出版記念お話会②第一部🍎
開始時間になったけどまだ準備していたら、あたらしいお客さんがやってきた。
Y先生だった。去年のお話会にも来てくれた、前々職場の同僚で、現親友。
先生はうちに遊びに来たり、私のブログも読んでくれていて、12月に手紙をくれた。
その中で、
「いつか本出しなよ。私買うよ」と書いてくれたから私は本を出そうと思ったのだった。
クッキーを飾り終わった後、お花係に任命された妹は階段の下でY先生に出くわして、
反射的に「あ、写真で見た人!」と言っている。
初対面の相手にそんなこと言わない子なのに!
うれしかったらしい。
これまでの数々の私の話に出てきた人々が実際に次々と目の前に登場して動いてしゃべっていて、想像と一緒だったり違ったりしていておもしろいみたい。
Y先生はまったく動じずに挨拶して、「今朝テレビが壊れてさー、買いに行ってたからお昼食べてないんだけど食べてもいい?」と言い、勝手知ったる風情でスタッフルームに消えていった。
なんとか準備ができたので、みんなを2階の会場に呼んだ。
身内(スタッフと家族)以外はY先生しか居なくて、先生はもう身内だからつまりこれは身内の会だった。
足りていることよりも不足を見つけくよくよする性格の私は、頭の中で、「行きたいけど行けないけど本を買いたいです!」とメッセージを送ってくれた人々の顔を蘇らせながら、自分で自分に「落ち込まないこと!」と心の中で言ってスタートした。
お話会は第一部と第二部に分けていた。
第一部は「本の紹介」をし、第二部では「対談」をしたいと考えていた。
これは、教員時代の晩年に生まれ、辞めてからとみに高まった嗜好なのだが、
私はどうしても自分が既に知っていることを話す(報告や説明をする)ことに抵抗があって、
そんな台本をなぞるだけのようなことはとても恥ずかしくてできない気がしていた。
みんなにとっては初めて聴くことでも、聴いている人の中には喋っている私もいて
(自分で喋りながら自分の話を聴いているから)、
その私が人々に向かって自分の本の説明をしたとしたら、すぐにもう一人の私が、
【いやいやいや、しらこい顔して初めて言いますみたいに喋ってるけど自分何回頭の中で考えつくしてんねん、てか文章にも書いて本にまでしとるがな。本に書いたことと同じこと喋ってたら、それ来てもらう意味あるん?】
と(謎の関西弁)すぐにツッコんでくるので恥ずかしくてできない、という気がした。
でもみんなは本の内容を知らないわけだから、「説明」は必要。
だから、第一部は〈私が知っていることを人々に話す時間〉にして、第二部は〈私も知らないこと(わからないこと)を話す時間〉にしようと思いついた。
それで人々にも応えられる気がするし、私の欲求も満たされる。
第一部が始まった。
≪第一部は収録をして後日ラジオのアプリを使って放送するつもりにしていた。≫
最初にこの本を作ることにした経緯として、『快晴元年のアップルパイ』というタイトルの説明をした。
実はそのことは、本の「まえがき」にも書いており、ありがたいことにみんな着いてすぐに本を買ってくれたから、教科書的に「〇〇ページの……」と言えば済んだし、それはそれで学校ごっこみたいで楽しかった。
タイトルの話はすぐに終わった。
発端が悲しい話だし(笑)、始めてみたら、この被害(セクハラ・パワハラ)の話をどんな顔でこのやさしい人たちにしたらいいのじゃ……? と思った。被害の話をする難しさに(もう立ち直っているのに)直面したし、そのことを、今この人たちにしたいわけじゃないと即座に思った。
それで、思い付きで、
・「本当は本を出すなら出版社から出したかったし、出すものだと思っていたし、その前に何かの文学賞を受賞して華々しくデビューしていたかったしそうするものだと思っていたけど、実際は応募すらしていなくて自費出版であるということ」と、
