むりむりちゃん日記

私が孤独なのは私のせいではない

だってハンカチがないからさ!!(小説『夫のちんぽが入らない』感想文』)

ハンカチを忘れた日は最悪で生きていくことができないから、忘れたらコンビニで買うし、万が一職場に着いてから気付いたら友達に相談して予備を貸してもらっていた。
それからは真似して予備のかわいいやつを机の中に入れておくようになった。

仕事をやめて職場がなくなっても、私のハンカチへの意識(執着)は変わらなかった。
けど、いつも行く場所が決まっているわけじゃないからそれは死活問題のひとつになった。

GWの名古屋に帰る日は、マンションのエレベーターを降りた瞬間にハンカチを忘れたことに気が付いたけど、珍しく近鉄で帰る予定でこれから難波に向かうことと、そのうえ神戸や梅田と比べて格段に不案内な難波で格安チケット店にたどり着かなければいけない(しかも20分以内で)というミッション、ただでさえすでに難波行きの電車にギリギリの時間ということも手伝って、私はすべてを振り切って駆け出した。

無事に最初の電車に乗ることができ、計画通りに難波の格安チケット店で450円OFFで乗車券も手に入れて、朝兼お昼ごはんも買ってアーバンライナーに乗った。

「家に帰るまでトイレには行かない!」と、ハンカチを忘れた瞬間に決めたことは守れるはずもなく、一縷の望みをかけて行ったアーバンライナーの洗面所には、なんと個包装のおしぼりが用意されていて神様近鉄様ありがとう😃

座席に戻り、お茶を飲もうお菓子食べよう♪♪と探ったファミマのビニール袋にはお手拭きが入っていて、スゴーイですねニッポン万歳!
こういうとこが好きです~🙌

ハンカチ問題が解消してしまえば、それ以外には何も問題が無かった。

その前の日は、連日の外出にはしゃぎすぎた反動で久しぶりにナマコ(1日中寝たきり)でいたために、帰省する当日(つまり本日)の朝にすべての自分の世話が一極集中して、朝から髪染める(ピンク)、シンクに溜めていた洗い物、洗濯、風呂、化粧、帰省荷物パッキング、洗濯物乾かす(自力…持って帰りたいから)、部屋中のゴミ収集、合間にメール返信、、、とかなんか大わらわだったことも、今となっては嘘みたいな平穏ぶりだった。
よかった…。なんかよくわからないけど間に合った…。

数えるほどしか乗ったことのない近鉄特急から見える景色は物珍しく、山や田んぼや時々渡っていく橋がひとつずつ見逃せなかった。

最初から隣の席に人が居たことも、私に身じろぎせずただ車窓を凝視する姿勢を保たせた。

…つまり、まあなんとなく窮屈なのだった!

難波から名古屋まで「2時間10分で3500円」は私の中では最速最安値で、いつも梅田から3時間以上もバスに乗っていることを思うと明らかに快適なのにもかかわらず、時間がたつのが遅く感じられ、代わり映えのしないように見える景色にもしだいに飽きてきていた。
うまく眠ることもできないのはやっぱり隣に人が居るためで、お互いになんとなく気を使って身を縮め合いそれぞれのシートにおさまっていることはわかっていても、私としては知らない誰か(しかも男性)が居ることによる緊張を完全に拭うことはできないのだった。
再発している腰痛も思っていた以上に深刻だった。朝から1日分以上のはたらきをしてきたことも、今ごろになってひびいてきていた。

気を紛らわせようと、本を取り出した。
途中でしんどくなって読むのをやめていたエッセイに近い小説で、矛盾していると思われるかもしれないけど、私はいつでもどんな時でも夢中になってその続きを読むことができる! と確信していた作品だった。

少し前に話題になった本で、タイトルは『夫のちんぽが入らない』(講談社)。
私はセンセーショナルな題名に興味しんしんで、いつか読んでみたいと思っていたのを文庫版を発見し、買ったものだった。

