校生が苦しんでいます。

どうか、一緒に助けていただけませんか?

 

zubunogakkou.hatenablog.com

 

 

ずぶちゃんにNさんの話を聴いているうちに、しだいに私もNさんと直接やりとりをするようになりました。

 

Nさんと私はたぶんとてもよく似ていて、嘘がつけなくて、嫌なものは嫌で、無理なものは無理というタイプ。

別に相手を困らせたいわけではなくて、その場の(意図不明な)ルールや同調的な空気を重んじることよりも、自分の頭で考え判断する。

とりわけ、自分や他者が尊重されていないと感じると反発し、それが表にもでてしまう。

私もよく言われたけど(そして言われてもちっとも嬉しくないけど)、不器用で、誤解されやすく、損をするタイプ。本当は優しくて賢くてすばらしい人なのに、というやつ。笑。

 

昨日、Nさんが無事に卒業するためにはどうしたらいいか、一緒に考えている中で、私が感じたことを書きます。

 

ずぶちゃんの文章にあった通り、昨日はNさんは精神的に限界で、誰とも話したくない、話したら爆発してしまう、という状態だった。

私のメールに対しても、いつもの明るさや丁寧さ、ユーモアはなく、絶望を淡々と返してきた。

 

私は、Nさんが言う「死ぬこと」が怖かった。

だから、その場所(今の学校)でなくて、自分に合う場所でさえあれば、どれだけでも楽しく、いきいきと生きていくことができると思ってそれを言ったけど、

(他の世界で)「いきいき」生きていくことなど今の彼女には夢の世界すぎて、珍しく反発のような言葉が返ってきた。

 

切羽詰まっている相手に、「今の場所から逃げた方がいい」とか「世界は広い」という賢しらな助言は夢すぎて、におわせただけで苛立たせたのだとわかった。

私は自分を恥じた。

言った言葉は、全部自分に跳ね返ってくる。

 

かといって、死ぬことから目を逸らさせたくて出した空元気や不用意な提案を、

今さら謝るのも、相手を傷つけることがわかってできなかった。

 

全方位的に不安で苛立っている時は、味方になってくれるひとに対してこそ、その無力を責めるなどして当たってしまう。

他の、いくらでも存在しているまったくの傍観者には、逆に夢見たりするファンタジー。現実逃避。

現実が苛烈だからこそ、味方の精一杯の(でも無力な)尽力や寄り添いが、現状が八方ふさがりであることを知らしめてくるように感じ、ありがたく思う余裕を失って、無関係を決め込む傍観者に無限の期待を寄せる裏切り……、

みたいなことが私はたくさんあった。

急にヒーロー現れるのでは……とかさ。

 

瀕死の時には具体的なことしか耳に入ってこないものだ。

夢みたいな理想や敵の批判を言い募られても意味がない。

分析も共感も、余裕があるから聞けることだった。

第一、それはいつだって悦に入って滔々と説いている者の自己満足と発散にすぎない。

聴かされている方は、気を遣って、ただ聴いてくれているだけだ。

そのことを思い知らされた気がした。

 

私は、自分と同じ、たぶんそっくりな女の子の危機に対してまったく打つ手がなかった。

何を言おうとしても言う前から反論はまっさきに自分の中で浮かび、自分に返って来て、メールの文字を打っては消すということを繰り返していたら気持ち悪くなった。

自分=言葉だと、私は自分のことを思っていたらしい。

そのくせ、何も言葉が出てこない。

自分なんて、なんもないな、と思った。

 

何を言っても気休めでしかなく、挙げてみた具体的な対策はそこが知れていた。私の経験の少なさから出てくるなけなしの解決策はまったく役に立たなかった。

 

でも、私によく似た女の子は、私ではなかった。

これまで何度も人に話し、考え、実行してきた、学校に何とかとどまり卒業までやり過ごすための様々な対策を、もう何人目かになる私に話すことを厭わず、おそらく自問自答も入れたら何万回目かになるような、私の馬鹿みたいな質問にも答えていた。

機嫌の悪い自分を引きずらず、会話をして、自分でできることは自分でしようとしていた。

 

このやりとりに緊張し、あらゆる覚悟が試されているのは私の方だった。

 

今までの自分や、どうしても譲れなかったこと、これからも大事にしたいと思っていることを、今ここでちゃんと守ることができるのか。

言うだけじゃなくて、実際に行動に移せるのか。

 

子どもを守るっていうのは、こんなにも命懸けのことなのか。

下手でも、持ち駒が無くても、無力を突きつけられてもぐちゃぐちゃでぼろぼろでも、さらけ出してやるしかないんだ。怖い。

でも、そうじゃないとNさんは死んでしまう。

これは彼女の問題じゃなくて、まるっきり私の問題だった。

 

この日に私が提案したのは主に病院の診断書のことだった。

診断書が出れば、少しは考慮されるのではないかと思った。

勤めていた高校では、三年生になってからでも長期で休む生徒が時々いたから。それでも卒業できていたから。

しかし、診断書は、高校という出席が重視される世界ではほとんど効力が無いらしい。

休みは、総授業時間数の1/3しか認められない。少しの休暇や、心身を休める時間すら許されていない。

(後から、何人かの現役高校教師の友人にも確かめたけど、その基準はおおむねどの学校でも変わらないようだった。)

 

退学を勧めるのは簡単だ。そのほうが彼女にとって良いと私も思う。

自分を損なったり傷つけようとする危険な場所からは、いち早く逃げるのが一番いい。

 

でも、大人が子どもを守るための行動を何もしないままでいることが、さらに、そしてもっとも彼女を傷つけているのだと私は思う。

間違ったことや、大人自身も嫌だと思っていることを、「でもこれが社会だから」と教え、子どもに諦めさせ、従わせようとしたり、傍観しているのは子どもを殺すことだと思う。

結果はどうであったとしても、大人が「おかしい」と言って一緒に戦ってくれることが彼女を救う。これからの希望になる。

信頼できる大人がいるということが、彼女にとってもっとも大事なことなのだと思う。たぶん、彼女だけじゃなくて、みんなにとって。

 

彼女は私に何度も、「こんな見ず知らずの高校生のためにいっぱい考えてくれて助けてくれてありがとう」と言った。

私は何もできてないのに。

でも、一人じゃないことが大事で、救いなのだと思う。

あなたは間違ってないと言ってくれる人がいることが救いになるのだと思う。

 

どうか、彼女が希望を持って生きることができるように、一緒に、おかしいことに対して「おかしい」と声をあげてもらえませんか。

 

もし賛同していただけるならば、上に添付しているずぶちゃんの日記と共に、この文章を広めることに協力してくださったら、とてもありがたいです。

どうぞよろしくお願いします。

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