むりむりちゃん日記

私が孤独なのは私のせいではない

『ラプソディーとセレナーデ』(鷺沢朱理)感想 【前編】

『ラプソディーとセレナーデ』(鷺沢朱理)感想 【前編】

   ~修辞法(押韻)、かわいい、を手掛かりに~

 

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八月の終わりに、友人から短歌集が届いた。

手の込んだ作品集で、手に持ったらずっしりと重く、人生が詰まっている気がした。

この夏はなんだかひたすらに悩んでいて全然浮上できなかったし、一人だとご飯を食べなかった。

私はそれを持って実家に帰った。

短歌についてまったくの素人の私に、古典文学をモチーフとした作品がわかる自信はほとんどなかった。

でも、この重みを受けて、自分で読んでみたいと思った。

 

◇最初の感想は、

豊かな〈言葉の繰り返し〉と〈押韻

ロマンチック(を好む)なイメージ

 

 

「おさへきれずある夜化(け)粧(は)ひて濃姫の屏風と語れり姫は語れり」

「夢に散るつらつら椿つらかりき黄泉も父兄殺し合ふ見て」

「瀲瀲(れんれん)と水にいろ溶き春の木々れんじやくは緋にせきれいは黄に」

 

個人的な好みの問題なのだが、私は修辞法やとりわけ押韻について懐疑的で、何とはなく恥ずかしさを覚えるため、自分にはうまく使える気がしないという使わず嫌いな面がある。

それが今回、朱理さんの短歌を読んで、その「懐疑」に、よい意味で確信を得たような気がしている。

つまり、

(その状況で)韻が踏めるなら結構余裕じゃーん! 

という(穿った)見方のことである。

(じゃーん! とか乱暴だなあ……。語彙が無くて申し訳ないよ。)

歌にするということは、その場面でのクライマックスであるということだと思うのだけど、その感情の高まりやカタルシスを、韻など、狙いすました、あるいは工夫を重ねた表現で彩る余裕があることが、私には気になってたまらない(心底を見抜きたいタイプ)。

それゆえに、作者がその場面を恣意的に切り取っているとはいえ、極限まで高まった瞬間の状態において、…いん…イン……何かないか探そ」みたいな、その冷静さ、我に返る際の客観性と、しかしそこには敢えて無自覚な点が、以前はどうしても看過できなかった。

それは、さらにそこに演出というか演技性のようなものを見出そうとしてしまうためかもしれない。

しかしそれらを見抜いてみた上で、かわいいな~と思ったのですこのたび。

それはほんとにまったく私の知る朱理さんそのものなのでした。

 

そこから手繰り寄せて考えてみた結果、次の結論にたどり着いた。

◆修辞を含めあらゆる手段を講じることは、(自分の)感情の高まりを再現し、あるいは創作し、それを効果的に魅せる手段の模索で、美に対するすばらしくストイックで忠実なふるまいなのかも。

◆どうしたら美しく見えるか試行錯誤し、その実行に命を懸けている姿に心を打たれる~。

(りゅうちぇるがよぎった~。美の方向性は違うかもしれないけどストイックさという点で重なる。)

 

自己陶酔(いい意味で)、自己憐憫(いい意味で)、ナルシシズム(いい意味で!!!)がそこここに顔を出し、隠れようともしていない、というのは、とても朱理さんらしいと思う。私も自己愛の強さに自覚があるだけに、こうも見せられると、自分が裸にされたようで恥ずかしくなりながら、追究のつもりで読み進めた。

 

情感高まった挙げ句、歌に没入していくことと短歌は相性がいいんだなということを、鷺沢短歌を読んで初めて実感する。小説と同じく、短歌においても、作者と作品は分けて語らなければならないのかどうか、素人の私にはわからないのだけど、この脇目もふらずに我が世界に入り込んでいく感じと、私の知る朱理さんのイメージは重なり、歌の中に自分を投影している……という言葉では飽き足らず、歌の中に自分の分身を作っているというか、歌そのものが朱理さんであるというか、それが歌の数だけ増幅しているような、そんな印象を持った。

鷺沢短歌に中てられて、知らぬ間に私も絢爛な表現になった(なってない?)。その感染力がある気がする……。

 

自己陶酔や没入はある種の恍惚をもたらし、傷ついた自分を慰撫する。作歌や生きることへの苦しみの中で、朱理さんが作歌に没入しながら自身を確認し、あるいは忘れ、理想を追求する中で新たな世界を発見し、自らを作り上げていく過程がここに表れているように思う。

◇ちょっと休憩☕

~高校古典授業における和歌のリアル~

 

この話をしても誰が喜ぶのかわからないけどよく書いてるしまあいいかということにして恥をさらすと、私は全然古典がわからなくて、古典作品に登場する和歌など、めっぽう苦手だった。

教員であった時、一応、『万葉集』など、高校で教えなければいけないとなった時はいつも指導書ガン見の上で授業に臨み、とりあえずその時間にはなるべく和歌に差し掛からないように授業していた。

和歌は、言うこと(修辞法)、やること(原文と現代語訳を黒板に書く)色々多くて、そんなマルチタスクをこなしながらさらに誰を指名して何を答えてもらったらいいのかは皆目見当がつかずただ混乱の極みだったから、願わくば授業開始直後の落ち着いた心理(私が)で「いざ!」と行いたかったし、もっと願わくばやらないまま通り過ぎたかった。無理だけど。

だから、「和歌は感情高まった時思いあまって作るのらしいよ~(知らんけど)」と説明しつつ、平気でその高まりをぶった切り、好きなタイミングで解説していた。

 

修辞法は、「枕詞」、「序詞」、「縁語」、「掛詞」、「本歌取り等々色々あってとにかくアップアップしていた。だって全然実感ないんだもん。

特に、縁語は完全雰囲気任せ だったから、ペアが二、三種類登場する超絶技巧を駆使した歌が出てきたらすぐ緊張。とりあえず部屋に存在するチョークを全色使いしてなんやかんや四角く囲い、あれやこれや線をつなげて図示する工夫、マイ技巧

私にできることはこれだけです~わからーんっていつも思っていた。

私がわからないのに生徒が縁語を発見できるはずもないので、完全教授型(私→生徒。……いや、指導書→私→生徒です!)で、たとえ私が間違えて板書しても誰も発見できないという地獄の空間の誕生

逆説的ですが私がいたのは立派な進学校で、つまりみんなテストのためにしっかり、かつ無駄なく暗記したいから、

(悲しいかな、修辞法なんて生徒からしたら「テストで出ることが容易に予測されるもの」でしかないのじゃ……)

間違ったことを板書するわけにはいかないという私一人にのみのしかる謎プレッシャー。

それもあって、教員時代は純粋に和歌を楽しむことは全くできなかったな。

◇マイ短歌経験を変えた!

