むりむりちゃん日記

私が孤独なのは私のせいではない

出版記念お話会①(まだ始まらない)

 

お話会が終わったので、その話を書きます。

本にしてみてわかったのは、私は過去のことについて、「書いたことしか覚えていない」ということで、そのことは少し心配になる。

(私にとっての)「クライマックス」のシーンを書こうということと、忘れたくないあれもこれもを書いて、「ありがとう」を書いて、でもその辺りは自分でも頭の中で何回も再生しているからもう物語にもなっていてそれを書き留めていく。

そうすると、書いていないことが出てくる。そしてそのことを私は忘れてしまうのだ。

書いて捨てて忘れていきたいのに、忘れたくなくて、書いていないことも知りたいと思う。このことが全部同じぐらいの割合で存在している。

みんなもそうなのかな? 

 

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お話会の日は朝から快晴で、太陽の光がまぶしすぎて、私は背中と両腕に大荷物をぶら下げて笑った。

 

いくら何でもこんなに晴れる?

という嬉しい呆れのままに、行きの阪急電車の中でみさきさん(本の編集者、ずぶの学校の主)から届いた「快晴すぎる!」というLINEを、そのまま一穂君(お話会のスタッフ)に送った。

 

電車の中では、少し傷付くことがあった。

(すぐ傷付く。)


さっきまで、「やむを得ないこと」と苦笑していた多すぎる荷物が、いつも前日にしか当日の内容を考えられない自分の性質を、「準備不足!」と突きつけてくるかのようでもあり(反省ではないけど)、自分のままならなさを象徴しているように見えて切なくなった。

 

 

駅の駐輪場の前には、若者が所在なさげに立っていた。

去年に引き続き、お話会のAD(アシスタント)をお願いした一穂君だった。

もともとは、前の前の高校で三年生を担任していた時のクラスの生徒。

 

去年のお話会の時は、高校時代と同様「移動手段は自転車!」だったのに、なんとバイクで来たと言う。その辺の道に止めたと言うから一緒に戻って、「荷物持ちます!」と言うので持ってもらう。

道には大きなバイクが止まっていて、それまで半信半疑だった「一穂とバイク」が実像を結び、急に圧倒された。

この一年の間、大学を休学して世界を旅し、インドにも行ったとは聞いていたけど、何か急に大きくなったなあ! 

住んでいる街から出てここ(大阪・淡路)で会う新鮮さと解放感と、それでもなお(外でも)会えている楽しさと喜びに、一人で急に感極まってくる(感無量)。

「ずぶの学校の近くにバイクの駐輪場あるよ」と指さすと、「じゃ、後で!」とすぐに大荷物を返されて、「だってこの荷物、バイクに乗らないんですよ」、ホラこれに入らないでしょと、シートの下から出した小さな網みたいなのを見せてくる。

「そんなのに入らないよ! こんな小さい網、何も入らないじゃん!!」と言うと笑っている。

その瞬間、電車の中で抱えていたすべての不安や鬱屈が解消して、快晴の下で一緒に大笑いした。それはまるで彼が高校生だった時のようだったし、去年のお話会の時とも同じだった。時間も経ち、場所も変わり、会わないでいた間のことをお互いにほとんど何も知らないのに、彼の高校時代や一年前のお話会が昨日で、今日は単なるその続きだったというムードで、何の隔たりもなかったかのように。

人見知りの私(「ゴールデンウィークにはもう人見知りしている」という大学院時代の友人の俳句があってひどく共鳴しています。帰省した時に再会した旧友にも緊張する自分のどうしようもなさを詠んだ句で、私以上の人見知り文学青年作)に、こんなことができるわけはないので、これはまったく一穂君のおかげによるもの。彼のまったく気取らない、自然の明るさが私にも伝染する。気軽にやればいいのだと思わせてくれる。

彼にADをお願いしてよかったな!

