むりむりちゃん日記

私が孤独なのは私のせいではない

地震のあと

今朝7:58。

ぐらぐらぐらと部屋全体が思いっきり揺れていて、私は飛び起きた。

机の上に立てかけてあったカレンダーもスケッチブックも本も落ちている。

落ちてもまだ止まらない。

私は気付いたら前を向いたまま、「わああああーーー」と叫んでいた。すごく怖かった。地震だとすぐにわかったけど、誰かに襲われるような恐怖だった。もうだめだと思った。

世界が崩壊する恐怖と、ひとりであることが本当にこわいと思った。

 

それから、離れて暮らす実家の母や妹がLINEをくれたり、最近フェイスブックで8年ぶりぐらいにつながった友人がメッセージをくれたりした。

私も大阪の友達に連絡したりした。

 

みんな無事だったし、ケガもしていなかった。

でも、「余震があるかもしれない」とか、「本震があるかもしれない」といわれたら、怖くて固まってしまった。

いや、もう最初から放心して何もできないでいた。

 

テレビを付けたらみんなが地震のことをやっていてとりあえず安心した。

でも、そこからトイレに行ったり、お茶をいれに台所に行くのがもう怖かった。

誰かがいるかもしれない。急に襲ってくるかもしれない。

なにかが圧倒的に変わっているかもしれない。

そういう得体のしれない恐怖で足がすくんだ。

 

テレビは電車の全線不通を伝えていた。

昨日、友達が、全く進まない私の引っ越しを見るに見かねて手伝いに来てくれると言っていた。

それはできるのかな。とか、ひとりこわいのとあわよくば感で、こんなときでもどこまでも自分のことを考えた。

 

友達が、ばあちゃんと連絡がつかないと焦っていた。

電車は全部止まっているから歩いて行くしかないと、ばあちゃんのところに行こうとしている。

いつもは冷静に考えて行動する人なのに、それだけ大変なことが起きたんだと思った。

ばあちゃんの家は、古い家の多い、昔ながらのコミュニティの残る地域にあって、ばあちゃんも日ごろから近所付き合いをしているからちょっと待ってみよう、と言ったらそうする、と言った。

 

テレビは大騒ぎに、何回もその瞬間の映像を流したり、大阪のテレビ局とつないだりしていた。

「火事です!!」という大きな声がテレビから聞こえた。

上空から、煙を探して飛んでいたみたいだ。

大事な情報かもしれないけど、怖いし、その瞬間の野次馬みたいなことに自分がなるのがものすごく嫌でチャンネルを変えた。

アナウンサーの「最初の地震から30分経ちました」という言葉が怖かった。

まだ来るってこと? そうかもしれないけど、注意喚起と危険を煽るようなことがごちゃごちゃになっていてひどかった。

東京のテレビはみんな他人事だという気がした。

 

テレビを消したくなった。音がなくなる怖さと、情報のためにはテレビをつけておくべきかもと迷ったとき、ふと思いついた。

あ、ラジオだ。こんなときはラジオ。

東日本大震災の時、私は被災地にいたわけじゃないけどテレビと社会の空気に耐えられず同じようなことを感じてラジオを付けたのだった。

 

テレビを消してラジオを付けた。すぐにDJが読むおたよりが流れてきた。

 

 

出勤中で、駅まで行ったのだけど電車が動かないから帰ってきて、家で水を一杯飲んだら急に涙が出てきました。阪神大震災の時のことがよみがえりました。DJさんのやさしい声に安心しています。今はちょっと様子見です。

 

 

私と同じふつうの人々の同じようにショックを受けたという声と、冷静にいようとすること、落ち着いて考えながら行動する様子。それから、阪神大震災の経験を思い出したり、そこからの学びや、言葉の重さ。

そのことを伝えてくれたことと、それが今手が届く距離にあることがありがたいし、震災の記憶が重なるような痛みも(勝手に)心配するし、でも、「様子見」っていってるから、そうしよう私も。と思って、友達との連絡やツイッターで情報を集めたりすることに気持ちを向けた。様子見。様子見。

 

就職活動の会社面接は延期になったらしい。

大学も終日休講。

小中高も休校と聞いたけど、ある高校は2限から授業するから来るようにってメールが入ったらしい。こわい。それがこわい。

 

ラジオで穏やかな音楽が流れるだけでなぐさめられた。

最後にDJが、今日は不安でつらいけど、明日は朝から新しい日。ブランニューデイでいきましょうね、と言って番組が終わった。明日がくるんだ。明日は普通の新しい日なんだ。それのことにも、はっとするほど感動した。

 

けれども、その後の時間、私は何をしたらいいのか全然わからなかった。

ツイッターで流れてくる防災情報を見て、勧められるままに水を貯めたり貴重品をまとめたりするのを、何とか実行した。水を出しながら、水道が変な音を鳴らすのでこわくなった。

あとは、除光液で両手のマニキュアをおとしただけ。無残にはがれてきていたから。

 

最初から地震以後みたいな部屋の中(引っ越しのせいということにする)を、今更どうにかしようという気にもなれなかった。余震や本震が来るなら意味ないんだと、覚悟なんかあるわけもないくせに思ったし、どうせ引っ越し、と、たかをくくったりしていた。引っ越し準備を続けることにも、同じ理由で意欲が持てなかった。

 

そうすると、いよいよすることがなくなった。

書くべき文章はいくつもたまっているのだけど、それを考えることはできそうになかった。こんなときに文章なんて。この地震への恐怖をそのままナイーブに書き連ねるのも私の信条に反する気がした。連ねてるけど。

第一、避難準備も不十分なのにパソコン叩いていて本震が来たらどうすんだとか、すごい馬鹿じゃんとか、それより他にすべきこと山ほどあるだろうとか思った。

……でもそれ何?

 

ただ怖かった。物を捨てると決めたのに全然減らせていなかった物たちの山を見て、こんなものはいざとなったら一瞬で消えちゃうんだろうなと思ったし、それを差し置いてでも持っていきたいものなんて思いつかなかった。

冷静じゃないからかもしれない。

 

生きたいとか死にたくないとかあんまり思わないと思ってたけど、今までのことが壊れるのがただ怖かった。

 

しばらくそうして4時間も5時間も茫然としていた。

誰かといようにも、電車は止まっていて、どこにも行けそうになかった。

 

13:00になった。LINEで友達を促しながら、私もパンとヨーグルトを食べた。

食べないと、気持ちが元気になれない。

それから、文章を書くことにした。

セラピー。

辛いときはいつも文章を書いていたから、今書くのは、変でもよくないものでもナイーブでも嘘でも、書いていたらいいと思った。

 

友達、ばあちゃんと連絡とれたって。無事だったって。よかった。

 

ただひとつ泣けるぐらいに嬉しくてありがたいのは、最近一気に増えたお友だちが、心配してくれたり出したものを見ていてくれたり応援してくれたりすること。

そのことが、いつも嬉しいけど、こんなにも嬉しくて心強い時はないです。

一人でも、一人じゃないと思える瞬間。シスターフッド

私も返していきたいです。

 

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