オランダ退職記念旅行④「飾り窓からアンネまで。ときどきアート」
アムステルダムの「レンブラント広場」で、毎週日曜日に開催される美術品市。
芸術家たちが自分の作品を並べている。なんてすばらしい。
「オランダに行く」って言ったらどこで間違ったのか「(私は)オランダに絵の勉強に行く」と勘違いした女の子に、手紙をもらいました。
「先生の絵は独特で素敵だと思うから、オランダで絵の勉強をしていても不思議じゃないし楽しみです。」と書いてあった。
かわいい。私の絵なんて下手すぎて全部誰かのマネなのに。うれしかった。
そうかー。オランダは芸術家の国でもあった!
オランダのこと、何も知らずにやって来たけど、好きなところが少しずつ、たくさん見つかる。
絵もあります。後ろはCOFFEE SHOP。スモーキーって書いてある。そのままじゃん。
いちばん好きな絵でした。
歴史的な家並みをこんなにポップに描くなんて。色がかわいい。
15:00になったので、アンネの家のHPにアクセスして16:30のチケットを取った。本当に取れました。
別のルートで頑張って戻る。ずーっと歩いている!(途中お茶した。)
咲き始めのチューリプ。道端の植木はチューリップでした。
カラフルすぎるお菓子。カラフルが楽しい。街ぶら楽しい。
考えてみると、アンネたちが隠れるにも、もってこいな家の構造でもある。
飾り窓からアンネまで。
家の構造が、その中の人の行動を決めるって聞いたことある。
ある瞬間、その中が、その人たちにとって世界のすべてになる。
アンネの家ではオーディオガイドが完備されている上、世界各国の言語に対応しているからありがたい。各部屋で、ハンディな機器を耳に当てて個々に説明を聞く。
一家がアムステルダムに引っ越してきて隠れ家に住み始めるところから話が始まる。
姉のマルゴーのことや、支援者のこと、有名なミープさんについての説明があったりして、みんな神妙な面持ちで聞き、移動していく。ユダヤ人が付けさせられたというバッジや、ユダヤ人が住んでいる地域が黒い点で明示された地図が生々しくショックでもある。
ただ、私も含めて、人々がみんな新しい部屋に入るたびにまず、機器をあるコーナーにかざして「ピッ」と鳴らし、またそれを耳に当てて説明を聞き始めるという方法と、それを無心で(神妙に)行っている姿がちょっと珍妙だった。
つまり、神妙な場所のわりに常に誰かによる「ピッ」が聞こえてきて(混んでるから)、そのつど我に返るというか、かなり混んでいるからむしろ連続的に「ピッ」「ピッ」いっていて、その機械音と、壮絶な人生のことや、まさにその場所でアンネたちの日常が起きていたのかとか神妙に感じとろうとすることのすべてが一斉に起きて、神妙どころではなかった。
……って、きっとアンネも書くんじゃね?
ここにかざしてピッとする。
オーディオを耳に当てて一生懸命聞くみんな。
ともかく、リニューアル(つい最近)して設備も整い、利用しやすくなった反面、システマティックになっちゃったみたい。
それもまた難しい問題だなと思った。
「自分の母語によるガイド・説明を聞く制度・ピッとしてその部屋をクリアしていくルール」
という完璧設備によって、部屋ごとの説明文をただ何となく読み流したり、説明はいいやと飛ばして移動していくことはほとんど皆無になり、
つまりなんとしてもこの事実を知れよ、
ということを(半ば強制的にでも)徹底するためには、こういうスタイルをとるしかないのかな、という気もした。
そこで失われるのは、
・自分(観光客それぞれ)がその場所にたたずみ、考えたり感じたりする余地のある空白の時間。
・アンネはどんなふうに暮らしていたんだろうとぼんやりする時間。
観光客がそういうことをしたいと思っている、とか、その自由に任せる、とか、そういったことへの信頼はなさそうだった。というか、そんなこと言っていられないぐらい「人気スポット」で、(狭いし!!!)、そのことを全部含めて考えた時の、このミュージアムの使命として、「とにかく知れよ!」という啓蒙に行き着いたのかもしれない。
それでも、アンネとマルゴーの部屋に貼られていたポスターや、アンネの自筆の日記の文字の几帳面で美しかったことなど、そこここで、
アンネが自分と同じように、確かにそこに生きていた実在の女の子だということ、
私と同じように書かずにはいられない女の子だったのだということを、
私もここで初めて感じた。
狭くて暗くて急な階段。這うようにしてのぼりながら、日本の城を思い出してました…。これが日常とかさ。
有名な本棚。この奥に続く隠れ家に住んでいたそうです。