むりむりちゃん日記

私が孤独なのは私のせいではない

ディアマイフレンド

前の学校で同僚でお友達で悩み派の、マイフレンド先生が、メールをくれて、「ブログ読んでるけど更新してないからもしかして海外にいる?!」と聞いてくれたので、うれしくなって手紙を書くことにしました。

 

一人の人に向けて書いているのだけど、それはどうにも相手にとって重いところがあるようなので(長い手紙あるある)、オープンなところに置いておきます。

 

ディアマイフレンド先生

 

手紙をパソコンで書くなんて人生初なのでちょっとだけ興奮しています。

腰が痛いのです。たぶん寝すぎなんだが、背中が板のようになって動かないのです。

それで、私に合う椅子と机を求めて近所のカフェをさまよっています。(いつも通りの行動とも言う。)

だいたい、私の背丈に合う椅子や机なんて無いのですが、あると思って出かけていくしかありません。あるいは痛みを忘れて没頭する。まあ、それがよさそうです。

 

ヨガの先生はやさしくて、「腰が痛いから行くのをやめたい」と言ったら腰痛用のカリキュラムを考えておくから来なさいと言ってくれました。それで、レッスンの間中、弟子が付きっきりで私の面倒を見てくれるか、先生が逐一私を気にかけながら全体を統括しているので申し訳ないし、スパルタです。

先生は、私の気持ちはおかまいなしに、患者(問題や困難を抱えた人)に対してとても積極的でむしろ燃えていて、私の反応をつぶさに観察してはことあるごとに「どう?」と聞くのですが、腰の芯の痛みは根深く、「治った!」と完治を報告できないのがやっぱりどうしても申し訳なく思います。

でも、患者(困っている人)に対して自分の力を尽くそうと必死になることはすごく自分の姿と重なるから、それが先生がしたいことであるのだと思って、申し訳ないとかはあまり深く考えすぎないようにしています。先生の、すぐに生徒に親身になるところに、私はひとごとでなく親近感を覚えるから、やっぱり私がこの先生を好きなのはこういうわけか、とあらためて確認したりしていてけっこう快感です。

 

治らないことは恐怖と絶望なのですが、これは、いつからか冬になると起きるようになった身体の(絶)不調の2018ver.なのかなと思うことにしています。

去年は右首と肩と耳で、二年前は高熱が出て、その前は、ディアマイフレンドもご存知謎の顔腫れ事件(=歯痛)でした。

(あの時は悲惨な気分だったけど、原因不明で病院たらい回しの上やみくもに撮りに行った頬のCTが、後に先生の生物の授業教材になったから報われた。)


毎回必ず治ってきたのだからと自分をなだめて、去年教えてもらった不思議な力を持つシャーマンみたいな整骨院の先生(年齢不詳・美人)の予約を取りました。

ちなみにヨガの先生も年齢不詳の美人です。弟子もです。気付いたらみんな美人でした。

 

誰が私の書くものを読むのだろうという疑問というか孤独感や、世の人に対する不信は夏から高まっていって、消えることがありませんでした。

特にブログに関して。

 

これは、ほとんど学校にいた時の非充足感や、他の人々との隔絶感(による孤独)と同じ種類のもので、辞めたのに結局同じであったことに絶望しただけでなく、範囲が学校という狭い範囲から社会へと一応広がったのに同じであるということがさらなる絶望を呼び、死にたくなりました。

世の人に、期待していなかったのに期待していたんだなあ。

 

辞める原因ともなった、自分が関係したハラスメント関係(セクハラ・パワハラ)に対してはよりいっそう敏感になり、しかしそうすればするほど世の人々から隔絶していく悪循環。

自分がハラスメント関係や人権に意識を高め、フェミニズムに救いや答えを求めていくことは、自分を守り、当時負った傷を自分で癒していく行為だったのですが、そのことが、人々との距離を遠ざけていくことと同時並行に起きていき辛かった。

だから今でも、人々が何も考えていないことついてはトラウマだし苦手です。

これを書くとほんとうにただの恨み節になって「怨歌」って言われるのでやめるけど。(藤圭子は「怨歌」って言われていたんだってね! この前昭和を振り返るテレビでやってた。そしてめちゃくちゃ美人だった-----!!)

 

理解されないことによる孤独と恨みは友達への依存を高めたし、自分が一人で立っていられないような気になり、長く実家に帰ったりしていた。

新しい友達が欲しくて、なんか頼まれてもいないのにケアしたりして空まわったりした。

自分がしたいことっていうのが何か、わからなかった。

 

このままなのかなとか、もう死んでもいいし、苦しくないやり方なら今死んでもいいとはよく思った。

そのたびに、そう思うことは辛いことだと思って悲しかった。

 

考えていないのは寝る時だけだったからよく寝ていた。

それから料理もした。

外食にお金を使うのがしんどく感じて、家で料理ばかりいていた。今もその傾向は続いている。

料理をするのは最初はしぶしぶだったけど、ネットで料理の動画を見始めてから変わった。

料理動画を見ている時も、寝ている時と同様、自分が何も考えていなくてとても楽であると気付いてからはより積極的に見るようになった。見たら作りたくなっていろんなレシピを検索するようになり、ハマった。

 

料理を中心に(実際は何が中心なのかはわからないけど)すると、いろんなことに派生していった。

たとえば土曜日の朝、早起きして30分歩いた所にある都会の公園のマーケットに野菜を買いに行った。

そこで教えてもらって買った味噌がおいしくて、ただ味噌汁を作るという日のメニューを悲観しなくなったし、検索して出てきたレシピに味噌が使われていれば喜んで実行した。

料理をうまく作れた時の喜びはひとしおだったし、無理のないメニューを選んでいることもあってだいたいうまくいった。うまくいけば写真を撮って母や妹に送ってレシピを共有したし、それに対して彼女たちは(特に母)もちろん手放しで褒めてくれた。

