むりむりちゃんな私は、むりめな高校生活をどう生き抜いたか!
なんか熱いタイトルを付けてしまった。
風邪引いてるのに……風邪引いてるからかな。
風邪引いてる(しつこい)のに、おひるにお菓子食べちゃだめなんだろうかな、やっぱり……。
書くのは体力がいるんだぜ。
トマトとハムとチーズをサンドして食べました。
サラミみたいなハムで、香りに満たされました!
前に予告したように、無理無理な私はいったいどうやって高校生活を送っていたのか?
自分でも謎です。
私は、英語科という特別学科に通っていたので、周りが全員一律のあのしんどさを感じる機会は、普通の高校より少なかったかもしれません。
帰国子女や留学経験者も何人かいたため、全体的にカオスなかんじでした。
一応進学校だったけど、ピアスやパーマ、化粧をして制服改造している人も、
校則通りにきちんと着ている人も混在していて、
ふだんは真面目なんだけど冬は寒くて上は厚手のセーターとか急に制服じゃなくなる私も気に入っているところでした。
でも、世界は一部のキラキラした人達のものだということは何ということもなく感じていて、そういうのは生まれによって決まっているんだろうなと感じていました。
私は英語科でよかったとおおむね思っていますが、そのキラキラ層に「英語」の要素が加わるとけっこうとんでもないことになるってことも、想像したらわかってもらえる気がします。
が、市民権を得たような顔して歩く感じ。
そのうえ自己アピールが激しく、徒党を組む性質も、普通科のキラキラ組と同じなので、騒がしさが上乗せされたぶん、厄介だったのかもしれません。
私は、大人しくて、自分がこのクラスで「浮いている」と自覚している女の子たちと一緒に過ごしました。
それによって孤独が癒され、知的にも満たされたのと同時に、一人で過ごしたいという意識も芽生えました。
いや、一人になる勇気はなかったから、そのジレンマにもがいていたという感じ。
一人でもいられるようになりたいのに、どうして一人ではいられないんだろう、といったような。孤独を強さだと感じ、憧れていました。
それで、自分ではどうしようもない機嫌の悪さを紙にぐちゃぐちゃと書いたりしていた。そういう日々でしたな。
当時から私は拘束されるのが無理だったので、学校が終わったら一目散に帰っていました。🚌 高校まで、電車と地下鉄とバスを乗り継ぎ1時間かけて通っていたこともよかった。違う世界に行き、帰るという感じ。
家で何してたんだろう。なんか、おやつとか食べてたことぐらいしか思い出せない。
思えばそういう人がいっぱいいた気がする。
みんな、わりと一目散に帰っていた。部活部活っていう人もいたけど、洋楽にはまっていたり、好きな俳優に夢中になっていたり、バイトしてたり、デートしてたり。
英語も私を助けてくれたような気がします。
自分のことを説明する言葉を複数持つことは、当時の私にある程度の落ち着きとプライドをもたらしました。クラスには常に英語でひとり言をしゃべっている友達もいて、めちゃくちゃカッコよくてひそかに真似してた。
今思えばそれが、いくつかの世界を持ち自分を楽にする手段だったということなのかもしれません。
高校時代はそういう感じで生きていました。
教員になってからも学校にはあんまり居場所はなくて、というか転勤したらするごとに、ますますなくなって、しだいにそんなものを求めることを忘れていった。
思い出したときに必死になって探したけど、校内にそんなものは見つかりませんでした笑。
ただし、図書館と職員室は好きでした。これはいつも。
(あとは生物準備室! 好きな人のところに入り浸るくせがある。)
そこで、仕事と全く関係ない話を、好きな人たちや通りすがりの人たちとするのが気分転換で救いでした。アジール(避難所)というやつですね。関係ない話、っていうのが大事。それが一緒にできる人はそんなに多くはなくて、でも、してくれる人のことは大好きでした。うふふふふ。
話は戻って。
言いたかったのは、相手を嫌いになりすぎる自分も、また相手のことも、責めないでおくれ、ってことです~。
相手や自分のことを思いすぎて思い詰めたり、苦しくなったりするのは環境上やむをえないことですから、(諦めるわけでなく)、それを自分や相手の内面の問題に引き取ってしまわないように。
環境を憎んで人を憎まずです~。
(そんなに悪い人じゃないから。あなたも、私も。たぶんちょっと繊細なだけ。)
で、つらくなりすぎる前にビー・アローン!これ鉄則です。
世界を広げる、そこだけにとどめない、とどまらないってことですね。
でもその場所にいなきゃいけない、辞めるわけにいかない場合どうしたら…うーむむ。
やっぱり、勇気を出して休むのはとっても大事なことです~
皆勤賞ってあったっけ…? 忘れちゃった。
世間に皆勤を重視する向きがまだなおあるのは事実ですが、
その思想(皆勤をめざせ。毎日来い。)こそが自分たち(の社会)を苦しくさせている原因でもあることに、最近になって多くの人々が気付き始めています。
出席が過剰に重視されるのではなく、いつでも気軽に休めることの保証が、
人々がより気軽に学校や仕事を一つの場所として楽しむことを可能にする方法です。
(そのことが、その場におけるよりよいはたらきにつながる、と信じているのじゃが……👴)
そこに全勢力を注がなくてもいいのです。
よそに場所を持つ余裕を持たせず、一つの場所に時間も心も縛りつけるようなやり方や、命を懸けるかのようなことを相手に要求するのは、実はとても傲慢で恐ろしいことなのだと思います。
皆勤賞があったかどうかさえ忘れる先生もいるぐらいなので、もはやそんなレベルの問題ですぞ…🐞
まったく関係ない人と、まったく関係ない話をする。
すごく好きな友達でも、すごく嫌だと思ってる人でもなく、あんまり話したことのない人と話す、のはどうじゃろ…。なんでもない話をするんです。気軽にぶらっと~。
インスピレーションで!
相手は先生でもよろし。広がる世界があるかもかも。
自分を楽にするのが大事です~。気を紛らわせるんだ!
オンリーワンのベストフレンドや正解じゃなくて、いくつものいいかもいいかも~なつながりの発見が、楽かもですね。私もですね。🦆
「ちびこ ほんめつとむ」 (ねむの木学園)