作者はこだまさんという女性で、元小学校の教員だった。
私よりも上の世代の人で、時代による特徴はちょいちょい出てくるものの、「古い」とはまったく思わなかった。
内容はタイトルの通りで、現実のなかでは誰にも話せないまま、文章でそのことが悲しいユーモアを交えて語られていく。
並行して、主人公(こだまさん)は異動先の小学校で荒れまくっているクラスの担任になり、生徒によってほぼいじめとも思えるような目に遭うことや、それに一人で耐えること、しだいに心身に不調をきたしていくことが淡々と語られていった。

主人公は誰のことも責めない。
ただ自分だけを責めていく。

誰にも言えない秘密(悩み)を抱え、自分を「不完全」と思うことから解放されることがなく、その途中途中で自分の親や周囲から「子どもは?」と悪意なく(!!)聞かれる。

主人公は病気になり仕事をやめる。
するとあんなに関係がうまくいかなかったクラスの子どもたちが寄ってきて泣いたり、やめないでと言ったり、やめた後には家に遊びに来たりするようになる。

この後の、一人の少女とのやりとりに私は号泣した。
こだまさんは、受け皿っていうかすごい受けとめをしている(本人はそんなふうに思っていない)と思う。

その後もずっと目が離せない展開が続く。

夫とは兄妹のような関係であることや、「子どもができなくてすみません」と夫の実家に謝りにいこうと言う母に連れられて電車に乗り、もてなされた高級な鮨を涙をこらえるように次々に呑み込んだこと、母へのわだかまりを持ち続けていることと年老いて丸くなった(他のきょうだいにより、孫も産まれた)親へ思うこと、自分自身と重なる部分……。

こだまさんは、ひとつずつ、自分で考えたりかえりみたりしながら進んでいる人だと感じた。それで、自分を苦しくさせてくるものに対しても一概に「古い」と一蹴したり、怒ったりすることもできないようだった。
だから苦しむのだが、そのひとつずつが丁寧で誠実だった。

「こうなるしかなかったからこうしている」というようなことを(ほんの少し自嘲?をふくめて)書いていたけど(とくに正規の教員をやめて、期間限定の教員という形態をつなぎながらやっていることについて)、決められた型にはまった形でなく、自分のやり方というものを自分でさぐって見つけた結果のものだなというふうに私には見えた。

そのいろいろなことが自分と重なったし、私はこだまさんをとても魅力的な人だと思った。

同時に、私の本を読んでくれたある人が、「どこまでも人や自分に誠実にあろうとする姿に『ぐっ』ときました」と感想を書いてくれたことを思い出した。
私のことを知らない人が、時々私自身でさえもて余し困ってしまう私をみとめ、いいと言ってくれることがある。それを伝えてもくれる。ずっとひとりか、わずかな理解者しかいないと思っていたのに、こんなことがあるのかなと思う。

こだまさんもそうだったのかもしれない。書きながら、生きながらそうだったのかもしれない。
そう思うと泣けて泣けてしかたがなかった。

近鉄で出はじめた涙は、名古屋に着いて一度止まり(乗り換えのため)、実家に向かう電車でふたたびあふれた。
通路をはさんだ向かいに座った親子らしき人たちにはさぞ奇異に映っているだろうと思いながらも止めることができなかった。涙が透明で本当によかったとこのときほど思ったことはないし、どうしようもなくて目をつむり、まぶたってガーゼみたいなナプキンみたいな役割なんだなと初めて思った瞬間にもうじわっと目の隙間からにじみ出ていて、あ、ぜんぜん違ったみたい…と思った。

だってハンカチがないからさ!!!

ということを、とにかくいちばん実感したのがトイレでも、昼ごはんを食べるときでもなく、泣くときだったというお話。
いつでもどこでも泣くんだからいつもハンカチは持ってなくちゃダメっていう教訓でした🌼
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