セロリとか、名前のわからない野菜とか、そのまま食べられる小松菜とか、炊飯器で作るカオマンガイとか、生米から作るリゾットとか、これまで存在を知らなくて、存在を知らないから「したい(食べたい・作りたい)」とも思わないものだった。

西宮で暮らしていた時や、さかのぼって実家にいた時には私の生活には無かったような食材や料理が、私の気分を爽やかに変えてくれ、そのことに満足と新鮮な感動をおぼえた。親から離れて自分の好きなものを見つけるというのはこういうことか、と、久しぶりに、あるいはもしかしたら私は今初めて実感しているのかもしれない。

そういえば私は、お菓子を(大量に)作るのが好きな子どもだったし、同じことの繰り返しが苦手なかわりに新しいものが好きなのだった、ということを思い出したような気持ちだった。なんかそういうことがよみがえってきたというような感じで。私の中の死んでいた部分や、他の人の強烈な個性に圧倒(魅了)されて、無しにしていた自分のこと、物理的(時間、エネルギー、量りやハンドミキサー等の道具、バターも大体冷蔵庫に無かった)に無理でやめていたことも含めて。

私は「無し」じゃなかったんだなあ。意志がなかったわけじゃないんだなあ。

 

自分が作った大量のトマトリゾットを食べながら、すごく幸せだと思う。温かくておいしくて、期限の迫った米と牛乳(本当は少し期限切れ)を大量に消費できて、まだ明日も食べられる。

 

そんなときよく母のことについて考える。

母は、私が楽しそうに生きていて嬉しいと思う。そんなことをわざわざ聞いたことはないけど、なんとなく確信している。私が、何ものをも犠牲にして働き、自由になるお金を得て遊びごきげんにしていた時も「よかったね」と思っていたと思うけど、今の私のこともとてもいいと思ってくれているんじゃないかという気がする。私が思うような分野で成功することが母にとっても喜びだろうと勝手に決めていたし、そのくせそのことがうまくいかず努力さえできていなくて寝てばかりいる私に、さぞ心もとなく、不満に思っているだろうと勝手に思っていたから、引っ越してからずっと呼ぶことができなかった。でも、母にとっての幸せは、もしかしたら、私が成功することでさえなく、私が楽しく生きていることなのではないかなと思ったらたぶんそうで、そのことのむずかしさと単純さ、一時の恍惚ではなく継続していくためには時に任せているだけじゃなくて自分で何かしていくこととやっぱりそのしんどさを思うと同時に、それらを凌駕するほど、母がそう思ってくれることはありがたいことだと素直に思えた。

 

先生と会うときはもう料理してないかもしれないけど。


おしまい。(ひとまず)


つづきはもう少し狭い場所で書きますね。

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私が孤独なのは私のせいではない

◇この一年間で変わったこと◇ 

 

・ほぼ一年前に臨月の友達と会った時、「第二子で、初めての男の子だ」と言っていた。それで、「男の子を育てるのってどうしたらいいんだろう? 何に気を付けたらいいんだろう?」と聞かれた。彼女は、私のことを、けっこう何でも知っている人だと思っているふしがある人で、私は期待に応えなければと心中意気込みながらも大したことが思いつけず、歯がゆく感じたということを思い出した。

ただ、男だの女だのという性別を(しかも生まれる前から)親が決定して社会的性差に合わせて育てることの恐ろしさというか、危険性というか、加害性というか疑問というか、そういうことを言いたかったけど、理系で理科の先生である彼女はたぶん日ごろからそういうことに触れていないだろうし、急に言っても困らせるというか、引かれるというか、大変難しいことだ! と敬遠される気がした。

彼女を恐れさせたり、単なる部外者(私)による現状批判ということでは駄目で、それは意味なく母を孤立させるだけだから、そのための具体策や、『一緒にやろう!』という提案でなければ言う意味がない とも感じた。

例えば無責任に、しかし広い話題の一つとして、いわゆる一般の「男の子らしい」子育て(ってそもそもどんな?)への違和感(というか「女の子らしい」子育てに対しても同じ)を私が言ったとて、果たしてどこまで言ったらいいのか、そもそもたぶんそんなことを言う人は一般社会にいなさすぎて伝わらないな、と思って控えた結果、

「色は緑がいいかもね……なんとなく、男とか女とかどっちつかずな感じで。みたいな……なーんて」という、曖昧極まりない、しかも緑とかテンプレの! ことをモゴモゴ言って終わるという踏み込まなさで終わった。

だ っ て 押 し 付 け た く は な い ん だ YO!!

今だったら、言いたいことがいっぱいあって、まず、

・「男の人が実感しえない、男性優位にできている日本社会で、いかに女性を加害せずに生きるかについて、親子共に学びながら育てること」をオススメするし、

・ぜひ一緒に取り組みたいと手を挙げる。

これは、ジェンダーにとらわれないことを目指す生き方や育て方とおなじぐらい大事。

大事なのは、人を加害しないこと。誰かを加害していないか常に点検し、反省すること。そして、被害に遭っている人を守ること。

でも、それは、親がどれぐらい本気で知りたいと思っているかによるんだよなーと思う。

子どものいない私がひとりで叫んでいてもあまり意味はなくて、無責任で、断絶していくだけ。

来てくれたら行きたいけど、そもそも来てくれることがほとんどない(それだけ育児に必死)。件の友人とも、その後一回だけしか会っていないし、連絡も取れていない。

来てくれないことについて、彼女を責めることはできない。存在を知らなければ、「来る」という発想は持てない。そもそも、二人の子育てに追われて何かを考える余裕はないのだと思う。

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◇この一年間で変わったこと(続き)

・よくもわるくも、彼我の差、世の中と自分の距離がみえてしまった。

・手紙はそうそう書けない……よっぽど「伝わる」と確信できる人に対してでないと、もう書けない。そして一般の人(普段文章を書かない人、読まない人)には、残念ながらほとんど伝わらない。同じ「伝わらない」のなら、まだオープンな場(ブログやTwitter)で出すかセミオープンの場(内輪のくらぶ)で出す方がマシ。という見極めがついてしまった。

これは悲しいことだ。知らなければよかった、わからなければよかったことがいっぱいある。さみしい。「伝わっているだろう」、「伝わるはずだ」と信じて疑わずにいたときのほうが幸せだったなあ。

だ っ て ほ と ん ど い な い !!!

