むりむりちゃん日記

私が孤独なのは私のせいではない

卒業の文章🌸

あたらしく通った学校の卒業にあたって、
そのこととこの一年間について書いてみました。

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私の愛想の悪さは筋金入りで、笑うことができなくて、
人には、
めぐみんは不器用すぎて損してる!」とか
「潔癖…ですよね」とさんざん言われてきたし、
自分でも太宰治の『カチカチ山』の兎って思う。

傍観者にはニヤニヤと揶揄されてきた(これがいちばんムカつく)。

 

この1年の間に、学校の内外であたらしい友達ができたり、
そうかと思ったら私が一人で深く思い入れすぎていたり、
「潔癖」な私にはどうしても譲れない一線を相手が踏んでいる姿を見て

(勝手に)裏切られたような気になったりして、大忙しだった。

つまり年中失恋していたというわけだった。

 

かつて、「戦場カメラマン」にたとえられたこともあった。
これはとても気に入っている。

いつも丸腰で、すぐに戦場におもむいていく。
自分の弱さ (…「強さ」ではないのが特徴。できないと思うことが多い)と、
積み重ねた戦場経験によって獲得した人権感覚だけを頼りに突入し、

ルポ(報道)のつもりでいる・・・・・・
くせについ断罪 ( 「許せない😤‼️」 )。
してしまうからいつも砕け散っている。
「10かゼロか」でしか生きられない自分を、自分でも持て余していた。

 

でも、ゆずれないものはゆずれないのだった。


敵はいつも「ハラスメント」と、「集団による暴力性」だった。

 

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夏秋冬にかけて悩みすぎて人のことが大嫌いになり、孤独をきわめていた。

人なんてどうせ私の文章を読んでもわからないだろうと思ったし、
自分をさらけ出し切り売りするようにして書いていること(my芸風)についても、
逆ギレ的に、
「読むんだったらお金くれ!!」と思った。
(『家なき子』の安達祐実? 「同情するなら金をくれ!」…古?笑。)

 

ここで一句。

売文=売春。お金くれるならオッケーよ👯
(↑急に俳句入るスタイル。)

 

ブログは途中で止まった。

ときどき気分が浮上したら外に出かけて行き、
けんかを売ったり人や文章に当たったりした。
(これは反省ではないんです。その私も私。)

その時の文章は書いていても何を書いているのか自分でもわからなかったしだいたい何も書きたくなどなかった。

……泣く泣く泣くーーー!!

すぐ泣く。おしっこ。

(「涙は女のおしっこ」by大久保佳代子。)
(ちょっと一服。泣き時間。)

 

今泣いているのは、つらかった当時の自分について思い出したからではない。

その調子の悪い時に書いた私の文章を、
その時々に友達が読んで、いいと言ってくれたことを思い出したからだった。
とりわけうれしかったのはあたらしい友達の存在と、
ずっといいと言いつづけてくれる友達のこと。
=つまり全員。

また、文章じゃなくても私が思い悩んでいること
(当時の話題は、「自分の表現が果たして伝わるのかどうか?」と、

「手紙に返事はいらない(ほしいけど)」問題)
を、そこにいた人々がただ受けとめてくれたことだった。

そのことが私をなぐさめ、少しずつ生き返らせていった。

 

学校で得たものは何だろうと考えていた。

授業にはたぶん半分も出ていない。
私は一緒に何かをしたということもあまりなかった。

もしかしたら何もなかったのかもしれない。
私は学校に行かなくても今ここにいたのかもしれない。

 

ふとここで、名前は? と思う。
苦手なことだったけど最初に言われるまま無理やり自分に名前をつけた。
うんと悩んでユニコーン(ピンクの馬)がかわいく思い、

「ユニコ」ってことにした。

(今だったら「ナマコ」…一日中布団から出られずにごろついている日の私…

にするかも。←これは名前について語る気恥ずかしさを隠した脱線。)

 

名付けた直後に、恥じながら名乗った。
瞬間に呼ばれた。
ユニちゃんとかユニコちゃんとか呼ばれはじめたのはすぐのことだった。

え…? そうなの? そういうことなの???

 

最初は奇妙な感じがしてたまらなかった。
いや、誰それ?って……、
自分に苦笑していたのはいつ頃までだっただろう。

その名前を呼ぶときみんなはニコニコして私のほうを見ていた。
それで私はこれはいい名前なのだと知った。

最後に校長に名前を呼ばれたとき、ビクッとしたのはよそ見をしていたからじゃなくて笑、それが自分の名前だと考える前に思ったからだった。

1年前の私は自分に名前を付けていなかったし、

自分が付けた名前を呼ばれるときのあたらしいよろこびを知らなかった。

このことは、たしかに1年前と比べたときに「変わったこと」のひとつだった。

 

戦場カメラマンの私にとってこの学校はひとつの戦場だったのだろう。
どこにいても何をしても、どうしても無様に戦ってしまう外の世界のひとつ。
身一つでボロボロになっても突入してしまう場所。

何を得たのかはわからないけどわかっていて、

ひとつだけよかったって言いたいのは自分のことだ。
それは、最後に行くことができて、締めくくりができたことだった。

そういう自分でよかった……🖤ってすぐに思う(自分好き)その一方で、

これは私の力じゃないなーと思う。

かわらずやさしくしてくれたみなさんのおかげです。

ありがとうございます。

 

そして自由になったんだなと思う。
好きなことを好きな人たちとできる。

これからもよろしくおねがいします。

 

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最後にクラスメートにいただいたお菓子。

かわいーーと思って取ってあって、

夜中に帰ってきた日に食べてうんまーーーーてなりました😋