 

ところがこのたび朱理さんの短歌を読んで、マイ短歌経験がすっかり変わった。

読みながら、掛詞はもちろん、これは縁語かな? とか思ったり思わなかったり、とても自由な中で気付き、味わうことがあり、すごく楽しかった。和歌の味わい方ってこれか~と思ったしだい。

つまり、知ってる人が作った歌を、ここ凝って作ったんじゃない? とか、工夫~~すごい~ごいす~wwwって思いながら、わかったりわからなかったりしつつ、楽しみながら読むこと。

読みながら、作者の人生や人物像と重なったり、はたまたその創作性を堪能したりしながら読むこと。

それは、決してその短歌に愛着を持っていない誰かに、周辺事情、修辞法、現代語訳、感情の高まりなど、知識としてまるっと教授されるようなものではないのだということ。(ごめんね高校生。)

(ただし、読み味わうためにはある程度の基礎知識は必要だから、何らかの方法でその手順を踏むのは必要。)

しかしそれにつけても、

自分の知っている人や友達が詠む歌の何と興味深く、どのようにしても知りたいと願うことよ。

当時の人たちの和歌の享受のしかたはまさにこんなふうだったのではないかと、何の調査もしていないのに勝手に確信し、堂々と書いてみた。

 

◇絵画的、感触的っていう魅力にも気づいた~

 

「絵画的」と言われたら、まさにそうだなと思った作品。

「かづらかづら絡む鬘(かつら)をさがしもとめ雨降る羅生門に昇りぬ」

「濃き髪ぞ悦(よろこ)ばしきや温し温し毟(むし)りては絡めからめては抜き」

 

この語の連なっていく感じは、長い髪を示しているようでもあるし、その髪に指を絡めている時のその指の触感というか、それを絵画→和歌に写したという印象。語感やリズムに乗ってゆけるし、その独特の恍惚感を共に味わっているような錯覚にも陥る。

第一、これまでの読書経験の中で『羅生門』の老婆の欲する鬘に、長い髪である感じを、感触としてまったく持っていなかったので、朱理さんの手にかかるとこんな感じか~という体験は、おもしろすぎました。

 

◇「かわいい」ひとです~

 

誤解を恐れずに言えば、自己愛の強さというのは、一般的に、現実世界では浮き立ってしまうところがあるというか自他ともに持て余すようなものだけど、短歌になり、また短歌集としてまとまった作品の数々を目の前に広げて見る段になると、朱理さんの多彩な面が様々に切り取られていてすごくいいなー、魅力的な人だなー、総じて、かわいいひとだな~~となったわけです。

 

「海の芸妓きみ案内せよシェルピンク、シュリンプピンクまばゆきピアス」

「パウダーブルー、光の粉を溶きし水面しばし見上げん海底の途に」

「パールサラダの桃いろ黄いろ碧いろ胸元かざり往き交へるひと」

 

この色彩センス。ネイル? ねえこれ、ネイルの色でしょ? 💅

これは、「海底洛中洛外図屏風」からの抜粋ですが(タイトルもかわいい。世界観かわいい。井上涼の作品『忍者と県立ギョカイ女子高校』に通じる。)、その中にはこんな歌もある。

 

「玉手箱製造工場ラインにてパートの沙魚(はぜ)らリボンの藻巻く」

かわいい~。リボン出てきた🎀 女子校を出た後のギョカイたちのことみたいだ~。

 

他にも、「シュピしゆパと」とか「プにぷニョ」とか「ハクハクと」とか、実験的な表現も散見される。これらもかわゆし~。

 

すぐれた作品は、読んだ後、読者に自分のことを語りたくさせるものだと思う。

我が身を振り返ったり、人生のある場面をふいに思い出させたりするような。(次回はこの辺りにもう少し踏み込んでみたいと思います~)

朱理さんの短歌は、入念な調査と豊富な知識が相互に担保し合い歌に厚みを持たせていて、書かれた言葉の後ろや周りに幽霊みたいにたくさんの景色や物語を感じる。考え、検討し尽くされていると思う。

信頼に足る書き手であり、詠み手だと感じる。                   

(続きま~す)

【緊急 助けてください!!】「大人が子どもを守ること」

今学校で起きている問題で、ある一人の高校生が苦しんでいます。

どうか、一緒に助けていただけませんか?

 

zubunogakkou.hatenablog.com

 

 

ずぶちゃんにNさんの話を聴いているうちに、しだいに私もNさんと直接やりとりをするようになりました。

 

Nさんと私はたぶんとてもよく似ていて、嘘がつけなくて、嫌なものは嫌で、無理なものは無理というタイプ。

別に相手を困らせたいわけではなくて、その場の(意図不明な)ルールや同調的な空気を重んじることよりも、自分の頭で考え判断する。

とりわけ、自分や他者が尊重されていないと感じると反発し、それが表にもでてしまう。

私もよく言われたけど(そして言われてもちっとも嬉しくないけど)、不器用で、誤解されやすく、損をするタイプ。本当は優しくて賢くてすばらしい人なのに、というやつ。笑。

 

昨日、Nさんが無事に卒業するためにはどうしたらいいか、一緒に考えている中で、私が感じたことを書きます。

 

ずぶちゃんの文章にあった通り、昨日はNさんは精神的に限界で、誰とも話したくない、話したら爆発してしまう、という状態だった。

私のメールに対しても、いつもの明るさや丁寧さ、ユーモアはなく、絶望を淡々と返してきた。

 

私は、Nさんが言う「死ぬこと」が怖かった。

だから、その場所(今の学校)でなくて、自分に合う場所でさえあれば、どれだけでも楽しく、いきいきと生きていくことができると思ってそれを言ったけど、

(他の世界で)「いきいき」生きていくことなど今の彼女には夢の世界すぎて、珍しく反発のような言葉が返ってきた。

 

切羽詰まっている相手に、「今の場所から逃げた方がいい」とか「世界は広い」という賢しらな助言は夢すぎて、におわせただけで苛立たせたのだとわかった。

私は自分を恥じた。

言った言葉は、全部自分に跳ね返ってくる。

 

かといって、死ぬことから目を逸らさせたくて出した空元気や不用意な提案を、

今さら謝るのも、相手を傷つけることがわかってできなかった。

 

