むりむりちゃん日記

私が孤独なのは私のせいではない

移民ロードとYちゃんのこと①

「海外移住と文化の交流センター」~移住坂~コープこうべ鯉川筋元町駅~大丸~メリケンパーク

 

 

4月最後の土曜日、神戸にある「海外移住と文化の交流センター」に行きました。

www.kobe-center.jp

 

 

半分ブラジル人みたいな友達Yちゃんのおすすめで「ブラジル移民祭」に行ったのです。

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Yちゃんが熱く語ってくれたところによると、

 

神戸港は1908年の第1回ブラジル移民船笠戸丸が出発した記念すべき地らしい。

・「海外移住と文化の交流センター」もすばらしい展示をしている資料館なんだけど、元は、全国からブラジルに移民する人々(日本人)が集まってきて事前に準備をしたり(健康診断や必要書類)、ブラジルのことを学んだりした施設だったらしい。

 

 

そして毎年、「移民祭」では、「ブラジル移民何周年(今年は110年!)」というのを記念してプチ移民体験をするらしい。それはハイキングで、当時移民たちがいよいよ日本を離れブラジルに向かう船に乗るために施設から神戸港まで歩いた道をたどって歩き、船に乗るらしい!!

 

 

Yちゃんは、愛知県にいたころからの友達。

そして、愛知県にいたころからこの「海外移住と文化の交流センター」を訪れていて、現在、ブラジル移民出発の地であるこの地(の近く)で働いていることにも熱烈な縁を感じていて、あと単純にこのセンターが好きで、今も時々行っている(そして泣くらしい)。

Yちゃんは高校生のころからの気合の入ったブラジル好きで、ポルトガル語が話せたりブラジルに行ったりするだけじゃなくて、日本でブラジル人に日本語を教えるボランティアもしていたり、オールラウンド。だから、日本に移住してきたブラジル人のこともよく気にしている。他人事じゃないんだ。

 

私が仕事を辞めてフリーになったから、それをお祝いした夜に「移民祭行ってきたら?」とすすめられた。

実は私も大学院で移民のことについて調べていたことがあって、それ以来「移民」は私のテーマの一つでもあった。

特に、「からゆきさん」のこと。*1

そういうことも忘れてた。

そして今の私はすっかり「移民」なんだった。愛知県からの。大事なことを思い出したな。

神戸って、なんてメモリアルな場所なんだ! 行かなくちゃ。

 

今までもYちゃんに移民祭のこと聞いていた気がするけど、ゾンビだったからとても行けなかった。今回は一人でも行ってみようと思った。

 

まず、「海外移住と文化の交流センター」はすばらしい施設だった。建物かわいい。色かわいい。北野の異人館の近くにある。

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祭りは上の階のホールで盛大に行っているようなので、まずお勉強しようと思ってロビーでおにぎりを食べながら館内説明のビデオを見る。

そのあと、これもYちゃんおすすめの写真展「大原治雄写真展 ブラジルの光、家族の風景」(5月6日(日)まで)を堪能した。

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移民した大原さんの写真による記録。子どもかわいい。奥さんかわいい。信じられないくらいの農村。絵にかいたような農村と子ども。移民の人たちは絶対に苦労していただろうと私は決めつけているけど、このすばらしい光景! 

(外部の私が勝手に決めつける)苦難とはまた別の世界と生活がのこされていて胸を打たれる。

 

2階は当時の「国立移民収容所」(という名前だった。よい印象を与えないので賛否あったみたい)の内部の再現と、解説。共同生活とか共同寝所とか共同浴場とか、虚弱な私には無理なことがいっぱいあったけど、すごく興味深い。ここに人がいて生活していたんだなあと思った。(Yちゃんはこの辺で泣くんだと思う。)

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とにかく情報が多いし、映像も多いし、実際の農具やミシンとかの道具の展示、伝えたいことや伝えなきゃいけないことが山ほどありすぎな感じが伝わってきて、一度じゃ無理だなとすぐに悟りました。また来よ、と思って3階、4階へ。図書室とか図工室とか教室とかあって、いい雰囲気。外国の自由なムードがある。椅子とかテーブルの形かわいい。日系ブラジル人の子どもたちが日本語を学んだりしているらしい。市民も使える場所みたい。すばらしい~。

 

資料館の存在もその内容も、とにかくほとんど何も知らなかった。なんで何も知らないまま5年も近隣に住んでたんだろう。移民なのに。私のことなのに。

ゾンビすぎでしょ。

 

一方で、あまり知られていない施設であるというのも事実らしかった。こんなにも充実しているのに。宣伝とかアピールをうまくしたら、もっといいかもしれない。小中とか高の教育機関も社会見学に来る方がいい。関係者だけの施設じゃない。っていうかみんな移民。みんな関係者。(知ったばっかりのくせにえらそう。)

 

移民祭は盛り上がっていた。私は何の関係者でもないのに行ってもいいのかな~と躊躇したけど、別に大丈夫だった。見たかった作文朗読と仮装大会は終わっていて、歌手の方が歌ったり喋ったりしていた。

ブラジル人はお話を全然聞いていなくて ずっと喋っている からびっくりする。でも歌の時、一緒に歌い、踊る。喋ってしまうのは悪気なくて、そういうものっていう感じ。そのあとの港までのハイキング~乗船についての大事な説明も聞いていないので注意されてる。

 

100人ぐらいの人がいたけど(たぶん)、無関係者は私だけで、みんな家族か知り合いっていう感じだった。あらかじめグループ分けがされていて、グループごとに歩くらしい。私はどうしても歩きたかったから、何となくいちばん後ろについていく。話しかけられるか、話しかけるか? と思っていたけど、勇気がなくてただ歩く。話しているのを聞いていたら、船からテープを投げるらしい。見たい!

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「移住坂」を下っているところ。

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「移住坂」を振り返る。上の方の山のふもとに、「海外移住と文化の交流センター」があります。

 あまり同じグループにずっといるのも気持ちが悪かろうと思って、坂を下ったコープで抜かして、鯉川筋で抜かして元町駅で抜かしたら先頭になったからもう自分だけで歩くことにした。ブラジル人たちはみんな黄色のTシャツを着て陽気に歩くので目立っている。楽しそう。うらやましい。

大丸も通る。どんどん歩く。すごく快晴で暑い。けっこう距離あるよ。移民の人たちはみんな大きな荷物を持ってずっと歩いていたんだろうな。

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彼らが最後に見た繁華街は三宮(当時)で、最後に見た景色は六甲山だったそうです。グッとくるな……。

 

ひとりメリケンパークに着いた私。

この後もちょっとだけ続きます……。

 

ひとり連載を何本も抱える。かってに……ふふふ。

 

「海外移住と文化の交流センター」と「大原治雄写真展 ブラジルの光、家族の風景」については、こちらのNHKの2年前のサイトが詳しかったです~。

 

www.nhk.or.jp

*1:19世紀後半、家の貧しさから親に売られた娘や、奉公先を逃げ出してきた女性たちが、「日本で身体を売るより海外のほうが多く稼げる」と聞かされ、斡旋業者の仲介で海を渡った。北はシベリア、中国大陸や東南アジア諸国を経て、南はインド、アフリカ方面にまでの広範囲にわたる。山崎朋子さんの『サンダカン八番娼館』(文春文庫)は「からゆきさん」の聞き取りよるすばらしい調査の記録で泣いちゃいます。