「友達」にはいない……なのかなあ? 世の中にいない、気がする。だから引きこもるんだよね。

 

私が孤独なのは私のせいではない。

マシな大人になるためにできること

「私たちは『買われた』展」に行った。

 

思ったことはたくさんあったけど、私は一人で行ったことをすごく後悔した。

誰か友達を誘って一緒に行けばよかった。

この現実について、一人でも多くの人が知らなければいけないと思ったから。

女の子たちが安全に生きていくことができる社会にするために、私も何かしなければいけないと思った。

その一つとして、この文章を書きます。

見たことや考えたこと、聴いた話を少しでも広めて、一緒に自分の問題として考えたいし、できることをしたい。

少しでもマシな大人になりたい。

 

「私たちは『買われた』展」とは・・・

twitter.com

貧困や虐待などによって住む場所や居場所、お金に困り、または騙されて売春に足を踏み入れた女の子たちの「買われた」現実や伝えたいことを表す写真、体験記や日記、手記、「大人に伝えたいこと」をテーマにしたメッセージや作品の展示。

 

神戸では、9月20日(木)、21日(金)の二日間開催された。

初日に、Colabo代表の仁藤夢乃さんの講演があった。

Colaboは、帰る場所を失い、街で危険にさらされている少女をレスキューしている民間の団体。

講演や展示は、ガールズ・シェルター(女の子たちの居場所)の活動を理解し、支援する人を増やすことを目的の一つとして開かれていた。

 

仁藤さんの講演は、衝撃的なこともあったし、うなずくこともたくさんあった。

信じられないことに、給食費や修学旅行の費用が足りないことと、売春が直結していて、隣り合わせにあったりした。

そのことを、教育現場も、社会も全然掬えていないし、私も含めて人々の認識が現実に全然追いついていなかった。その乖離が衝撃的だった。

また、私が高校で勤めていた時に感じたことともすごく重なった。

例えば、

・子どもにSOSを出させない教育の在り方への疑問

(生徒に「嫌」とか「できない」を言わせない。勉強にかぎらず、校則順守、集団行動の強制。その場から「逃げる」ことが許されない。)

→教師は生徒にSOS出されてもどうしたらいいかわからないから、生徒に「大丈夫」って言わせる「大丈夫?」を聞くんだよね。

→教師の「挫折」経験不足、教師の出すSOSの受け皿不足……っていうか皆無。というのを私も実感する日々だった。

・自助努力を求められる社会(「自己責任論」の根強さ)での生きづらさ

・子どもが駆け込める場所の少なさ

・子どもにレッテルを貼り、「管理」しようとする意識が根深い。

 

仁藤さんの話の中でもっとも心に残ったのは「選べる」ことの大切さについてだった。

「夜の街で助けてくれる場所や行き場が、Colaboしか無い」(あとは、管理や矯正的な側面のある公的施設や警察)のではなく、Colaboか、他にもいくつもの選択肢がある中から女の子が選べることが大事と言っていた。

聴いていて、選ぶことには主体と意志が伴うことや、見失わされがちな自分への価値を感じる行為だとわかった。

というかそれ以前に、「選ぶことができること」は、生きていくうえで当然の権利のはずなんだよな。

「それしかない」というのはみじめな気持ちになるし、自分が大切にされているようには到底思えない。それでは自分を大切にする気持ちも生まれないし、保てない。

(仁藤さんいわく、女の子たちをレスキューする団体はわずかで、今日はどの団体の所に行こうか……などと、女の子たちは選べない。一方で、売春スカウト達は山のようにいて、女の子たちはその中から「選べる」状態にさせられるらしい。それが、女の子たちが売春の方に取られる原因でもあると言っていた。でも、その「選べる」は主体的なものではなくて、あまりにも選択肢がなさすぎる中から選ばされている状態。最悪の中から選ぶということに過ぎない。それでも、「売春が発生するのは『売る側』がいるから」、などと「自己責任」を追及される。)

 

時にユーモアを交えながら、にこやかに、でも限られた時間内に伝えたいことが山のようにあるということを感じさせる講演だった。

とにかく、「少しでもいい大人」、「マシな大人」になれるように、できることをしてください、という言葉がすごく印象的だった。

できることは、一緒に声をあげたり、団体に寄付をしたり、物品や食材の寄付をしたり、たくさんあると言っていた。

Colaboの 詳しい情報はこちらです。

→ https://colabo-official.net/

 

この国の大人っていうのだけでもう最悪の罪だよなと思う。自分のこと。

女の子たちの心と体の傷付く取り返しのつかないことが起きていて、過去に戻ってその被害を無かったことにすることはもうできない。

こんなふうなことにしてしまったことが最悪で、自分もその一人としてクソだなと思う。

だけど、それでもまだマシになることができるのかな。

私も加害者であることを、何とかできる方法があるのかな。

このまま何もしないなんてクズのままだよなと思った。

 