(そもそもこの一ヶ月前、私はまた別の問題でとても落ち込んでいたのだが、声を掛けた数日後には『お話会のADやらしてください!』と爽やかに返してくれて泣いた。かわいすぎる~。)

そうだ。今日は私が元気にお話会ができることがいちばん大事なのだった。一瞬だけそのことを忘れていた。「淡路の駅で一穂君に会う」という、ヘンテコでオモシロくて、わけのわからない、でも朝イチから私が大喜びするようなことがあってよかった。本当によかった。

私が満面の笑みで「もうこれで私は大ご機嫌だわ~~」と言うと、彼は笑って「相変わらずくせが強すぎるわw」とツッコんでいた。

 

ずぶの学校に到着したら、みさきさんが旧式の緑色の掃除機をかけていた。

古民家の建物と家の中の雰囲気にすげーと言っている一穂君との感動の再会を、またみんなで喜ぶ。

それぞれに、掃除をしたり、お茶を作ったり、ずっとできないでいた虫の死骸を片付けてもらったりしていよいよ打ち合わせをしようという時、こにーちゃん(本の表紙のイラストを描いてくれた)が早めにやって来てくれてスタッフ全員集合。「ありがとうございますお願いします!」

こうして素敵な一日が始まった。

 

打ち合わせの後、再び各所で準備をする。

私は黒板に時間割を書いた後、隣の床の間ギャラリーに、持参してきた作品(この一年間に描いていた絵や、作った小物、アルバムなど)を展示した。

開始時刻が迫っていてギャラリーの土壁にうまく貼ることができずに四苦八苦することも、「テープで貼ったら?」とか「絵、かわいい!」と口々に言われることも、全部がうれしかった。

この絵を描いている時も楽しかったけど、展示するときも今この瞬間も、私は全部なぐさめられている。ここまで含めて全部ケアなのだと気付く。やっていたことを見てもらい、ほめられて、大事にされてみとめられる。一つずつの言葉や声がやさしくて、ありがたいって思う。だめだ、もう泣いています。

 

私はどうしてもオランダで買ってきたユニコーンの風船を膨らませてほしかった。

〈外国に行った時に買ってきたものをお話会で使うこと〉は私のテーマになりつつあったし、なんとなくゲン担ぎみたいなものな気がした。

前回は、台湾に行く途中の関空のアウトレットで90%OFFで買った三角帽子が「友達の証」になった。くわしくは本参照です~❤)

それで、「全然膨らまない……オランダ人の肺活量すごい……無理っす!」と言う一穂君に、執拗に要求したというわけ。

苦闘の末、ついに膨らんだユニコーンはとてつもなくぶさいくでものすごい迫力を醸し出していてびっくりした。ヘンテコなものが多いずぶの学校の雰囲気にさえ合わないし、だいたい、ユニコーンの原型をとどめていなかった。「膨らませる前の方が絶対にかわいかった」と、みさきさんもこにーちゃんも口をそろえて言ってきて、あんなに普段いっぱい「かわいい!」を言ってくれる人たちなのに今全然言わないな!(つまり本当にかわいくない。)一穂君に「元に戻しますか?」と聞かれたけど私はきっぱりと断り、「ぴったりな場所に飾ってほしい」という次なる私の要望をかなえるためにその奇怪な風船を持って部屋のあちこちをさまよう姿にもなんだかゆっくりと癒されていったよ。

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「お花が届きました!」という声に集まって歓声を上げる。

本にも登場した神戸イツビの店主さんがお祝いのお花とお手紙を送ってくれた。

お花! かわいい! 黄色と青の丸い花がかわいい。大きなピンクの花がかわいい。パッとその場所が明るくなった。気持ちのこもったお花だと思った。

 

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お話会が終わってからずっと部屋が明るいです・・・🌺🌺🌺

 

開始時刻の30分前になり、お昼休憩をしようかというところで、一人のおばあさんが訪ねてきた。

おばあさんは、2月に亡くなったみさきさんのおばあちゃんがやっていた隣のクリーニング屋さんのお客さんで、服の受け取りがまだ済んでいないのだというようなことを言いに来たようだった。

こういう日に限ってそういうことって起きるよね……と、こにーちゃんと私は応対に出ていったみさきさんを心配しながら話して、先に食事を始めていた。

一穂君が初対面のこにーちゃんに、「こにーさん」と話しかけているのがおもしろくて印象的だった。

無事に凱旋したみさきさんが合流し、食べながらみんなでさっきのおばあさんの話を聞く。

どうやら同姓同名の人の服が途中で入れ替わっていたらしく、うまく手元に返っていなかったらしい。でもそれはみさきさんのおばあちゃん(クリーニング屋さん)のミスではなくて、工場の人の取り違えが原因であり、おばあさんはそのことに至るまでの捜査と真相究明を独自に行っていたことの報告をしに来ただけであるらしかった。

