むりむりちゃん日記

私が孤独なのは私のせいではない

放浪記 第一章〈3〉本山~覚王山はさまよいロード

先週の水曜日に本山のスタバで書いていた時、その時は高揚していたんだけど、帰りは地下鉄代の節約で本山から千種まで歩いた。

 不安きざす

 

本山ではまだ歩き始めの張り切りを保っていて、街路樹の黄色も明るく、写真を撮ったりしていた。しだいに、というか1ブロックぐらい歩いたあたりですぐにこれはいけないと思い始め、いやいや大丈夫だと言い聞かせ、試すように、ことさら見覚えのある路地や店、看板をじろじろのぞき込んだりした。自分の精神を痛めつけるように。(暗いよ。)

 

つまりそれらは私が6~7年前仕事を辞めて無職だった時に、何かを求めて(何もないのに)さまよい歩き回っていた場所でその時の風景で、不安な気持ちそのものだった。

やるせなくて、焦って学生時代のバイト先(しかも塾)にもう一回雇ってほしいと電話して、そこにやりがいを見つけるしかなかった日々の情けなさと恐れと自己嫌悪の景色。

 

そのあと、産休代行で年度途中から入った私立高校で講師になって、さらなるやりがいめいたものと収入と立場を確保してからもときどき通ったけど(職場同じエリア。いつも名古屋の東部でウロウロ)、新しく仲良くなった同僚に車で駅まで送ってもらったりして、つまり、安全なその車内から、当時はツラかった的な視線で当時の自分を思い出していたりして、もしくは関西に行ってからは帰省したときに気まぐれに読書や何かしなくちゃ何もできてないという切迫感で出かけてきては当時を回顧したりした。

本山から覚王山にかけてのなだらかな坂の風景。

 

それでつらくなって、あ、この思いをまたすることになるんだ。無職っていうのはそういうことだよな。税金も高くて年金も高く感じて失業保険はありがたいけどもらいに行くのがむなしくて情けない気分になって車で母に送ってもらうような、方法も方向もわからないででもこれが書くってことに決めた人の不安と苦しみなら仕方ないのかとか、やっぱり辞めずに両立するっていう方法は無理なのかとか、いや無理だなとかの、不意におそわれるひやっとした恐怖。

 

自分が安心するまで考え続けるという一連のルートをたどるまで消えないいつものやつ。これを再び引き受けないといけないのかと思ったらぞっとした。

 

またすぐ就職しちゃうじゃん。って思ったら笑えてきたけど。すぐ就職する笑。

 

誰にでも自分を重ねる癖が災いして、道のおじさんにも重ねる。60オーバーそうなのにハローワーク行ってきたとかさ。それで、なかなかしんどいとか言っててうえって思ってしまった。テレビのなかの話だけど。

 急にひらきなおる

 

まあそのことの恐怖は消えないよね。でも謎にサド的に自分を痛めつけなくてもいいはずで、嫌なんだったらあのエリアにいかなきゃいいんじゃないかと思う。あの時におそった恐怖は、何年もたっても(何年だっけ)変わらず、つまりずっとこわいまま。同じこと繰り返して失敗してまた繰り返しみたいなことになるんじゃないかという不安。まったく同じ道(リアル道のこと。覚王山の)で、お店だけなんか微妙に変わって、バーがマッサージ屋になって、雑貨屋がつぶれて空き家になった。

まったく思考の変わらない人がまったく同じ不安抱えてまったく同じ道をさまよい歩くってばかみたいじゃない? って思う。なんか。

この6、7年の間にやってきたことってあったはずだ。あの時とは違うことがあるはずだ。ばかな自家中毒にならなくていいような、自分が苦しみすぎなくていいような。天気や自分の気分に左右されるだけではない方法で。

光さす

 

はっきりしたことはわからないけど、明らかにわかることは、一人でやらない方がよさそうだということ。気の合う人と、共同的に何かをつくるってことをすべきだな。そのほうが楽しくて向いている。って占いで言ってた。自分のワークは自分でするとして。1週間まるっとひとりで耐え抜かなくていいんじゃないかってこと。その方法を考えよう。それから、自分がそれをしたらどう思うのか?っていうことをよく味わったり観察したりしようと思うようになった。いままで死んでた私の中の部分があるみたいな気がするから、そういうことを復活っていうか息を吹き返すみたいなこと。

 夢想する

 

書きたいなー書評、っていうかエッセイ。『勝手にふるえてろ』(綿矢りさ)と『どんぐり姉妹』(よしもとばなな)。それから『日の名残り』(カズオ・イシグロ)も本当にあんな話だったっけ?

完全に『どんぐり姉妹』に癒されていて(あとは安冨先生の本)、書くのがセラピーの姉とか、居るだけですり減らしている精神のことや、食べ物だけじゃなくて知らないうちにその場の空気とかも食べちゃってることとか、それで殺している自分のこととかのことが書いてあって、だよねと思った。夢で見ることと現実がつながっていたり何かの予感がしたり、人や物のこと(今後)がすごく手に取るようにわかったりすることとか。今私がそうだからかもしれないけど。時期っていうのがある気がする。それが今な気がする。

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