私は、2年前の「ETV特集」(NHK)「私たちは『買われた』展」を観て初めて知り、それからずっとこのことが頭から離れなかった。

 

売春をする女の子たちは、彼女たちではなく、明らかに大人が悪かった。

周りの関係者とか、女の子たちを騙してスカウトしたり、買ったりする大人だけでなく、このような状況になっていること、全然知らないこと、解決するために何もしていないことのすべて、大人の責任で問題だと思った。もちろん私も悪かった。

番組では、展示会を見た人の様子や感想も映っていた。

ある女の人は、「申し訳ない」と言って泣いていた。

その姿を見ながら、私もそれしかないっていう気がした。それ以外の言葉が見つからなかった。

しかし一方で、例えば、「買われた」展という名前について、売った」くせに被害を訴えるような名前はどうなんだ」とかいう誹謗中傷があったのだという。

それは、少女と買った側が対等の関係で、少女も買う側と同じように様々な選択肢の中から選択ができるその一つとして、売春を「選び」、おこなっているという認識がいつまでも抜けない者による、買う側(そして放置している大人全員)にとって都合の良いファンタジーを乱暴に振りかざした暴力だと思う。

問題を女の子たちのせいにしておけば、私たちは何もしなくていい。

ただ彼女たちを自分から切り離して、責めていればいいだけだ。

 

でも、番組をみてショックを受けたくせに、私だってそれから何をしたわけでもないまま(友達にその時に録画したDVDを貸したぐらい)、2年経った。

 

講演会の翌日、パネル展を見に行った。

講演会の聴衆は、中高年の世代の人々が多かったように見えたけど、金曜夜の閉館間際の時間帯は、私と同じ世代のスーツ姿の男性や女性が来ていて、時間をかけて展示を見ていた。

私は、おおむねETV特集で紹介された内容なのだろうと思うことにして、落ち着いて見ようとしたけど、やはり平常心ではいられなかった。

番組で紹介されたエピソードは同じであっても、文字になって淡々と事実が述べられていくのを見ると、ショックを受けた。

 

読みながら、何度も、いろんな時点で、「この時に安全で自由の保障された保護があれば」とか、「なんで無いんだろう」とか、思った。

 

つまり、全く選択肢がなかった。

選べないし、知識も気力も無かった。

 

自分の姿も重なった。

重ねたのは、自分が職場でハラスメントを受けていた時のことだった。

自分の精神を殺して相手の言うことを聞き、肉体的(経済的)に生き延びるか、あるいは全部死ぬか。

本当にそれしかないんだよね。それしかない瞬間が、一人の私の身に急に起きる。

なぜか一人だったし、助けてくれる人や機関はなかった。

 

また、いくつかの体験を続けて読んでいくうちに、原爆や戦争体験者、アウシュビッツに入れられた人たち、ハンセン病の人たちの存在や、特に体験記とも重なった。

(誰かを誰かに似ているということは、誰に対してもその個人の経験を尊重しないようなことになり、してはいけないことだとは思いつつも、すみません。)

つまりこれは、戦争の被害や病気への偏見のように、人々の愚かな振る舞い(無関心も含む)による被害で、社会全体でこのようなことが無いように目指されるべきことであるはずなのだと思った。

でも、原爆やアウシュビッツの被害については、人々が関心を寄せ、反省し、その場所を訪れたりしてもう二度と繰り返さないことを誓って大事な場所として認識されているのに(それに対して異論はないです)、この「私たちは『買われた』展」はそういうふうに扱われたりしない。

さっきも書いたように、誹謗中傷さえ受ける。

それはなぜかというと、日本人の性に対する認知のゆがみ、性教育の不足やズレ、人権意識の欠如、女性差別の根強さによるものだと思う。

こんなことを書いている私でさえも、友達を誘って行かなかった。

それは、どこかに、特別な分野の特殊な問題という意識があったからだと思う。

つまり、「女の子たちの問題」であり、当事者とそれに関心がある人だけに押し付けるような、問題から逃げるような意識。

 

でも、この展示会が大きな場所で行えない現状も、偏見や好奇の視線から守り、危害が加えられないように十分な準備をしなければならないことも、社会やわれわれの意識の欠如の問題でしかない。

 

展示会のポスターに書かれていた女の子たちの言葉を引用する。

「私が売春していたのは、小6の11月26日から始まり、2年間です。」

「『こいつらに捕まったのが私でよかった』と思うようにしていた。」

「‟男性”は私を道具としてしか見なかった」

「『お金ないなら、稼いできてよ』友達がいなくなるのが怖かった私は従った。」

「私から勉強がなくなったら、何も残らないと思った。」

「JKビジネスがきっかけで お姉ちゃんに誘われて。」

「体を差し出す代わりにおにぎり一つもらった。」

 

最後の子は、お金さえもらっていなかった。おにぎり一つと、その日寝る場所だけ。

彼女たちは私だし、私だったかもしれないし、彼女たちを追い詰めたのは私でもあると思う。

 

しんどいことを書いたけど、大事なことだと思っている。

少しでもマシな大人になるために。

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むりむりちゃん、結婚式を語る♡♡♡

みんな結婚式好きみたいなので、理解されるのかどうかわからないけど、今、結婚式問題についての文章を書いています。

それで、実験的にここにも考えたことを載せてみます。

 

前回(一週間前)の授業で私が口走った「いわゆる家族観」(私が嫌いな)について、あまり伝わらなかったので(苦笑)ここに書こうかなと思います。

 

ずぶちゃん先生が書いていました。

zubunogakkou.hatenablog.com

 

ステレオタイプな家族観が無意識のうちに、そうでない現実を生きる個人を傷つけることはよくあることだろう。(略)

血のつながった家族は仲良くなければならない」「必ず分かり合えるはずだ」「その団結の意志を確認するためにあつまらねばならない」云々。

そういった個人の本音を封じた慣習が形骸化している場合、仕事と同様の苦痛を伴う(しかも無償で)。

(下線引いたのはわたしです~。文字大きくしたのも~。水色にしたのも~。)

 

個人の本音を封印」し、「形骸化」した「慣習」とは何か・・・??