全方位的に不安で苛立っている時は、味方になってくれるひとに対してこそ、その無力を責めるなどして当たってしまう。

他の、いくらでも存在しているまったくの傍観者には、逆に夢見たりするファンタジー。現実逃避。

現実が苛烈だからこそ、味方の精一杯の(でも無力な)尽力や寄り添いが、現状が八方ふさがりであることを知らしめてくるように感じ、ありがたく思う余裕を失って、無関係を決め込む傍観者に無限の期待を寄せる裏切り……、

みたいなことが私はたくさんあった。

急にヒーロー現れるのでは……とかさ。

 

瀕死の時には具体的なことしか耳に入ってこないものだ。

夢みたいな理想や敵の批判を言い募られても意味がない。

分析も共感も、余裕があるから聞けることだった。

第一、それはいつだって悦に入って滔々と説いている者の自己満足と発散にすぎない。

聴かされている方は、気を遣って、ただ聴いてくれているだけだ。

そのことを思い知らされた気がした。

 

私は、自分と同じ、たぶんそっくりな女の子の危機に対してまったく打つ手がなかった。

何を言おうとしても言う前から反論はまっさきに自分の中で浮かび、自分に返って来て、メールの文字を打っては消すということを繰り返していたら気持ち悪くなった。

自分=言葉だと、私は自分のことを思っていたらしい。

そのくせ、何も言葉が出てこない。

自分なんて、なんもないな、と思った。

 

何を言っても気休めでしかなく、挙げてみた具体的な対策はそこが知れていた。私の経験の少なさから出てくるなけなしの解決策はまったく役に立たなかった。

 

でも、私によく似た女の子は、私ではなかった。

これまで何度も人に話し、考え、実行してきた、学校に何とかとどまり卒業までやり過ごすための様々な対策を、もう何人目かになる私に話すことを厭わず、おそらく自問自答も入れたら何万回目かになるような、私の馬鹿みたいな質問にも答えていた。

機嫌の悪い自分を引きずらず、会話をして、自分でできることは自分でしようとしていた。

 

このやりとりに緊張し、あらゆる覚悟が試されているのは私の方だった。

 

今までの自分や、どうしても譲れなかったこと、これからも大事にしたいと思っていることを、今ここでちゃんと守ることができるのか。

言うだけじゃなくて、実際に行動に移せるのか。

 

子どもを守るっていうのは、こんなにも命懸けのことなのか。

下手でも、持ち駒が無くても、無力を突きつけられてもぐちゃぐちゃでぼろぼろでも、さらけ出してやるしかないんだ。怖い。

でも、そうじゃないとNさんは死んでしまう。

これは彼女の問題じゃなくて、まるっきり私の問題だった。

 

この日に私が提案したのは主に病院の診断書のことだった。

診断書が出れば、少しは考慮されるのではないかと思った。

勤めていた高校では、三年生になってからでも長期で休む生徒が時々いたから。それでも卒業できていたから。

しかし、診断書は、高校という出席が重視される世界ではほとんど効力が無いらしい。

休みは、総授業時間数の1/3しか認められない。少しの休暇や、心身を休める時間すら許されていない。

(後から、何人かの現役高校教師の友人にも確かめたけど、その基準はおおむねどの学校でも変わらないようだった。)

 

退学を勧めるのは簡単だ。そのほうが彼女にとって良いと私も思う。

自分を損なったり傷つけようとする危険な場所からは、いち早く逃げるのが一番いい。

 

でも、大人が子どもを守るための行動を何もしないままでいることが、さらに、そしてもっとも彼女を傷つけているのだと私は思う。

間違ったことや、大人自身も嫌だと思っていることを、「でもこれが社会だから」と教え、子どもに諦めさせ、従わせようとしたり、傍観しているのは子どもを殺すことだと思う。

結果はどうであったとしても、大人が「おかしい」と言って一緒に戦ってくれることが彼女を救う。これからの希望になる。

信頼できる大人がいるということが、彼女にとってもっとも大事なことなのだと思う。たぶん、彼女だけじゃなくて、みんなにとって。

 

彼女は私に何度も、「こんな見ず知らずの高校生のためにいっぱい考えてくれて助けてくれてありがとう」と言った。

私は何もできてないのに。

でも、一人じゃないことが大事で、救いなのだと思う。

あなたは間違ってないと言ってくれる人がいることが救いになるのだと思う。

 

どうか、彼女が希望を持って生きることができるように、一緒に、おかしいことに対して「おかしい」と声をあげてもらえませんか。

 

もし賛同していただけるならば、上に添付しているずぶちゃんの日記と共に、この文章を広めることに協力してくださったら、とてもありがたいです。

どうぞよろしくお願いします。

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蛍光ピンクじゃないともうムリなんです!💛

お洒落でかわいい人だけじゃなくて、持ち物がかわいい人もナンパしたい。

ドトールで通路を挟んだ向かいの席に座った女の子のペンケースが、ダリとフリーダカーロとピカソの顔の絵だった。

 

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高校生じゃないかな。古典やってる。

ノースリーブのサマーニットはパープルで大人っぽくて、めちゃハイセンス。

ショートパンツもよく似合っていた。

普通の高校生っぽくない。外国人なのかな?

宇多田ヒカルに似てる。

話しかけたい。話きいてみたい。そのペンケース、どこで買ったの?

 

その天才芸術家達のイラストをどうしても自分のものにしたくて、パソコン作業そっちのけで紙を広げ、この距離で慌てて模写する。

愛と尊敬をこめてデフォルメされた天才達の顔を、凝視しながら、才能っていうのはもうすでに本人がその姿で体現しているんだなと思う。特別にアピールしているわけでもなくて、最初から普通なんかではいられないのだ。

 

ペンケースの反対側の面は……エルトンジョン? 急に歌手? しかも現代の?

 

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エルトンジョンの、イエロー寄りの金髪に薄いブルーのサングラス、赤のボーダーのシャツ、その上赤い唇ってすごいよなと感嘆しながら色も塗った。

カラフルがかわいい。絶妙な色の組み合わせ。この作品は色が大事で魅力的なのだと、だんだんわかってくる。それが彼らの顔と雰囲気を表している。色とりどりの人たち。

 

以前だったら、「いや、そうは言ってもこのファッション、エルトンジョンだからいいようなものの、その他の単なる一般人がやったとしたら悲惨なことになりまっせ」と思っていた。

世界的歌手でゲイで、数々のスキャンダラスな噂さえ、むしろ華を添えるぐらいの勢いで許されるのは、彼が天才だからだ。奇抜なファッションはむしろそのイメージに箔をつけているように感じた。

 

でも、もう今は、どんなに奇抜な格好でも、したい人がしたらいいのだと思っている。その辺のおじさんでも、おじいさんでも、したければいしたらいいのだ。

そう言ったとしても、誰もしないだけだ。

(安冨先生のことは一瞬忘れてください。書いたら結局先生礼讃になってしまう!笑)

 

それは、イエローに近い金髪も赤い唇も、おじさんのファッションとしては普通じゃなくて変だからだ。普通のおじさんはそんな格好をしない。だから、みんなしない。

 

他に誰もしないから、エルトンジョンだけがしているということになっている。

他のおじさん達はみんな、なぜかおじさんの格好をしてる。

その格好がしたいからということでもたぶんなくて、ただそういうことになっているからおじさんたちは一様に白いワイシャツと黒かグレーのズボンを履いている。ネクタイを首からぶら下げて。

……ねえそれなんで?

