むりむりちゃん日記

私が孤独なのは私のせいではない

私が孤独なのは私のせいではない

◇この一年間で変わったこと◇ 

 

・ほぼ一年前に臨月の友達と会った時、「第二子で、初めての男の子だ」と言っていた。それで、「男の子を育てるのってどうしたらいいんだろう? 何に気を付けたらいいんだろう?」と聞かれた。彼女は、私のことを、けっこう何でも知っている人だと思っているふしがある人で、私は期待に応えなければと心中意気込みながらも大したことが思いつけず、歯がゆく感じたということを思い出した。

ただ、男だの女だのという性別を(しかも生まれる前から)親が決定して社会的性差に合わせて育てることの恐ろしさというか、危険性というか、加害性というか疑問というか、そういうことを言いたかったけど、理系で理科の先生である彼女はたぶん日ごろからそういうことに触れていないだろうし、急に言っても困らせるというか、引かれるというか、大変難しいことだ! と敬遠される気がした。

彼女を恐れさせたり、単なる部外者(私)による現状批判ということでは駄目で、それは意味なく母を孤立させるだけだから、そのための具体策や、『一緒にやろう!』という提案でなければ言う意味がない とも感じた。

例えば無責任に、しかし広い話題の一つとして、いわゆる一般の「男の子らしい」子育て(ってそもそもどんな?)への違和感(というか「女の子らしい」子育てに対しても同じ)を私が言ったとて、果たしてどこまで言ったらいいのか、そもそもたぶんそんなことを言う人は一般社会にいなさすぎて伝わらないな、と思って控えた結果、

「色は緑がいいかもね……なんとなく、男とか女とかどっちつかずな感じで。みたいな……なーんて」という、曖昧極まりない、しかも緑とかテンプレの! ことをモゴモゴ言って終わるという踏み込まなさで終わった。

だ っ て 押 し 付 け た く は な い ん だ YO!!

今だったら、言いたいことがいっぱいあって、まず、

・「男の人が実感しえない、男性優位にできている日本社会で、いかに女性を加害せずに生きるかについて、親子共に学びながら育てること」をオススメするし、

・ぜひ一緒に取り組みたいと手を挙げる。

これは、ジェンダーにとらわれないことを目指す生き方や育て方とおなじぐらい大事。

大事なのは、人を加害しないこと。誰かを加害していないか常に点検し、反省すること。そして、被害に遭っている人を守ること。

でも、それは、親がどれぐらい本気で知りたいと思っているかによるんだよなーと思う。

子どものいない私がひとりで叫んでいてもあまり意味はなくて、無責任で、断絶していくだけ。

来てくれたら行きたいけど、そもそも来てくれることがほとんどない(それだけ育児に必死)。件の友人とも、その後一回だけしか会っていないし、連絡も取れていない。

来てくれないことについて、彼女を責めることはできない。存在を知らなければ、「来る」という発想は持てない。そもそも、二人の子育てに追われて何かを考える余裕はないのだと思う。

f:id:murimurichan:20181016172603j:plain

◇この一年間で変わったこと(続き)

・よくもわるくも、彼我の差、世の中と自分の距離がみえてしまった。

・手紙はそうそう書けない……よっぽど「伝わる」と確信できる人に対してでないと、もう書けない。そして一般の人(普段文章を書かない人、読まない人)には、残念ながらほとんど伝わらない。同じ「伝わらない」のなら、まだオープンな場(ブログやTwitter)で出すかセミオープンの場(内輪のくらぶ)で出す方がマシ。という見極めがついてしまった。

これは悲しいことだ。知らなければよかった、わからなければよかったことがいっぱいある。さみしい。「伝わっているだろう」、「伝わるはずだ」と信じて疑わずにいたときのほうが幸せだったなあ。

だ っ て ほ と ん ど い な い !!!

「友達」にはいない……なのかなあ? 世の中にいない、気がする。だから引きこもるんだよね。

 

私が孤独なのは私のせいではない。