そう、お盆や正月に集まる系の家族の行事のことですね。

 そこではたいてい、(話題もないことだし、)結婚の催促か探りか、コハマダカ? ってカジュアルに呪いかけられる。

あるいは、私が今書こうとしている結婚式ね。

結婚式について、社会学者の岸政彦はこう書いている。

 

そうした幸せというものは、はじめに書いたとおり、そこから排除される人々を生み出す、という意味で、それは同時に暴力でもある。私は友人や卒業生の結婚式に行くことが楽しみだし、実際に心から祝福するけれども、それでも他の来賓が挨拶で「一日もはやく元気な赤ちゃんを」とか「子宝にめぐまれますように」と言うのを聞くと、とても複雑な気分になる。

ここのところで私はいつも、ほんとうに、言葉が出なくなる。幸せが暴力をともなうものだとして、それでは私たちは、それを捨ててしまうべきなのか。極端な話、ヘテロセクシュアル異性愛)の人びとが結婚式をあげるということは、それだけで同性愛の人びと(注:筆者はこの文章の前に、単身者についても触れている)に対する抑圧(注:「呪い」とも言っている)になりうる。私たちはそういうものを、どうすれば祝福できるだろうか。

 

(岸政彦『断片的なものの社会学朝日出版社

 

 

私はもう結婚式には行かないだろうし、祝福するかどうかは相手との関係性によると思っている。

でも、結婚式の暴力性と抑圧の存在について他の人が書いてくれたのは本当にありがたいと思った。

しかも筆者は男性

(私だけが書くと「嫉妬?笑」という斜め上からのブーメラン飛んでくるおそれ。)

立ち読みをしたこの一節のために、この本を買ったと言っても過言ではない。

 

筆者は、人々の結婚式への憧憬を、

 

私たちは、ただ存在しているだけで、おめでとう、よかったね、きれいだよと言ってもらえることはめったにない。だから、そういう日が、人生の中で、たとえ一日でもあれば、それだけで私たちは生きていけるのだ。

 

 

と分析している。

  1. 「何もしてなくても祝福されること」は実現しがたいし、
  2. 実現したとしても、結婚式のように、他者を傷つける可能性を孕む。

  あるいはお盆や正月の集合で起きる出来事のように。

 

私は、①も②も、人々が自分で考えるようになれば変わるものだと思っている。

 

でもそれにはまず、みんなに「家族主義の暴力性」というところから共有してもらわないといけないみたい。

女の子たちには共感を得ても、一般的にはどうなのかな~と思ったのが、前回授業での、とあるやりとりだった。

 

前回授業での私の「いわゆる家族観が無理」という発言に対して、

「家族感って結構好きなんだよね」とかいう、ぼーっとした返しがきたんだけどw

私が言ったのは古来の因習にまみれた「家族観」であって、

うすぼんやりしたイメージの「家族感」のことじゃないんだよね。

いやじゃあもうむしろそっちの「家族感」(家族って感じ)でもいいわ、その「一つ屋根の下」的な、ぬるいが謎の拘束力を持つ伝統が、まさに古くて暴力で嫌だって言ってんの。

 

・暴力性を何も感じないまま再生産するのも、(無知の)暴力なんだぞww

 

そもそもね……、

・生徒の「自己紹介」に対して瞬時にノック(野球の)して返すだけの授業の仕方は、相当の下調べ(もちろん生徒について)と準備がなければ無理なんだぞwww

・人前で喋るっていうことや「先生」と呼んでもらえることは、つまりその特権を何もせずとも有しているってことをきちんと弁えて、安住せず、相手をナメず、相手に応じるための準備や、要求に応えるための準備をしてこなくちゃダメなんだぞwwww

・相手の発言に対してまともに返さず(返せず)、自分の知っていることで応急対処して長々喋るのは……

安倍ちゃんと一緒だぞwwwwwごはん論法🍚

                              

というわけで、場を壊すのもアレなんで、ここにクソリプみたいな文章書いてみました。

これ、発禁処分になるんかな?笑 

いや、ここ民主義国家だよね?

あ、独裁政権か、「自由民主党」という名の与党の、安倍ちゃんのw

 

クソリプの要所要所に、ずぶちゃん先生の文章を引用するのは本当に申し訳ないことなんですが、

すごくいいことを書いてくれているから最後にもう一節だけ。浄化浄化。

 

 

私の家は、誰もその苦痛をあえて受けようとは思わないので集まりはない。結婚していたとしても、常に会いたい意志を持つひと同士今まで通り一対一の関係を続けさえすればいいと思う。血がつながっていようがいなかろうが、しがらみがあろうがなかろうが、会うか会わないかは自分で決めることだ。どうにでもできる。これを機に、友人や生徒とも合宿(ともに暮らすこと)をしたいと思うようになった。

 

 

 

ずぶちゃんは、私が一方的に敬遠して離散しているマイ親戚一家(離散は私だけか)にも、いつか私と一緒に会いに行きたいという夢を語ってくれたことがある。

「血」へのわけのわからないこだわりから、わけのわからない友達が混じる一家団欒への移行。

おもしろすぎる。

パロディ? ウッチャンの『LIFE!』かな?  