 

もし私がおじさんだったとしたら絶望する。あんなテンションの上がらない格好はしたくないし、何着もクローゼットに吊りたくない。

化粧しないで外に出るのとか無理。

おじさんは、自分がおじさんの服を着ることを、いつかどこかで了承したり、諦めて納得したりしたのだろうか?

 

録画していた、『かんさい熱視線‟自分らしさを着る”~性別を越えるファッション~』(NHK)という番組を観た。

「性別にとらわれないファッション」がテーマで、それを実践している人々のことを、東大で行われたファッションショーの映像を交えながら伝えていた。

スタジオのゲストは「ボーダレス男子」として紹介されたぺえさんだった。

両サイドには、おじさんのアナウンサーと、ジェンダーが専門の女性助教授。

性別と年齢と職業という、すべての記号が示すイメージに完全に一致した装いに身を包み、そのことに何の疑問も無さそうな二人に挟まれたぺえさんは一人異色で、異彩を放っていた。その場所だけ蛍光ピンクに発光して見えたのはぺえさんの髪型や洋服のせいではないと思う。存在自体の色。

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 ぺえさん。ユニコーンのTシャツ着てる。

 

番組では、ファッションショーやその出演者に密着したVTRを流した後、スタジオでぺえさんに、「女装」する理由を根掘り葉掘り聞いていた。散々聞いた後、おじさんアナウンサーが仰々しく「L・G・B・T」と書いたフリップを取り出してきて、どや顔で解説し始めた。

 

……え? まだそんなことしてるの? 

っていうか、結局それって、VTRの人々の「女装」したいという欲求は、特別な「障害」を持つ人々の、特別な性質ですってこと? 

だから普通の人々もちゃんと番組を観て理解して、苦しんでいるその人たちを異端視しないようにしましょうね! っていう教育? のつもり? だったの? 

……まさか!! 

しかもそれ、いま隣にいるぺえさんのことも暗にわかりやすいサンプルとして示しているってことだよね? 楽しく会話しているようでありながらそんなこと考えていたんだね……こわっ!!

 

でも、まるっきりそうなのだった。男性の身体に生まれてきたのに女性の格好がしたくて、してみたらとても心地よくて安心するのだという「限られた特別な人々」を、「普通の人たち」にわかりやすく紹介する番組なのだった。

 

はあ?

 

そんなんだからいつまでも、考え方や状況、環境の異なる人同士の断絶が埋まらないんだって。つい、「支援」とか言っちゃうんだって。単なる「紹介」は、無意識に区別を促進し、差別化を際立たせるだけなんだよ。その上、スタートを間違えたまま、知識だけを得て「理解」し「ケア」しているツモリ人間が増えて問題が余計ややこしくなるんだってば! 

 

‟してないつもりde差別する“人、めっちゃいっぱいいるんだよ~。

 

この前私が辞めた学校の校長は、ある業務を拒否した私を校内の小部屋に閉じ込めて、人権学習の授業案を他クラスの分も含めて作らせようとしたもん、私が「人権係」だからっていう理由だけで。

「私の人権を侵害しながら人権学習の指導案作らせるとか皮肉っすか? ウケるんですけど~」って言ったら

「先生(私)の人権は侵害していませんっっっ!!」て怒られたもん真面目な顔で。

 

「人権侵害なんて言語道断です!」って真面目に信じながら何も行動していないか、加害している人は多い。人権守ってるつもりマン。こわいよ。そして厄介。

……と考えていたら、真面目な顔をしてピンク色のぺえさんを挟む普通の二人というその構図が、どうにも変でたまらないものに見えてきた。

 

普通すぎるんじゃ……何も考えてない。

あまりにも素朴で凡庸すぎるんだよ……少しは考えてくれ。泣。

 

このアナウンサーのおじさんは、一体いつ自分がおじさんだと決めて、今のこのおじさんの格好におさまっているんだろう。本当にこれでいいと思っているのかな? こんな何色とも形容しがたいような格好で? ぺえさんのことを「普通じゃないもの」としてじろじろ見てるの? 「理解者」の顔で? マジで? 

っていうか、そもそもいつおじさんの格好を了承したとか、そんな意識もないままに、ただおじさんの格好をしているんじゃないだろうか。無意識で。

 

そんな程度の意識でしか臨んでないくせに、ピンクの髪にさらに色の違う二色のお団子を付けて薄ピンクのユニコーンのTシャツを着たぺえさん(かわいい❤)を、

「そういう人もいて、自分はそれを認めている」的視線で理解者気取ってじろじろ見るのとか、相当ズレまくってると思う。

どっちかというと変なのは、おじさんに生まれて何の疑問もなくおじさんの格好して平気でいられるあなたの方なんだけど。考えたり悩んだり、意識を持ったり意志を持ったりすることもなく、また、自分に合う恰好を研究したり自分をよく見せようとする努力もせずにただぼーっとしていることが「普通」だなんて、もはや完全に……くるっているぜ!!

 

ぺえさんはめちゃくちゃかわいかった。自分に似合うメイクを完璧にしていたし、髪型も服も全部ぺえさんだった。「普通」の人々が、彼らを「心と身体の不一致」とかいう、自分に理解できる文脈に矮小化して、問題化して、理解者を気取るなんて馬鹿だ。彼らは(私も)ただ、自分が似合う、自分がテンションが上がるかわいいと思う格好を研究して実行しているだけ。それには性別も職業も年齢も何も関係ない。与えられた立場や記号に安住せず、自分で考え、実践している人たちが、そのことを体現しているだけだ。

そしてそれがその人を表していく。名前になる。ファッション=その人の記号になる。ペンケースに描かれた名だたる天才達のように。

自分を表すのは、年齢でも職業でも性別でもないのだと思う。

 

実際、私はぺえさんの両脇にいた二人の名前も顔も全然覚えていない。性格も考え方も全然知らない。だって見ていても全然わからなかったから。

 

追記

ペンケースに描かれた天才は、エルトンジョンじゃなくてアンディーウォーホルだった。

ネットで調べたら(ナンパは……できない!)、MoMAの商品らしい。

 

道理でお洒落なはずだ。

それで、この並びでダリの横にぺえさんが来ても……よくない!?!!!

