むりむりちゃん日記

私が孤独なのは私のせいではない

地震のあと②

今日は一日予定を早めてヨガに行った。誰かと会いたかったし、好きな先生と一緒にいたかったから。

 

昨夜は、生まれて初めて靴を枕元に置くとか、外した眼鏡をちゃんとケースに入れて置いておくとか、長袖を近くに置いておくとかして寝た。

すぐに余震があって起きて、震度何とか知りたくないけどただ怖いからテレビをつけたらオードリーの若林君とアナウンサーが喋っていることが全然わからなかった。

 

朝も余震で起きた。

ヨガも間に合うか不安だし、出かけるときの装備がいまいちわからないままだし、やめちゃおうかと思ったけど、新しい部屋に用事があったから出かけた。

 

やっぱり何をしていても不安だった。

電車の中で、友達のLINEで送られてきた、「今後この地域に限らず日本のどこでも大地震が起きることはもう決まっているのだ」という記事を読んだ。

記事では地震学者が笛を準備することを勧めていた。

家具は絶対に固定しなくちゃだめらしい。

家がなくなったら、命、生活、財産のすべてを失う恐れがあるらしい。

私は何もしていない。こわい。こわすぎる。

 

返信に、今日の私の行動の予定を送る。万が一のことを考えたのか、現実的な動向が文字になっていたら安心するためか、自分でもわからなかった。

 

ヨガの先生はいつも通りで、美人でただみとれた。

身体のどこかに緊張があると頭も緊張しちゃってダメで、頭の中を静かに保ちリラックスすることがヨガの理想、という言葉がいつも以上に強く響いた。

 

新しい部屋では、今後の細かい予定を整理して手帳に書きこんだ。

しなければいけないことが全然進んでいなくて焦るけど、日付の横にまとまっているのを見ると少しだけ安心した。あとは考えずに、この通りにしていくだけ。

 

電気屋さんに行って懐中電灯と携帯充電器を探した。

朝、愛知県に住む妹にLINEしたら妹は、「ラジオと電灯とアラームと時計とケータイを充電できるのがセットになっているやつ」を持っていると言っていた。

なにそれ。しかも電池じゃなくて、自分でぐるんぐるん回して発電させて使うらしい。

なんなのそのものすごいやつ。

びっくりして聞くと、友達の結婚式の引き出物ギフトで選んだらしい。

すご! かしこ!! 

そっか~引き出物ギフトってそうやって使うのか~

結婚式ってそれもらうために行くのか~~。

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去年の夏、妹と香川に行った。妹はやさしくてかわいいのです~

 

あこがれて、私も一目散にその一体型のすごいやつに向かって店員さんをつかまえる。示されたのは、妹のとほぼ同じ機能がついている上にさらに笛もついているすごいやつだった。

笛! これだ! と決めそうになったとき、「お値段9,800円です」と言われて飛び上がる。高くない? しかも特に売れてもいなさそう。なんで? 

 

保留にして妹に電話した。

昨夜の余震の恐怖と枕元に置いたグッズの報告、いつも不安なこと、笛も重要でこれには付いていることなど、脈絡なく一気に喋り尽くした私に、

妹は「高いねえ~。ネットで見たらもう少し安そうだけど。もちろんメーカー品じゃないけどね。う~ん」と言っている。

実は私もこの一瞬前にネットで調べたら数千円台で商品を見つけたのだということと、でもそれだと今夜に間に合わない、届くまで待てるかどうかわからない、となおも言い募ると、妹は「そうだよね、うん」と聞いて、それからぽつりと、「私も改めて非常袋の点検とか使い方とか確認したけど徹底的にしたわけじゃないんだ。やっぱり距離があって、どうしても二の次っていうか、必死じゃないっていうかそういうふうになっちゃってる。今聞いてて思ったけど、やっぱり違うんだね。昨日の揺れを経験した人の不安とか現実感は、全然違う。」と言った。

それは、どうしても違ってしまうことへの切なさややるせなさ、あるいは、どうにもできない空白をただ言うことしかできないみたいな感じだった。私たちは、自分たちの間にあるその距離と空白にしばらく茫然として、そのことにショックを受けた。

