おもしろソロ活動ほうこく🎊
前回書いた日記*1と、ぜひ続きで読んでもらえたらと思います。
息巻いていた私のmanuke拍子抜けなところも見てください~🌷
~プロローグ~
ソロ活動の夢がかない、十年来の友達りかちゃんと二人で、
駅deお茶、ならぬ餃子de乾杯することができました☕🍺
りかちゃんの話を聞いたり私の話を聞いてもらいながら、この思い付きの経緯とか、
私の希望(「また2人でも会いたいよ!」)と、
今後の展望(「どうしたらかなうんだろうか~?」)を話したりした。
一緒にやっていこうよ、ということになった。
よかった。よかった。
一見無謀だったり、頭のオカシイようなことでも、「やりたい!」って言ったら周りは案外協力してくれたり、ふ~ん、そんなものなのねえ、ってやってくれたりする。
今回は、もちろん寛大で親切な義父母のご厚意があってこそなんだけれども。
それでも、やはり意志のあるところに道が開かれて行くことをここでもまた経験したような気がした。
むしろ、たまには珍客もよかったのでは~? とか、
大事でかわいくてたまらないお嫁さんの好きなようにさせてあげたいという気持ちも感じたなあ……(それはいろいろなプレッシャーのかかるお嫁さん本人のとらえ方じゃなくて部外者のキラクな立場の人の意見です~)とか、
うまくいったじゃーん、とか、
私今後こういうふうに活動していけばいいんじゃない?! とか、
帰りのバスの中で一人で悦に入っていたら、
妹にLINEで「それはりかちゃんのおかげだね。大感謝だね」とくぎを刺されて、たしかに……と我に返りました。
これは、りかちゃんが日ごろから義父母とよい関係を築いているからこそ実現できたことであるのだよなあ。そのことがとっても立派で大事なことだったなあ。
いつも自分自分って、してちゃいけない。
実際、りかちゃんが義父母に「友達が(謎に)岡山の家まで会いに来る」
ということを、言い出せるようになったのは最近になったからだよ~、
ということも話してくれた。
人と人との関係は単純じゃなくて、時を経て重層的に織りなしていくものなのであるなあとか、それには時間とかメンバーの変化とかいろいろなことが作用するんだなあということを、私もここに来てちょっとだけ見せてもらって想像できた気がする。
それでは最初から書いてみます~
おや、飛行機雲ぞ…笑!
岡山です! ここからさらにローカル線に乗って行き、さらにそこから車で15分。
ひたすらに山と田んぼと川と道。
私の脳内計画ではさすがにそんなつもりはなかったのですが、なんと、友人の夫の実家にお邪魔するという謎な事態に。
車で迎えに来てくれたりかちゃんに、
「ねえ、これってやっぱり変じゃない?」と言ったら、
「うーん……私も義父母に言ってみてから『あれ? これ、ええんか…?』って思ったけど、もう気付かなかったふりして貫き通したよ」と返ってきました。
ちなみに、私はりかちゃんと十年来の友ですが、夫とは特に交流はないです。
「義父母がね、『なんでわざわざこっちまで来るの?』っていう流れになりかけたから、めぐたんのこと、仕事辞めて悩んでる友達ってことにしたからよろしく!」
と言われ、それはもう臨むところです。実際だいたいそんなようなものだ。
りかちゃんの完璧計画では、お迎え→夫実家へGO!→子どもたちとご対面→二人で岡山駅でお茶する→解散
というもの。
私のmanukeぶりが、あらわれ始める・・・
ひどいことに、私はソロ活動実現に夢中になるあまり、
また友人の夫実家に行くという発想はさすがになかったために、
その間の「実家へGO!→子どもたちとご対面」の存在が想定できておらず、
【そりゃあ赤ちゃんにも、このたびお姉ちゃんになった娘ちゃんにも会いたいけど】
今回はソロ活動で! 的うすぼんやりな状態で向かっていた。
ただ、岡山駅で何かレターセットか葉書(自分の)を……ないない……とぐるぐる回って、あまりに見つけられないので本屋でリサ・ラーソンのペーパーセット1800円を買うかどうか(急に?)の選択に迫られていた時、ダメもとで再再度訪れた売店で、
これと出会ってしまった!♡♡♡
ミッフィーちゃん岡山ver. 桃もっとーる。KA・WA・I・I♡♡♡
私はオランダでミッフィーちゃんをあまり買わなかったことをどこかで引きずっているふしがあり
(現地での様子から、ミッフィーちゃんグッズは結局(太い顧客である)日本が最も充実しているのではと結論付けたためなのですが←メンドクサイ!)、
これはその心の隙間にぴたっとはまった瞬間なのでした。
買いたい! そしてあげたい娘ちゃんに……!