・「自費出版(って打とうとしたら『自慰出版』って出たw。それやな。自慰。自分で慰めてる。大事なことだよ)なんて、そりゃお金さえ出したら誰でもできることで、なんかそんなのってやっぱ王道じゃないし、何だかなーって思っていたこと」と、
・「でもこうして形にしてみるとやっぱりうれしくて、やってみてよかったと思っていること」
を話した。
(この文章は、このとき収録したラジオ(実際の会の録音)を聴いて比べるとだいぶ違うかもしれない……笑。私は恥ずかしくてラジオは聴いていなくてよくわからない。どちらも「本物」で「嘘」だと思ってください。こちらは脚色。希望も入れた物語です~。)
自分でも、こんなことを言うのか~と思いながら話した。
言いたいことはこのことだったみたいだ。知らなかった。
誰にも言っていなかったから、たいていのことは話してきた編集長も、部屋の遠くの方で「そうだったの?」という顔で聴いているのが視界の端っこに見えた。
それで、これは成功だ! と自分でも気に入った。
用意していなかった「知らないこと」がその時に起きるのがものすごい奇跡的なギフトだと思う(急に)。
これは、その時そこにいた人たちと、その日の雰囲気が引き出したものだと思った。
それから、みんなをみんなに紹介した。
私としては、妹の夫のY君のことをぜひ言いたくて、この正月に実家で行った新年の句会の話をした。
それは、私の提案で、母、妹、Y君、私の4人で句会(自作の俳句を持ち寄り、発表する)をやった時のことだった。
急に「句会をやろう!」なんて予告したけど、困らせるかなーとか、断られるかもと思っていた。
私の急な思い付きに振り回されることに慣れているのは、母と妹までのはずだった。
しかし、Y君は句を考えて来てくれて、結果的に私と競うぐらいたくさんの数の句を詠み、言った言葉が私を喜ばせた。
「なんか次々出てくるんですよね……^^」
すばらしい!!
今日来てくれたこともそうだし、こうしていつも巻き込んだことに参加してくれる。
ありがとうだよ。
私は満足して、司会を一穂君に交代した。
彼もみんなと同じで私の本を読んでいないし、本のことも、最近の私のことも何も知らないから、みんなを代表して、知らないことを私に尋ねてくれたらいいと思った。
書き続けていたら疲れちゃったからみなさんも少しきゅうけいしてね。
なんかいいことを聞いてくれたような気がするけど、忘れちゃったこともある。
あ、そうだ。
「『この一年間に書いていた文章を、本にまとめた』と先生は言っていたけど、本に入れる文章はどうやって選んだんですか?」だ。
すばらしいね。いい質問。喋りたかったことだった。
この質問のおかげで、本の前半と後半では文体が違っていること、
・前半は‟ブログ調”で浮かれていたし、実際浮かれてもいてそういう文体なのだけど、
・後半は悩み始めるので深刻で、とにかくすごい悩んでるし思い詰めています。
ということが言えた。みんなも笑って聴いていてくれる。
さらに一穂君に、
「先生は悩んでいたんですね。どういうことに悩んでいたんですか?」
って聞かれたような。聞かれたっけ。
「孤独についてです」って答えたっけ。
「先生は悩んでいたんですね」ということを一穂君に言われて、彼が高校生の当時からずっと私は自分の悩みを教室の生徒たちの前で話してきたことを懐かしく思い出し、ポーッとしてしまった。
(彼はまったく普通にしている。)
なんじゃこりゃ~。ひとりで過去と今を行き来しているみたいだ。
「私の悩み」について、昔も今も一緒に話してくれている。こんなことは願っても起こらないことのような気がする。なんだろう。みんなを巻き込んでの……プレイ?