劇団じゃん。プレイだね。家族プレイ。

第5話「知らない人が『姪の友達だ』と言ってお盆に家にやって来るの巻」安部公房かーい)。書こかな。

生きてたい気がしてくる。

それから、私には最近できたお友達たちもいて、その人たちともっともっと話がしたいと思っている。

自分が傷つき、こじれている原点まで振り返って戻って、話をする。話をきく。

合宿いいな~。合宿して、とことん話し込みたいです~~

縁切り寺「ずぶの学校」めちゃええなあ!!

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間違いなく、この夏ナンバーワンの帯です~。書店員さんのグッジョブ。

「女子力」って言葉は、はっきり言って呪いにまみれているんだよ~

秋元的なのよ~

シスターフッドで合宿しよぜい♡

 

テレビは死んだ

もう落ち込まない、というような何か変な確信を持っている。

落ち込みはたいてい、社会や他人と比べた際に起きるもので、私の場合「落ち込まされている」と言う方が適切であると思う。

しかし、たとえ私が落ち込んでも、それは単に私を落ち込ませて思い通りにしようとしてくる社会を喜ばせるだけらしいのでやめた。

(人と違うことに不安を抱き、落ち込む結果、社会に合わせて生きる=社会の要請通りの型にはまり、粛々と生きるということ。)

 

最近Twitterをやめてしまった、落ち込み屋さんで悩み派仲間の友達(かわいいでしょ?)が、 ゆっくり・静かに・穏やかに」「焦らない・こだわらない・無理しないと言っていて、

恵さんも、無理して周りに合わせると疲れてしまうから、ゆっくりね」と言ってくれた。

人と比べない。そう考えたら、人々が働いている時間のことも、月曜から金曜までの平日のことも、あんまり気にしなくていいはずなのだった。

土日や連休の幸福感はしっかり享受するけどね。

 

少しずつ、また書くようになった。

言葉がうるさいのは相変わらずで、自分がうるさいのだけど、自分以外のマジョリティがうるさいので(自分もマジョ側でもある)、

テレビを消音にしている。

本当はテレビを消して音楽を流すのがいいけど、あまりたくさん持っていないのと、

自分が好きで知っている数少ない音楽をエンドレスリピートするのも飽きたし世界が狭すぎるのでテレビ消音にしている。

昨日は、昼からやっていた歌番組を消音で流していて、自分でもついにここまで来たかと思った。

そんな理由で、ラジオにはぜひぜひがんがん頑張ってもらいたいものである(新聞の「市民の声」投稿欄風。えらそうで無責任 笑)。

 

(それにしてもテレビは消音にしていてもうるさい。)

テレビがうるさいのは、だいたいの番組がもう全然面白くなくて、ミソジニーで、日本大好きで、病気不安を煽ってきて、クイズ王で、出ているのが良純一茂坂上梅沢ばかりだからだ。

いや、それらに対する私のヘイトがいちいちうるさい!!!

だから見なくなってしまった。

 

たとえば、大坂なおみ選手の対戦相手のセリーナ選手の抗議にまつわる問題(女性、人種差別)を、日本のテレビは一切やらなかった。

海外の報道を翻訳したもののなかには、セリーナ選手が自分の地位を嵩に審判を脅したという論もあった。

私はそういう話をしたいし、真相が知りたい。でも日本のテレビじゃ絶対無理。

 

驚くのは、この私ですらその惨状にもう慣れて、日本のテレビや報道に全く期待していないことだ。

(一人ヘイトを叫ぶのはしんどいし、趣味じゃないんだよ。)

 

これは安倍政権へ向けるものと全く同じものだ。

いや、本当に、疲れることに疲れてしまった。

 

売れればいいのか? 生活していければいいのか?

中身は? 

誰が、また、どんな思想を持った人が書いた(作った)ものか、ということは?

人権意識は?

……大事やろがい!!!!!

 

私もかつてはテレビが好きだった。でも、だんだん嫌いになって今は消音。

テレビは視聴者に合わせているらしい。

その劣化を全部こっちのせいにされてもとは思うものの、

ぺらっぺらの感性や情緒が想定され、ナメられまくっている

ってことに、そろそろみんな私と一緒に怒ろうぜ。

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タイル博物館(岐阜県多治見市)と、作った(並べた)タイル写真立てだよ~

小学生が学校帰りに寄ってた。

 

 

安室ちゃんのこと

にわかもにわか、絵にかいたようなミーハーで恥ずかしいのだけど、安室ちゃんのことが好きになったので書きます。

ミーハーはmyアイデンティティですっ!

 

きっかけは妹で、以前も書いたのだけど妹は安室ファン。

さかのぼること高校時代、母と一緒にライブに行ったのが最初らしい。

(ちなみに当時からMCは苦手で皆無、ひたすら歌い激しく踊り走り抜ける超ストイックスタイル。)

それ以降、妹は途中他のアーティストによそ見してブランクがあったりもしたけど、数年前から再び安室愛が復活し、また足繁くライブにも行くようになっていた。

私はそもそもあまりダンスに興味がないこともあり、横目で見ていただけ。

そんな時の引退発表だった。

 

私はハッとしたものの、自分では90年代の小室ナンバーぐらいしか思いつくこともできずなんだか乗り遅れた感でTwitterを見ていたら、作家の柴崎友香さんが引退を惜しみながら「Baby Don’t Cry」を推していて、やっぱり作家はすごいなあと思いながらPVを見た。とてもよかった!

