むりむりちゃん日記

私が孤独なのは私のせいではない

バスで泣く

バスの中でTwitterを見ていた。

今日の画面の中はひどかった。本当にひどかった。

いつものタイムラインだって、私のフォローしている人たちのジャンルや傾向からたいがいひどくて、女の人の被害とか直接的な言動のレポート、それらに憤る声や対処法とかが多くて地獄絵図だったりするけど、その辺は自分でそういうフォロー設定にしているわけだし「閲覧注意」なのもわきまえていて調子が悪い時は最初の3文字ぐらいで飛ばすなどしてうまく付き合っていた。

ていうか、そこで憤っている人たちこそが私の友達だったから、確認というか支えっていうか、居てもらわなくては困るというような存在でもあった。

本当はそれだって読むだけで一緒にザクザク切りつけられて傷ついていたのだろうけど、私だって麻痺していたのかもしれない。あるいは大丈夫だというフリ。

 

今日一斉に流れてきたのは、四国や中国地方の洪水の画像、首相が緊急対策本部をまだなお立てていないこと、2日前に執行された7人の死刑のこと、それが実況中継のように報道されたこと、テレビの生放送では執行されるごとに「執行」というシールが貼られていったこと、死刑の前日に開かれた自民党の宴会で笑顔で写真に写る首相と法相、その時間にはすでに大雨で何人もの死者が出ていたこと、このような中で首相がフランスに外遊に行くという報道、災害支援よりも高い日本の軍事費、オウムのサリン事件の振り返りと冤罪事件について、カルトへの傾倒が特異なことではなく本当はとても身近であること、オウムと現在の政権の重なりの指摘、死刑とは刑務官に殺人を犯させることだということ。

 

フォローしている人たち(人権派、人命重視派)が次々にツイートしリツイートしたこれらの情報が押し寄せてきて、私は頭がおかしくなりそうだった。

いや、もうずっと、おかしかったのかもしれない。

大雨が何日も降り続き、特別警報が出て、まださらに降ると警告されてもどうしたらいいかわからなくて、家に居たり自分で考えて出かけたりした。書かなければいけないと決めた文章を書いていた。ご飯を作って食べ、眠った。友達とLINEをしたり、クローゼットの下に置く衣装ケースをアマゾンで注文した。

 

その途中に、死刑の執行はあった。

いつものような事後報告じゃなくて、テレビはすべてその報道に切り替わり、刻々と執行のことを連絡してきた。テレビの中の人たちは少し興奮しているようにも見えた。とても変で不気味で、タイミングもおかしくて、私はただ茫然としているしかなかった。 外は警報が出ていて、避難指示も出ていて、遠くの親や妹はしきりに心配のLINEを送ってきていた。私は避難指示に従うべきかどうかもわからずに、文章を完成させるために出歩いたりやっぱり後悔したりそれでも書いたりしていた。

 

書きながら頭の裏で、こんな不安で悲惨な日に、正しいかどうか誰もわかっていないこと、でも間違いなく人が人の命を奪うということをするなんて、私たちはそれをさらに負わされるなんて、なんてひどいことだろうという絶望を感じた。

それまで私は、国っていうのはその国にいる人を元気にしたり支えたり共に歩いたりするようなものだと思っていた。国民と国はそういうことをお互いにし合って助け合う関係にあるんだとぼんやり信じていた。人と人みたいに。そういうことへのぼんやりとした信頼があった。私に愛国心があるとすればそれだと思っていた。でも、この日にそれは崩壊した。

 

災害は仕方がない。人間が勝てるようなものじゃない。でも、人々が人間の力ではとても及ばないようなものにおびえ、自分の無力さや傲慢さへの反省も含めた不安や、つらくてどうしようもない気持ちでいるときに、さらに、罪の意識や責任や解決できない苦しみ、存在そのもののの苦しみを負わせるのは、あまりにも野蛮で非人間的な行為だと感じた。

 

一方的な情報の伝達に、ただなすすべもなく打たれ続けるしかなかった。疑問も抵抗も間に合わないぐらい、事はとてもスムーズに流れて行った。

私は感覚を麻痺させた。ただ見ているしかなかった。

死刑の是非も、時期のことも、議論の余地もないまま、国家によって、いや私たちの手によって殺されていくのをただ見ていた。

これは罰なのだろうか。

被害を受けた人たちのことをいつもは考えていないことへの? 

死刑の是非を日々議論していないことへの? 

目先の快不快にしかとらわれていないことへの? 

自分の生き死にを国家に委ねていることへの?

 

バスの中でスマホの画面を見ながら流れる涙が止まらなかった。今も。この国はどうなってしまって、これからどうなってしまうんだろう。いや、それより私はどうなってしまったんだろう。自分が死刑執行のボタンを押したのも同じなのに、何も感じずに今もこうして生きている。私は変わってしまったんだろうか。

何かが決定的に変わってしまったと思う。それが怖くて辛くて、こんな国であることもこんな自分であることも恐ろしくて泣いた。

四国の、ありえないほど変形し波打った道路の衝撃的な写真に、これを何も思わなくなる時がすぐそこまで来ているのかもしれないと思った。それはもう自分が自分じゃなくなるってことだ。このことに何も思わなくなるのだとしたらそれはもう生きている意味がないよ。

 

昨日の夜、何時間もやっていた音楽番組がこわかった。

司会者や歌手が「被災地の人へ」と言ったとしたら終わってるけど、何も言わなかったのも同じぐらい不気味だった。常に画面にはL字型のコーナーが設けられ、恐ろしい警報と避難情報と被害情状況が流れ続けたけど、大きい方の面では歌手がいつもと変わらず歌ったり、司会者や芸人がおしゃべりしたりしていた。日本の全員は大きい面の方に居て、被害を受けている人たちはあのLの中の文字の中にしかいなかったみたいだった。いやそれどころか、日本っていうのは東京だけのことで、それも死刑もない国TOKYOで、まるであの日あの時日本では何も起きていないかのようだった。

音楽番組が終わってチャンネルを変えたらオッサン3人が正しいセクハラ謝罪会見の開き方をネタに楽しげに話していた。どこにも、だれもいなかった。

 

バスの中で泣き続け、自分でもどうかしていると思ったけどこれが普通のことだとも思った。おかしくならないほうがおかしいんだ。私は仕事を辞めて自分を回復させてきたけど、自分を殺して生きていたゾンビをやめて生き返るということはこういうことなんだと思う。とんでもなく辛いことをそのまま全部感じ取っていくということ。だってこれは本当はとてもおかしくて辛いことだから。

 

安冨先生が、クラスに不登校の子がいるのに普通に授業が行われていくことの異常性について話していたけどそれはこういうことだと思う。やっぱり今とても変だし、変に合わせるということは自分の中の大事なものを壊して殺して変になっていくということなんだと思う。

自分をとりもどした時、本当は毒だったけど今まで麻痺させて入ってくるままにしていたものがそのまま体に効いてしまって身体も頭もおかしくなる。

だから私は自分のおかしさを健全さの証拠だと確信しながら泣いて、泣き止んだ。

バスが停留所に着いた。

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