ありがとう。すみません。ありがとう。
泣。
孤独であること、自分の文章はだれにもわかられないこと、一体誰がわかるん? みんな文章読めるの? とさえ思っていたし悩んでいたことを告白して、でも本を作ってみたら友達がたくさん出て来て、自分には友達がいることがわかった。友達いるやん! ってなった、ということも、みんな聴いてくれていた。
一穂君が、「聞こうとしてたことはみんなもう先生が話した」と言ったから、
彼の自己紹介につなげて私が彼の話をして、みんなでこのすばらしい青年に感心し、にこにこした。
続いて、スタッフの紹介をした。
編集をしてくれたみさきさんについては、「ちからわざ」(by 佐藤二朗)というお気に入りの言葉を紹介した。
みさきさんは、「経験があるから」とか、「できるから」とか、「得意だから」っていうわけじゃなくて、「やりたいからやる」ことを体現している人で、今回の編集もそのひとつであり、「やりたい!」と手を挙げてくれたから一緒にやって、よい本ができたのだった。
「できる」わけじゃないから失敗やミスもあり、時間配分がわからずに、
締め切り前の3日間は修羅場だったことや、
48時間不眠不休で、まるで飛行機に乗って外国に向かっている(乗ったらもう完結するまで降りられない!)ようだったことや、
これ(お話会)があるから絶対に間に合わせないといけない、お話会に本がないというのはあり得ないと思って必死でした、
という話をしてくれて私はまたひそかに泣。
あの時期に、みさきさんにかかっていたプレッシャーは半端じゃなく大きかったと思う。
私はその期間も家に帰れば寝ていたし、パソコンの電源を求めて一緒に籠った各地のタリーズでもどこかふわふわとしていた。
文章と挿絵をみさきさんに渡したからひと仕事済んだ感が、隣で必死のパッチにパソコンを駆使しているみさきさんにバレてないといいなと思っていた。
印刷会社の人には、最初の入稿→見本印刷→確認して、もしこちらの誤字や脱字が無くてノーミス→本印刷 だったら、「1ページあたり50円値引きしてくれる」と聞いていて、私たちはそれをねらったことや、「50円×330ページ=16,500円のディスカウントは大きい!」と私は忘れてしまう細かい金額を発表してくれてみんなでおおおーーー!✨となる。
実際は私のミスがあって、結局完成品に手書きで修正しているのだけど、
さらにその手書きの修正さえも間違えてしまった・・・!! というスカポンタンな一冊もあり、私は、
「これは母の分にしよう!」
と特に疑問なく口に出していたところ、そのとき一緒に作業していた友達に、
「え!? 自分の分にしなよ!」と言われ、あ、そうなんだと思ってそうすることにした、という話もした。
ね? だから私一人だと母を加害する(いじめる)し、妹は母にも優しいからいいんだけど、家に家族だけが居ると煮詰まるしつらいし、友達が母に優しくしてくれるからうれしくてありがたいし、こうやって私の代わりに母に優しくしてもらおうと考えているのです~~。
と言ったら母は大きくうなずいていて、みんなが笑った。
つづいて、こにーちゃんを紹介した。
こにーちゃんには、私が自分でも「どうしたいのか」(本を出したいのかどうか)という意志もわからないでいた頃に、絵を描いてもらうようにお願いした。
私がこにーちゃんの絵が好きだったから。
こにーちゃんの絵の中の、物を言う人や動物が好き。
こにーちゃんが私の文章や話したことなどからイメージを膨らませてくれて絵を描いてくれたのが嬉しくて、その絵が本当にすばらしくてかわいくてすばらしいのだということを言った。(ちゃんと言えたかな???)
快晴のブルーも、二人組というところも、一緒に商店街かもしれないアーチをくぐろうとしているところも、一人じゃないところも、そのうちの一人が後ろを振り返り振り返り歩いていることも、それは私かなと思ったことも言った。(言えたかな???)
(また泣いている。)
その後にこにーちゃんがしてくれたのは、
そんなふうなオーダー(全部おまかせ)のされ方は初めてだったことや、やってみてとてもよかったということ、私が好きだと挙げた絵の中のポイント(絵を見た後に、こにーちゃんに手紙を書いた)が全部自分がそうしようと思って入れた部分でそのことを見てくれてうれしかったということ、実は最初に描いていた絵は「二人組」じゃなくて「一人」で、場所も「外」ではなくて「部屋の中」だったけど、考え直してあたらしく描いたのだというお話。
うれしいことばかりだった。全部、心のこもった丁寧な仕事だと思った。
〈第一部終了〉