困ったらいつも頼って、何でもすぐ連絡し合っていた妹と、この不安が一緒じゃないなんて。それどころか分かり合うことができないなんて。それもただの不安じゃなくて生き死にの不安なのに。それはちょっと信じられないことだった。

 

一方で、関西に住む友人達、そのなかにはほんの数回しか会ったことのない人たちもいっぱいいる、その人たちのほうが昨日からずっと近しく、励まし励まされて存在している。こんなことがあるんだろうか。

経験を同じくすることは、多くの「絶対」に思われたもの(例えば家族とか)を越えていくんだなと思った。いろいろあって、私は、妹のことは家族以上の何かだと勝手に思っているところがあったので、余計にこのことは衝撃的な気付きだった。

でも、「家族」以外の味方や助けてくれる人、助け合える人が、近くに何人もいるということは、なんてありがたく、心強いことだろうかとも思う。それもまた、仕事を辞めて飛び出してこなければ得られず、わからなかったことだった。

 

しばらくショックを受けた後、電話を続けながら私は店を出た。

話しているうちに、冷静に、ひとまず自分が懐中電灯がほしくて、妹によればそれぐらいなら100均にあるということがわかり、ちゃんと考えて決められるまで当座はそれにしておこうと思うことができたから。

 

色々あってとっくの昔に私の家族観は崩壊していて、家族にとらわれてなどいないと思っていたけど、バリバリとらわれている自分や頼りすぎている自分(依存も含めて)はまだ無意識に存在しているらしい。もしかしたらこれからずっとかも。

でも、家族じゃないけど家族みたいに心配して、「泊まりに来ていいよ!」と言ってくれる友人達がいたり、眠れない夜を一緒につぶやいている人がいたり、防災の知恵を教えあう友達がいる。そんなことが起きるとは。そんな、理想みたいな感じ。

誰も私に「不安なら実家に帰れば?」とか言わない。自己責任とかじゃなくて、その人が生きたい場所で生きられるようにお互いに助け合うという感じ。それがふつうという感じ。

今まで何回も思ったけど、家を出てこっちに来てよかったなと思う。家族という一つのものじゃなくて、いくつかの頼れる先を見つけること。そのことが気持ちを落ち着かせている。

 

帰ってきて夕飯を食べていたら、タイ人の友達が(タイ在住)、最近気に入っているというCMの映像を送ってきた。

言わないでいるのも怒られそうな気がして、

・昨日の地震と今後本震があるかもしれないということ

・世界が変わるような、感じたことのない不安の中にいること

を書いて送った。

結局、昨日思っていた「どうしても持っていきたいものはないとわかった」と言ってしまう潔さはなく、うじうじしていたからそれも。

すると、「あなたなら生き残れる。避難バッグあるよね。ならOK.」

まさかの即答。しかも一刀両断チック。

こういう時ってもっとさ、なんか、話をよく聞いて、カウンセリング的な何か……慰め的なお言葉とかさ……あるじゃん? 

すがるみたいにして聞いてみる。

「持っていきたいものはどうするの? たくさんありすぎて全然入らないよ」

「その時は命とyoga matですね。」

!!!

……そーいやそーだった! 彼女こそ、私にヨガを勧めてくれて、海の向こうからさえ、現在私が通っているヨガ教室を見つけ、ここが良さそうだと紹介してくれた人だった! (理由は、先生がかわいいから。)

そして私はそのヨガを理由に、教室のそばにこのたび引っ越す……。

 

いや、でもこの非常時にヨガのこと、ぜ・ん・ぜ・ん・お・も・い・つ・か・な・い・わ!

 

でも……。

ヨガかー……そうかー。そうかも。ヨガかも。

マットがあればなんとかなるかも。そうだね。そうする。

 

作品は、これから自分でいいものを作っていけるって昨日Twitterで友達が言っていた。

そうなんだった。

 

ちょっとだけ覚悟っていうか、高をくくることができたかもしれない。

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友達のTシャツの犬。ヨガしてる。

「人生は大体バランス」って言ってる。笑