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世の中の最悪なこと全部国語教育のせいやなほんますんまそんごくうやわ

 挑発的なタイトルになってしまった。

ずぶちゃんの自由律俳句を拝借しました。

 

結婚式引退ツアーファイナルと、前に立つ者としての在り方やピュアネスの暴力、集団の強制力と不自由、そこここで起こる暴行事件などが重なり、機嫌を悪くしていました。

 

それぞれのことは、直接書くか揶揄して書くか風刺して書くか諧謔して書くか動物に仮託して描く(とにかく書く)つもりですが、この激烈な苛立ちのまま書くと後から後悔するのでやめておきます。

  

  • せっかく旧街の市役所での用がすべてコンプリートしたので祝わねば。
  • この酷暑の中、生き抜いていることにも祝福を。

NHKのニュースで「命を守る行動を」っていう異様な注意する一方、新国立競技場の内覧会のニュースもする。命と公平性が並ぶ世界観。)

  • こんなにかわいい色のネイルをしているのじゃから(色療法)笑って。

 

週末実家に帰っている時、一つだけ嬉しいことがあった。

妹のことだ。

妹は数カ月前に交通事故に遭い、顔と膝に傷を負った。

仕事帰りのことだった。

(顔は目元に何日間かあざができてショックだったけど、大ファンの安室ちゃんのライブに行くからと事前にネットで買ったライブグッズのキャップが、傷をうまくテンションをあげながら隠してくれて、しかもかわいく(妹は美人)、安室ちゃんに感謝したよ~泣。)

膝にはもともと手術をした古い傷があって、そこに当たった感じだった。

その古傷も、仕事で子どもと遊んでいる時にできた傷なのであって、そのことをいちいち考えると、私の方がけっこう気が狂いそうになる。

仕事でケガをしても(保証の有無にかかわらず)、返ってくるものなど無くて、自分が壊されるばかりだとつくづく思う。

 

妹の職場は学童保育で、誰が見てもわかるブラックだった。

低賃金・長時間労働・肉体労働。

市からの補助金は出ているが微々たるもので、慢性的に経営難で資金不足だとされていた。

「雇用者が子どもの保護者」という終わっている構造で、とても閉鎖的な世界だった。

地域柄、医者や大学教授などの親もいて、指導員は対応に苦労しているという話だった。

親の所得に反して(様々な家庭があったが)、とにかく資金難ということで、

施設はプレハブあるいは古い民家。

驚愕することにトイレは一つしかなく、全員(子どもも指導員も性別も関係なく)共通。約30人。職員の休憩する部屋はもちろんない。

休みの概念に乏しく、例えばその日18:00までの勤務だったとしても、「全体会」なる雇用者(保護者)と指導員共催の会議は、保護者の仕事が終わった19:00開始。だいたい23:00まで。翌日は8:00からの勤務ということも普通だった。

週末はイベント好きな保護者の提案でキャンプ、登山、ハイキング、祭りの開催等に駆り出され、妹はずっとボロボロだった。

賢明で健全な環境で働いている人なら、「労働組合は?」と言うだろうが、ブラック会社の労組もブラックなのですよね。

毎月高い供出金を支払わされ、会議、メーデーの行進、勉強会、懇親会、懇親旅行と疲弊し、いくら私や周囲が「抜けなよ!」と言っても頑なに「抜けられない」「抜けたら職場で困った時助けないと言われた」「抜けたら一緒に働けないと言われた」とさんざんだった(やくざかーい)。

その逡巡を何年か続けた挙げ句ようやく脱退。その後は解放され、拘束時間こそなくなったものの、組合の会議に行く同僚の代わりに時間を延長して働いたり、一人での勤務をしたりと何かと気を遣って働いていた。

 

交通事故はそんなときに起きた。

雨の夜で、妹は駅からの暗い道を傘をさしてうつむきがちに歩いていた。

その日も会議は23:00まで続き、職場を出て電車に乗り、最寄りの駅に着いたのは24:00近くになっていた。翌日は土曜保育が入っていて、8:00出勤が決まっていた。

妹は、急に右折してきた車に気付かず、そのままぶつかった。

救急車で運ばれて、色んな検査を受けた。運転手はすごく謝っていたらしい。

 

そこからが大変だった。

同僚や一部の保護者は、口では心配し、よく休むようにと声をかけてきても、一週間程度で復帰できるのだろうと決めつけて、そのようなメールを寄越した。

妹は、私から見てほとんどパニックで、一人で外に行けないくせに仕事に行かなければならないと準備しようとして、できるはずもなく、泣いていた。

常に頭痛と吐き気がしていたけど、家で寝ていることに罪悪感を持っていた。

職場からのメールと、保険会社とのやりとりは大きなストレスで、まるで、家に居ながらにして仕事をしているような状態だった。

 

私は、妹に、「病院には大げさに申告して(あまり患者を理解しないタイプの医者だった)、最大の休暇を取れるようにすべきだ」とうるさく言ったものの、妹自身の怯え、ブラック職場で刷り込まれた奴隷精神からなかなか回復できなかったことにより、一週間ごとの休暇指示が書かれた診断書しか得てくることができなかった。

嘆く私に対して妹は泣き、私は泣くならこんなところじゃなくて職場で大声で泣いて来いよと言ったりしてひどくて、けっこうカオスだった。

私と妹は性格が全然違って、妹は嫌なことに対して私みたいにはっきりとした態度を取ることができない。

私は冷静ではいられないのでしばらく距離をおくとに決め、自分の家に帰った。

 

結局、妹は職場の引き止めには乗らず、そのまま一日も働くことなく退職した。

残った有休の利用を阻止されかけたりして最後まで揺るぎなくブラックだったけど、ようやく縁を切ることができた。

 

(最後に行った日の送別会で、おそらく悪意無く、賞状の形の寄せ書きみたいな『よく頑張りましたで賞』みたいなのを同僚達からもらったと見せられた時は頭が沸騰しそうになった!! 最後だからと勇気を振り絞って行ったのに、何だこの仕打ち! しかも悪意無いとか終わってる。識字率の低さ、理解力の無さ、センスの無さが末期で、蔓延してる。国語教育の敗北なのか!!!!)