安室ちゃんが街をただ歩きながら歌っている映像で、歌詞がいいんです~。

 

 

そう だから Baby 悲しまないで 

考えてもわかんない時もあるって

散々でも前に続く道のどこかに

望みはあるから

雨の朝でも(Baby don’t cry)

愛が消えそうでも(Baby don’t cry)

一人になんてしないから(Baby don’t cry)

 

眠れない夜は何度も寝返りばかり

心細くなって吐き出すため息は深い

また抱えた不安 これ以上解消できず

誰かの手握って 見えない明日へ

つなごうと努力して

だってそうして人は何度でも

闇に立ち向かう強さあるはず

与えられて選ぶんじゃなくて

その足で踏み出して

 

 

いい歌だなー。安室ちゃんに言われると泣ける。

「考えてもわかんない時もある」かー。そうなんだ。やっぱりそうなんだ。

「一人にしない」と言ってくれるのがうれしい。

そんなことを思っていた。

 

それから一年の間に、

◍妹に安室ちゃんのラストライブに行った話をきいたり、

◍ライブDVDを観せられたり、

◍イモトの‟行ってQ”も観た(感動した。神との出会い。イモトは頭真っ白で「何の食べ物が好きですか?」って聞いてたのめちゃくちゃ共感した。好きすぎるとそうなる…そうなるんだよ。イモトの呆然としたまま発せられた「夢って叶うんですね」の問いも完璧だったし、安室ちゃんの「夢は叶います」のお答えも神過ぎた)し、

◍大阪で行われている安室奈美恵展に行く妹夫婦に同行した(途中まで)けど、

(…てか、けっこう安室経験積み重ねてるな!)、

まだ、「ただかわいくてすばらしい」というぐらいで、特別な感慨はなかった(にぶい)。

たぶん、じょじょに、じわじわ、醸成していったのだと思う。

 

8月の終わりにラストライブのDVDが出た。

もちろんライブに行き、DVDも買った妹が再三「これは絶対に観た方がいいよ!!」と、(私ならともかく)彼女にしては本当に珍しく、ものすごく強く言うので、半ば無理やりといった感じで貸し出され、東京公演の映像を観た。

それは本当にすばらしかった!!

 

ファイナルツアーの最終日ということも相まって、こっちとしてはすべての曲に「これが観客の前で歌う最後なのだろう」という感傷をこめて安室ちゃんを眺めた。

そう思うだけで、‟にわか中のにわか”のくせに泣けてくるのだから、安室ちゃん本人はいつ泣いてもおかしくなかった。

そしてそれぐらい画面に集中して聴き、見た時の、それぞれの歌のかわいらしさや、聴き手を元気づけようとする歌詞は、ただそれだけで泣けた。

安室ちゃんはこういう歌を歌ってきたのか、と知った。

 

ガールズとボーイズ各5~6人のキレキレダンサーをしたがえて、真っ赤なドレス「君臨」という感じで存在し、キレまくりの歌声とダンスで魅了した(「HERO」)の後は、

ピンクの衣装に着替えて一人で登場すると、「Baby Don’t Cry」を歌った。

ところどころ観客に手を振ったり、笑いかけたり、両手でハートを形作ったりして、みんなの、そして私のハートを撃ち抜いてきた。そのつど黄色い声が上がりそれに対して安室ちゃんが笑顔でで応え、こういうやりとりが会話のようですべてがしっくりとはまっていて感動的だった。

定番のやりとりのようにも見えたし、それこそ言葉以外の、完全に言葉を越えたやりとりだった。

そもそもこのライブの開始前の映像に、客席が映っている時からうすうす気付いていたけど(うかつにも今回初めて気付いたんだけど!)、女性のファンが多い! っていうかほとんど女性(に見える)! 

これってまさにシスターフッドの表象なんじゃないか……。

と気付いてまた泣。

安室ちゃんはこうやって女の人たちを助け、励まし、自分もまた連帯してきたのか……。

そういうことは全然語らず、ただ歌とダンスと存在と、ライブで示してきたってことか……。

全然知らなかった。

 

このことは、大きな希望で救いだなと思った。

そんな人を、妹が唯一みたいにして大好きで信奉しているのも大きな救いだと思った。

泣ける…書きながら泣けて仕方ないよ。ティッシュ持ってないよ……。

そういえば安室ちゃんは、イモトの時も、翁長知事に県民栄誉賞を授与されてお話したときも涙して、ティッシュでふいていたな。何かのインタビューでも泣いて、ティッシュだった。

 

でも安室ちゃんはラストライブで歌っている間、一度も泣かなかった。

プロっていうか、神って感じがした。

 

ソロの後、戻ってきたダンサーたちと、ステージに作られたピンクのビル群に上ったり下りたりしながら歌う 「Girl Talkと 「New Look」はかわいすぎた。

ボーイズチームとガールズチームは分かれてダンスしていて、安室ちゃんはガールズチームの一員でもあって、明らかにガールズはボーイズを翻弄していて(というかボーイズはガールズの引き立て役に徹する)観ていて安心というか、

つまり、女の人(安室ちゃん)がイニシアチブをとる舞台は、なんて平和でかわいくて、おかしな抑圧がなくていいんだ! 

それは、ただうっとりと観ていたらいいという空気に満ちていた。

かっこよくてかわいくて自立している。

べつにどっちがえらいというのでもなく、女性だけを尊重してくれというような主張とかではなく、ただ好きなことを好きな人たちと一緒に好きなだけ、普通にやっていられるということ。

そのことが現実社会ではとても難しく、ほとんど不可能な現状であるだけに、余計に憧れ、ただぼーっとみていた。

 

少しだけ宝塚歌劇団を思い出した。

舞台上の大階段とか、絶対的なトップがいる感じとか、ダンサーが囲んでいることとか、トップがほぼ常人には不可能な高さのヒールを履いて大階段で完璧に踊りまくるとかの、自分と同じ‟人”とは到底思えない感じ。

観客が投影するかわいさとカッコよさ(かわいさ強)を一身に引き受け、現実的にほぼ不可能なことを実現しているフィクション性。神っぽい感じ。

(初めて宝塚のことが良いと思った!)