プレゼントすることによってりかちゃんの負担になるのはいけないのですが……
でもいいじゃないかどうかおねがい! と心に決めて、手に持っていた他の品々はすべて戻し、ミッフィーちゃん一択でレジに向かいました。
レジのおばちゃん、「これ、ここにしか売ってないんですよ。ミッフィーちゃんは飽きがこなくていいわよね」とうれしいことを言ってくれる。
ここはもしやオランダ?(人々がうれしいことを言ってくれる国。)
買いたいし欲しいんだけど、あげたい。
よりかわいい人が持ってるほうがいい。
もらってくれるなら、私が持っているのではなくて絶対にもらってほしい。
こんな気持ち初めてで、なんと表現していいかわかりません。
しかし、これがおばさんの気持ちか……と、名付けたらすごく腑に落ちました。
おばさんって、middle-agedのほうね、親戚じゃなくて(わかっとるわい)。
無償の愛だよ。いや、もらってほしいって求めてる時点で無償じゃないんだけど、とにかくそういうなんか少女おばさんです(こわい)。
それで、一気に気分盛り上がり、娘ちゃんに会うのを急速に意識しました(遅い)。
大誤算
最初に書いたように、すべてがうまくいきました。
りかちゃんとデートできたし、ちゃんと話もできた。
今後も一緒にやれたらいい。たのしみ。
しかし、ただ一点、 大誤算があったのでした。
それは……
子どもたちが、か・わ・い・す・ぎ・たーーーー!!!
とくに2歳になった娘ちゃん。
12月に三人でIKEAに行った時よりもずっと大きくなっていておしゃべりができるようになっていて、か・わ・い・い。
何がかわいいかってすべてなのですが、私を認識している(ようである)のがやっぱりとってもうれしくてかわいいのです。
そんなことはまったく予期していなかった。
りかちゃんいわく、
「人見知りするんだけどめぐたんのことは大丈夫みたい」とか、
「前は『ねずみちゃん』寄りの『めぐみちゃん』だったのが最近は『めぐみちゃん』って言えるようになった」とか。ぬおおーーー鼻血出る。
りかちゃんはやさしいのでサービストークもあるのでしょうが、認識されいてなおかつ好印象(かも)となると、ガゼンうれしいのです。
お母ちゃんのソロ活動を推進することに目が眩んでいてごめん、と思う。罪悪感生まれる。
そういう自分の単純で必死なところも、客観視されれば間が抜けていて笑える。
それでも、やっぱり同時に(withお子ちゃまも、ソロも)やっていきたい。
その両方があっての、もう一方への余裕とか我慢とか発見とか感謝とかが生まれてくるような気がするのです。
娘ちゃんは本当にかわいくて、一緒に絵をかいたり、写真を撮って遊んだりしました。
(絵だって私は最近クレヨン使ってかいたりしているからスッと手が伸びたようなもので、今までは『まさか! 私がクレヨンとかむりむり💦』って言ってたとこだよ~。自由な日々が絵もかかせる。自由は本当に大事。)
ミッフィーちゃんもよろこんでくれて、たまに「ミッピーちゃん」と言うのもかわいくてたまらず激写。ていうか模写。(こわい?)
かわいいと描きたくなる。うれしいと書きたくなる。のですね~