 

それから妹は、病院に通いながら家で療養し、家事をしたり近くを散歩したりして過ごしているようだった。相変わらず一人で外出することができず、車は怖くて運転することができなかった。駅も遠く、車がないとどこにも行けないような場所に住んでいて、妹の外出は毎週二回の病院とスーパーに母と行くことにとどまった。

徐々に、旅行や、友達との外出をするようにはなっていたけど、慢性的な体の不調で気分も落ち込んだりしていた。特に、膝のケガの回復の見通しが立たないことが不安だった。いくつか病院を変えて行ってもパッとせず、その上、そのつど保険会社に連絡しなければならないとなるとストレスは増した。

そんなか、力になってくれたのは友達で、仲のいい友達やずいぶん離れていた友達と少しずつ会ったりしているようだった。

 

この週末、実家に帰ったら、母が、妹の運転で一緒にT市の病院まで行ってきたと言った。

T市の病院には妹のひざの手術をした先生が異動していて、どうしてもその先生に診てもらいたくて予約を取って行ってきたのだという。

T市は郊外にあって、家からは二時間以上かかる。

大きな病院で、先生の診療する曜日も決まっている。

紹介状を書いてもらうためには、今通っている病院でうまく話をしなければいけない。色んなことを自分で手配しなければならず、その道のりははるかに遠い。

それでも、そういうことをきちんと行って、自分で行ったんだと思うと涙が出そうになった。

職場のせいで多くのことに諦めと忍耐を強いられ、いつしかそれを内面化し身に付けていった妹が(そうするしか生きていく方法がなかった)、こうして自分で現状を見極め、このままでは不安だと感じ、何とかしようと動き出していることに感動した。

私も体験があるけど、名医に出会うのは難しく、なかなかかなわずに苦労するもので、どこかで自分で動かなければいけないことがあって、でもそれをするにはお金も時間も体力もいる。すごく弱っている時に、日常のルーティーンや自分の生活圏を離れた場所に踏み出していくことは困難だ。でも、自分でやるしかなくて、こうして自分からよくなるために行動を起こしている妹はとても立派だと思ったし、なにより、回復の兆しだと思ったら嬉しくて泣けてたまらなかった。

人があれこれ言っても仕方がなくて、自分でいろんなことのタイミングをみて、ここだ! と思ったときに動けたら十分で、最高なのだと思う。

私はやっぱり、人がよくなりたいと思うことにすごく感動するし、尊敬する。

 

翌日、妹に会った時にその行動の立派さに感動したことを言って盛大に褒めたら、後から母に嬉しそうに報告していた。

聞けば、名医は妹のことを覚えていてくれて、T市に通うのが無理ならば、妹の生活圏内で通いやすい病院と先生を提案し、今後の治療方針も一緒に立ててくれたという。

よかった。本当によかった。

 

最新情報では、紹介された先生に会ったけどどうにも話が通じづらいタイプ(若手)で馬が合いそうになく、困っていたらもう一人、別の病院で診てもらったことがある、今回名医から名前が挙がったものの多忙かもとリストから外されていた先生(ベテラン)を発見し、自分で看護師さんに交渉して診察を入れてもらったという。

あっぱれ!!!

こうやって少しずつ、自分の手で、足で、回復に向かっていこうとしている妹がとてもとても立派で、うれしかったというお話でした。

 

 

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戦うピンクのクマでーす。

続・バスで泣く。「絶望の中の希望」

瞬間の絶望は止められないし、それは私の癖でもあって、これからも絶望すると思う。

 でも希望もあった。

そのことを大事にしたい。

 1.個人のつながりと活躍

Twitterを通し、怒涛のように押し寄せてきた絶望、よりどころの無さ、不安、信頼崩壊のタイムラインの中でも、たしかに存在していたのは、被災者の声をとらえ助けを呼びかけたり、その声に具体的にこたえ行動する人々について伝えるものだった。

行政を通した救助もあったし、個人の活動もあった。国による対策の遅れやマスコミによる報道の手薄さが指摘される一方で、できることを人々がしていた。近くの人も遠くの人も、被災状況の詳細を共有しようとしたり浸水復旧法をまとめて簡単に見られるようにしたり、この先考えられる困難への備えを呼び掛けたり、励まし合ったりしていた。これらは、人々の活動だった。

 

国や全国ネットのテレビのような大きな組織よりも、個人の考えや経験者の知恵が、瞬発力をもって活躍していた。

ネットの中だからそう思ったのかもしれない。

でも、私はそのことに慰められ、希望を感じた。ずっと泣いていたけど、その三分の一ぐらいはこの希望についての涙だったと思う。

個人は頑張っている。人々が助け合っている。それしかない。

希望と混ざり合った悲しさの中で、そう思っていた。

 

2.安冨先生のかわいい選挙活動

 

もう一つ、大きな希望があった。それは、東大の安冨歩先生が東松山市長選挙に出馬したことで

(先生は「馬と共に生きること」にたどり着いていて、まさに馬に乗って出馬宣言した!)、

この期間はちょうど選挙活動期と重なっていた。この選挙活動が、かわいくて素敵だった。

安冨先生は、私たちが通常何も考えずに「普通」だと思っていることをさらりとかわして覆し、楽しくて幸福なことに変えてしまう。

選挙もその調子で、

  • 無所属
  • 無意味な名前の連呼無し
  • 対立候補(現職)への批判無し。

散歩ムードで道を歩き、野山を分け入って田んぼの蛙に演説したりする。馬に寄ってきた子どもと話し、連れ歩くチンドン屋と歌い、踊る。

政策は、「子どもを守ろう」。もちろんスピーチもすばらしく、聞き始めたら最後まで聞いてしまう(寝る前の安定剤)のだけど、何よりも、スカートをはためかせ踊るように歩く先生や人々の姿は「希望」だった。

地獄のようなタイムラインの中で、命懸けでとぼけている、かわいい活動。ここに希望があるのだし、ここに正しさがあるのだと確かめて、救われる思いがした。

これにもまた泣いた。

 

私は3~4年前から安冨先生のファンだけど、よく取り上げられるその外見だけでなく、先生はいつもずっと進化していた。

大学の講義や研究だけじゃなくて、馬や絵画の方に世界を広げて(それは先生自身の癒しでもある)るなーと思ったら今回の立候補だった。

 

