放浪記 〈綿矢りさ『夢を与える』〉
生活に本が足りない、って思ってるから、買ったのに表紙裏のあらすじで何度も挫折してる綿矢りさの『夢を与える』を読むことにする。
やっぱり不安なので、犬童一心が書いてる解説をかいつまんで読む。
多摩のシーンが絶妙らしい。
川の話?
何度も読みたくなるらしい。
よっしゃ。
チャイドル(古…。私の語彙です)の夕子の性格がよくて安心する。
大人によって性的に搾取、とかされる流れがきっちり回避されているのがよい。
ブレイクのきっかけになるチーズのCMの、子ども時代からその成長過程を記録して流し、国民全部で共有したいというテーマは変態的(でもよくあるやつ)できもいと思ったけど、逆にそれが功を奏したのかもしれない。フィギュアの真央ちゃんみたいなポジションにスッと納まる。よかった。
夕子の中学校生活の中でも大人の市場主義はよぎるんだけど、同級生がCMを真似てからかってきたりする程度で終わり、いじめに発展したりしない。
そのまま、全然芸能人ぶることなく普通高校を目指して進学する(けどたぶん挫折しそう)のも安心する。
もう、そういう大人の世界に無理やり組み込まれて消費されてボロボロになったり、みずからドロドロしていく子どもやアイドルの姿見たくないんだよな。
それはもしかしたらファンタジーなのかもしれない。
けど、それがいい。
そのファンタジーを守ってくれるのが、中学校の同級生の陸上少年で、彼は夕子が初めて両親の不仲の兆しに気付き、行き場のない孤独を感じたとき、ただ一緒にいてくれる。
それは本当にただ一緒に居るだけっていうことに徹底していて、夕子を自分の家に連れて帰り(魚屋)、「そういえば今日は自分が当番だった」と魚をさばいたり、病院から帰ってきた祖父と三人で飯を食べたり、その後祖父が「じゃ、わしは寝る」と言ってすぐそこの部屋(これも安心)に布団を敷いて寝てしまうと、夜道を送ってくれたりするだけ。
夕子が、卒業式で、「卒業しても会える?」と聞いたら、「家知ってるだろ? いつでも来たらいい」と言うだけ。
それが夕子には安心で、それ以上深い関係になることはない。
そのあと高校生になって芸能活動がもっと忙しくなり、父母の夫婦関係も複雑になっていくしいろいろ大変なんだけど、夕子がこのままふつうにさわやかなのがいいなと思って読んでる。
と思ってごろごろして気づいた。
その少年の名前、多摩君!
あ、多摩川のシーンじゃなくて、多摩君がよかったのね、犬童さん。なるほろ。
わかるーー。深くないのがいい。でもいてくれるのがいい。安心が欲しい。それが友達。
途中なのに書いちゃった。