これは夢中になるよな……。

 

というわけで、引退まで残り一週間。

週末のラジオの特別番組も聴いたし(リスナーからのお便り紹介全員女性wwみんな安室ちゃんに励まされていた~~)、NHKの朝のインタビューも見たし、着々と安室ちゃんを積み重ねています。

 

a walk in the parkも好き。

1997年当時の、若くてイケイケでちょっとカッコつけて長い髪をかき上げている97年安室ちゃんの映像をバックに、それに重ねるようにして、今安室ちゃんが全然邪魔じゃない髪型(おでこ全出し)のまま、わざと髪かき上げるしぐさするのめちゃくちゃかわいい。

お客さんが萌えてキャーキャー言うのも、お互いにわかってる感じでノンバーバル(非言語)空間がいい。みんなかわいい。

 

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ピンクのビル群の前で「Baby Don't Cry」と「Girl Talk」、「New Look」を歌うところ。顔は本当はもっとずっと小さいです。好きなものを大きく描いてしまう!

 

 

『ラプソディーとセレナーデ』(鷺沢朱理)感想【後編】~パワハラを歌に詠むこと~

『ラプソディーとセレナーデ』(鷺沢朱理)感想 【後編】

パワハラを歌に詠むこと~

やや乱暴なくくり方だけど、今回は「現代」をモチーフとした作品について取り上げま

す。

「現代」というか、現在? 

作品に使われている言葉はやはり古語ですが、こちらの方により親しみをおぼえる読者もいると思う!(私。)

 

「ハートとハート誰も揃はず職場にて〈神経衰弱〉しつつ日を終ふ」

「〈SAD〉略も鬱めく社会不安障害われの接客こはばる」

「クッキーと水の食事に使はざる箸を置くなどどうかしてゐる」

                          「水に書く言葉」より

PTSDフラッシュバックに怯えつつ受ける電話の五重敬語は」

「クレームは耳に残りし水のやう誰か取つてと喚けずにゐる」

「祖父に代はり手に持つ鍬の重かれどこのリハビリは効くよと祖母は」

                          「慈雨浴びて」より

 

(事態は深刻で、この他に、より切迫している歌もあり生々しく心を打つのだが、せっかくだから多くの人に手に取ってもらいたいと思い、各章(と言っていいのかな?)三首ずつと決めて選びました。)

 

〈SAD〉「鬱」PTSDなど、どきりとする言葉が続々登場する。

わずか三十一字の中でこれらの言葉は強烈な力を放ち、歌全体の印象に大きな影響を与えながら読者に重く迫る。

禍々しいのに、とても現実性があると思う。

 

「どきり」とするのは、私にとっても他人事ではないからである。

 

朱理さんと私の交流が復活したのはわずか数カ月前で、朱理さんから「近々歌集を上梓するから謹呈したい」とメールをもらったことがきっかけだった。

お互いにすごく簡単な近況を報告した際、それぞれ「パワハラ」に遭ったことがわかった。

ただ、これは誰が相手であっても言えることなのだが、正直なところ、私は詳しく話すことが面倒だった。

伝えるにはとんでもなく長いストーリーを話さなければいけないし、それは「その当時」でなければ意味がない気がした。

もっと言えば、話したことと引き換えに「その当時」、何かの行動が起こされなければまったく価値がなかった。

だから、今となっては私にとってその経験は、いずれ何らかの表現で復讐するつもりでいるというただそれだけのことだった。

 

そんな私にとって、誰かの、それも友人の「パワハラ」の表象はとても興味があった。

いや、そもそも、それ詠むんだ! と思った。

 

ページをめくり、真剣に読んだ。おもしろかった。

 

・「ハートとハート」が「揃」わない「職場」の「神経衰弱」とかうますぎて、人の作品なのにほくそ笑んだよ。

・〈SAD〉の表す「鬱め」いた英単語の意味とかも、

わかる! それ思いついちゃうしその後延々一人で渦巻くよね~、

という状況が頭の中で再現されたし、「どうかしてゐる」自分の行動の切り取りも、具体的で、哀しかった。

・「五重敬語」って何! って今会ったら一番に聞きたいし、待って待ってそれユーモアか幻聴かわからない怖いと思った。

・「誰か取つて」と「喚く」くことと、できないで「ゐる」ことはすべてが親和性があって痛々しく切なかった。

・「祖父」の存在は他の章で介護と看取りの経験が描かれており、もはや他人じゃなく感じているし、「祖母」の励ましは、そのいかにも「ばあちゃん」世代っぽい温かいユーモアに包まれていて泣かせる。

 

といったふうに、実にわが身に重ねて読んだ。

それを促すようなユーモアと哀しみに満ちていた。これは、作者の手腕と、短歌にすることによってある一定の距離感が生まれたことによるものだと思う。

 

私が自分の受けたパワハラを訴えなかったのは、味方にもなってくれなかった傍観者にゴシップに興じられるのが嫌だったからだ。

作品にしていないのも同じで、弱さをさらけ出すことには抵抗があった。

私は悪を糾弾したいのに、不要に責任を追及されたり無駄に傷付いたりするのは避けたかった。

つまり、「負けた」ことになるのが嫌だった。

自分が惨めでない方法で、(あまり信頼できるかどうかわからないけど)読者に対して、正しく発信したかった。

私はその方法が今もわからずに、手をこまねいている。こまっているのかもしれない。

 

ぜひ、本書を手に取って、歌の連なりを読み味わってほしいと思う。

時は流れ、歌も流れる。

進んだり止まったり振り返ったりまた戻ったりしながら、次に行くのだと思う。

私にはまだそれしか言えないけど、この歌集に励まされたことは多い。

 

本出したくなってきた!!

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8月に行ったイベントで作ったプラカード。「行動」が燃えてるw

 

murimurichan.hatenablog.com