厩舎で出馬宣言を行った理由を「街にこういう景色を取り戻したいから」と語った。

記者たちは訳が分からないと言った風で先生にしきりにつまらない質問を投げかけた。

いわく、「ご結婚は?」「本名は?」「東大は辞めないんですか?」「住所の詳細を番地までお願いします……!」

まさに定型の、相手が誰かということを一切考えない、答えを聞いたからといって何がわかるわけでもないような問い。それらに(しかも重複アリ)辛抱強く答え、記者をあやした後は、完全に安冨先生の独壇場だった。

「子どもを守ろう」の意味、自分が出馬することの意味、子どものすばらしさ、馬のすばらしさ、東松山のすばらしさ。記者たちを前にユーモアを交えて丁寧に話していた。これが本来の「先生」のあるべき姿だーと思うものだった。

記者たちはまるで学生だった。大学の講義を聴くような面持ちで神妙に聴いていた。(事実、翌朝の記事ではそのように書かれた。)

安冨先生は、違和感を持っていた男性装をやめて女性の恰好をするようになった結果、様々な呪縛から解き放たれ、さらに自由に、馬や絵、音楽へと世界を広げている。

私も今、解き放たれて、文章だけでなく絵も描くようになった。同じ。(馬も好き。)

 

安冨先生と、私の友人のみさき先生

zubunogakkou.hatenablog.com

はよく似ている。

 

二人とも、従来の「普通」とされていることにとらわれずに自分で考え、良いと思ったことを実行している。歌ったり踊ったりするのも同じ。物を描(書)いたり作ったりするのも同じ。時々過激派になるのも同じ。繊細でやさしく、行動する人。

だから尊敬し、信頼している。

3.タイの友達

 

絶望の中の希望は、いつもこの人のような気がする。

同じ日のタイムラインの中で、こんな記事も見た。

 

mainichi.jp

 

自己責任論、少ないんだ……。日本では信じられないその状況に、私の絶望はますます深まった。やっぱり日本は異常で生きづらすぎる。

そのままタイ人の友達にLINEをした。

私の一連の絶望も含めて。国は信頼できないよ。あなたの国はすばらしくてうらやましい。

すると返事が返ってきた。

  • 「災害は予想できない。しかも、人間より強いよ。でも、何かあったら助けるのは人間の役目ではないかな。今回(洞窟事故)は海軍1人死亡だが、海軍たちも止まらない。みんな、頑張ってる。あなたの国のspecialistsも来てくれたよ。ありがとう。」
  • 「洞窟から水を吸いこんで外に出すことは日本のspcialistsもサポートしてくれたようだよ。」
  • 「こちらから応援しています。」
  • 「あなたの友達がここにいる。」

 

この日、私はまた京都で学校(「世界文庫」)に行き、友人たちに会った。

何気ない会話がうれしく、楽しかった。

遠くから気にかけてくれる人と、身近な優しい人たちに救われている。

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貴婦人の昼寝(ソファー)の前で寝ころがるパンダ(私)。

(パンダはプロの方の絵です~)

バスで泣く

バスの中でTwitterを見ていた。

今日の画面の中はひどかった。本当にひどかった。

いつものタイムラインだって、私のフォローしている人たちのジャンルや傾向からたいがいひどくて、女の人の被害とか直接的な言動のレポート、それらに憤る声や対処法とかが多くて地獄絵図だったりするけど、その辺は自分でそういうフォロー設定にしているわけだし「閲覧注意」なのもわきまえていて調子が悪い時は最初の3文字ぐらいで飛ばすなどしてうまく付き合っていた。

ていうか、そこで憤っている人たちこそが私の友達だったから、確認というか支えっていうか、居てもらわなくては困るというような存在でもあった。

本当はそれだって読むだけで一緒にザクザク切りつけられて傷ついていたのだろうけど、私だって麻痺していたのかもしれない。あるいは大丈夫だというフリ。

 

今日一斉に流れてきたのは、四国や中国地方の洪水の画像、首相が緊急対策本部をまだなお立てていないこと、2日前に執行された7人の死刑のこと、それが実況中継のように報道されたこと、テレビの生放送では執行されるごとに「執行」というシールが貼られていったこと、死刑の前日に開かれた自民党の宴会で笑顔で写真に写る首相と法相、その時間にはすでに大雨で何人もの死者が出ていたこと、このような中で首相がフランスに外遊に行くという報道、災害支援よりも高い日本の軍事費、オウムのサリン事件の振り返りと冤罪事件について、カルトへの傾倒が特異なことではなく本当はとても身近であること、オウムと現在の政権の重なりの指摘、死刑とは刑務官に殺人を犯させることだということ。

 

フォローしている人たち(人権派、人命重視派)が次々にツイートしリツイートしたこれらの情報が押し寄せてきて、私は頭がおかしくなりそうだった。

いや、もうずっと、おかしかったのかもしれない。

大雨が何日も降り続き、特別警報が出て、まださらに降ると警告されてもどうしたらいいかわからなくて、家に居たり自分で考えて出かけたりした。書かなければいけないと決めた文章を書いていた。ご飯を作って食べ、眠った。友達とLINEをしたり、クローゼットの下に置く衣装ケースをアマゾンで注文した。

 

その途中に、死刑の執行はあった。

いつものような事後報告じゃなくて、テレビはすべてその報道に切り替わり、刻々と執行のことを連絡してきた。テレビの中の人たちは少し興奮しているようにも見えた。とても変で不気味で、タイミングもおかしくて、私はただ茫然としているしかなかった。 外は警報が出ていて、避難指示も出ていて、遠くの親や妹はしきりに心配のLINEを送ってきていた。私は避難指示に従うべきかどうかもわからずに、文章を完成させるために出歩いたりやっぱり後悔したりそれでも書いたりしていた。

 

書きながら頭の裏で、こんな不安で悲惨な日に、正しいかどうか誰もわかっていないこと、でも間違いなく人が人の命を奪うということをするなんて、私たちはそれをさらに負わされるなんて、なんてひどいことだろうという絶望を感じた。

それまで私は、国っていうのはその国にいる人を元気にしたり支えたり共に歩いたりするようなものだと思っていた。国民と国はそういうことをお互いにし合って助け合う関係にあるんだとぼんやり信じていた。人と人みたいに。そういうことへのぼんやりとした信頼があった。私に愛国心があるとすればそれだと思っていた。でも、この日にそれは崩壊した。

 

災害は仕方がない。人間が勝てるようなものじゃない。でも、人々が人間の力ではとても及ばないようなものにおびえ、自分の無力さや傲慢さへの反省も含めた不安や、つらくてどうしようもない気持ちでいるときに、さらに、罪の意識や責任や解決できない苦しみ、存在そのもののの苦しみを負わせるのは、あまりにも野蛮で非人間的な行為だと感じた。

 

一方的な情報の伝達に、ただなすすべもなく打たれ続けるしかなかった。疑問も抵抗も間に合わないぐらい、事はとてもスムーズに流れて行った。

私は感覚を麻痺させた。ただ見ているしかなかった。

死刑の是非も、時期のことも、議論の余地もないまま、国家によって、いや私たちの手によって殺されていくのをただ見ていた。

これは罰なのだろうか。

被害を受けた人たちのことをいつもは考えていないことへの? 