みさきさんのおばあちゃんに対するクレームを言いに来たわけじゃなかったことにわれわれは安堵して、そりゃあそれだけの調査だったら一から十まで話したいし聞いてほしいよなあ~という感想と共感をおぼえていた。話し尽くしたいし、聴いてほしい。そのことだけが重要なのに、なかなかそういうことがかなう場所はない。

そんなこんなしている間に名古屋から私の母と妹と妹の夫が到着した。

 

 

 

自分の本の出版記念に親や妹を呼ぶなんて、他に来てくれる人が居ないみたいに見えるし、いつまでも身内に甘えているようで恥ずかしいとは思っていた。授業参観みたいな。

でも同時に、家族にわざわざ名古屋を出て大阪まで足を運んでもらうことは今とても大きな意味があると感じていた。

むしろメインだ! と思い詰めた私は4日ぐらい前に妹にLINEをして、どうしても来てほしいと誘っていた。妹は私の送ったDMによってお話会の日程を知らされていたけど本当に呼ばれているとは思っておらず、返って来たLINEでも「もうちょっと近くでやってくれればね~」とやんわりお断りモードだった。妹は現在あまり体調が安定せず、そのことも外出(しかも遠出)への不安に拍車をかけていることはわかっていた。

「そこは何とか! でも無理せずに!」とか、「Y君(夫)もぜひ! できる範囲で!」とか「母と三人で! Y君の運転で!!」、さらに「でも二人でもいい! 新幹線でも!! 母が新幹線代出してくれるはず! (知らんけど!)」とこれまた執拗にお願いし、妹は、「ちょっと考えてみる~」となって、つい二日前に「行けるかも。Y君が『車出してもいいよ』って結構あっさり言ってくれた」と返ってきて熱狂し、決定したことだった。

 

夫も子もいない私は、家族・親戚の集まりが苦手でどんどん足が遠のいていくばかりだった。

話す話題に困った挙げ句(なのかどうか私にはわからない)、「彼氏は?」とか、「どうするつもりなの?」と言われることにはもう5年以上前から飽きて(呆れて)いたし、毎年二回(盆と正月)そのつど私が怒り狂うのも、もう違うなという気がしていた。

狭い世界での固定メンバーによるやりとりはしんどいのだ。

仕事を辞めてからのこの一年間、私は友達を自分で見つけたり、友達に助けられていることをはっきりと自覚して生きてきた。

その結果、そのこと(助け合うこと)に、血のつながりをもとめる考えは私には無いということがわかった。

もはや友達が家族だし、そのことがありがたく、とても満足して気に入っている。これまで助けてもらってきたし、私も助けたいと思う。

私は家族を外に出したいし、家族の中に友達が入ってきてほしい。

これは、そのことを実行に移すよいチャンスだと思った。家族を友達に紹介し、友達を家族に紹介して、もうごちゃごちゃにするんだ。

 

名古屋からやって来た三人はにこにこしていて私はとてもうれしかった。

とりわけ妹がうきうきと楽しそうにしているのが最高にうれしくて幸せだった。

Y君は物珍し気にきょろきょろしていて、母はただ喜んでいた。

「家族を外に出すんだッ!」と鼻息荒く意気込んでいる自分のことが少し恥ずかしくなった。

 

妹はLINEで「飾りを作って持っていくね」と言っていたけど、「ジャーン!」と取り出したのはクッキーをつなげて作った飾りで、クッキーの表面にアイシングで一文字ずつ「『快晴元年のアップルパイ』🐼」と書いてあった。かわいい~。こんなことしてくれるんだ。行くことが決まってから計画して準備してくれたんだな。

私もそうだけど、「翌日無事に行けるのか?」とか「本当に大丈夫かな?」とか不安になって、その不安が体調に影響を及ぼしたりすることもある。だから当日やっぱ無理だったという連絡が来ても落ち込まないようにしようと思っていたし、前日は私も静かに過ごしていた。それが、前日からクッキーを焼いて、初めてのアイシングに挑戦して、体調を見ながら準備を整えて来てくれるなんて。……。(また泣いている。)

 

もちろんみんなもワー! キャワイイ!! と言って、妹は本屋さんのコーナーにそれを飾った。

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サイン会をしているところ。

 

つづく