死刑の是非を日々議論していないことへの? 

目先の快不快にしかとらわれていないことへの? 

自分の生き死にを国家に委ねていることへの?

 

バスの中でスマホの画面を見ながら流れる涙が止まらなかった。今も。この国はどうなってしまって、これからどうなってしまうんだろう。いや、それより私はどうなってしまったんだろう。自分が死刑執行のボタンを押したのも同じなのに、何も感じずに今もこうして生きている。私は変わってしまったんだろうか。

何かが決定的に変わってしまったと思う。それが怖くて辛くて、こんな国であることもこんな自分であることも恐ろしくて泣いた。

四国の、ありえないほど変形し波打った道路の衝撃的な写真に、これを何も思わなくなる時がすぐそこまで来ているのかもしれないと思った。それはもう自分が自分じゃなくなるってことだ。このことに何も思わなくなるのだとしたらそれはもう生きている意味がないよ。

 

昨日の夜、何時間もやっていた音楽番組がこわかった。

司会者や歌手が「被災地の人へ」と言ったとしたら終わってるけど、何も言わなかったのも同じぐらい不気味だった。常に画面にはL字型のコーナーが設けられ、恐ろしい警報と避難情報と被害情状況が流れ続けたけど、大きい方の面では歌手がいつもと変わらず歌ったり、司会者や芸人がおしゃべりしたりしていた。日本の全員は大きい面の方に居て、被害を受けている人たちはあのLの中の文字の中にしかいなかったみたいだった。いやそれどころか、日本っていうのは東京だけのことで、それも死刑もない国TOKYOで、まるであの日あの時日本では何も起きていないかのようだった。

音楽番組が終わってチャンネルを変えたらオッサン3人が正しいセクハラ謝罪会見の開き方をネタに楽しげに話していた。どこにも、だれもいなかった。

 

バスの中で泣き続け、自分でもどうかしていると思ったけどこれが普通のことだとも思った。おかしくならないほうがおかしいんだ。私は仕事を辞めて自分を回復させてきたけど、自分を殺して生きていたゾンビをやめて生き返るということはこういうことなんだと思う。とんでもなく辛いことをそのまま全部感じ取っていくということ。だってこれは本当はとてもおかしくて辛いことだから。

 

安冨先生が、クラスに不登校の子がいるのに普通に授業が行われていくことの異常性について話していたけどそれはこういうことだと思う。やっぱり今とても変だし、変に合わせるということは自分の中の大事なものを壊して殺して変になっていくということなんだと思う。

自分をとりもどした時、本当は毒だったけど今まで麻痺させて入ってくるままにしていたものがそのまま体に効いてしまって身体も頭もおかしくなる。

だから私は自分のおかしさを健全さの証拠だと確信しながら泣いて、泣き止んだ。

バスが停留所に着いた。

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引っ越しと鴨川と小説のような7月の始まり

引っ越しに関する母の手伝いの申し出を断ったからには一人で何とかしなくちゃいけない気がしたし、何とかしたかった。たとえそれが苦手なことでも。

 

遅々として進まなかったマイ引っ越しは、ついに前々日の深夜に「ゾーン」みたいなモードに突入した(引っ越しにそんなのあるのか知らんけど)。

だれも止めてはならぬみたいな、今この流れに絶対乗るべし的な。

このゾーンに入ってからの意識はほとんどない。

 

とにかく段ボール箱を成形し、ただ詰めた。

数日前の「え~段ボール組み立てって何? どうするの? いやいや、ガムテープを十字に貼るとか何それ~」といったような、自分でも何言ってたんだかよくわからないお嬢発言の人とは思えない熟練ぶりで無言のまま段ボール底にガムテを3秒で十字に貼り、軽快にひっくり返しては次々と物を詰め込んだ。

コツとか苦労したことは何かとかの細かい記憶はほぼなくて、次の引っ越しに活かせそうなメモは全くない。ただ体が覚えているのだと思う。……プロっぽいでしょ。

 

引っ越し当日もまだ箱詰めていて(ぜんぜんプロじゃねー)、引っ越し屋さんよ遅れてきてくれてセンキューといった感じだった。

 

引っ越してきてからも、この新鮮かつ謙虚なムードを持続させるために、らしくなく休みなく、片づけたり部屋作りをしたりしていた。

……ことによる熱中症(また)で、鴨川でやるという週末の5時間あまりの授業は、全然自信がなかった。

 

前日、ヨガには行った。先生が、「考えない時間を作らないとダメですよ。考えると脳が動いてエネルギーを使うから。考えちゃダメ。無視して」と言っていたのがいつになく心に響いた。

 

冷えピタとか水とかゆるい服装とか、できるだけの準備をして、むりになったら途中で帰ろうと決めていた。

鴨川にある大きな木の下に着いたら、「ユニちゃーん」と声をかけられた。それがもううれしかった。

日焼けとか熱中症とか虫とか強風とか、いろんな心配を一緒にしゃべりながらちょっとだけ共有した。

ひとりだと不安とストレスで考えすぎるばかりになることが、こういうふうにしてやわらいでいく。

そのことを経験するのが、ここ(世界文庫)に来てもう何度目になるのだろうと思う。

ありがたく、助けられている。

 

総勢40人の自己紹介は対岸の声が聞こえづらくなって、でもみんな聞きたいから伝言ゲームのようになった。聞き取った人がリピートしてみんなで知った。自分が聞こえなくても誰かが聞いていて教えてくれた。

なんていい空間なんだろう。自分だけでしなくちゃいけないわけじゃない。できなかったことは誰かがやってくれている。その逆もある。それって、引っ越して今私が目指したい生き方だと思う。

おいしくてかわいくておいしいお弁当の中のひとつひとつに、反射みたいにあがる感動の声(「うま!」「かわいい!」「なんでこんなにごはんがおいしいんだ!」)と、伝言ゲーム。

不思議で静かな波のような広がり。

 

儀式になったYちゃんのジャンベdeどんぐりころころ」は、みんな始まる前からそわそわして、言われる前からもう立ち上がっていた。

「Kちゃんが普段はたらいているあそこに見える比叡山からどんぐりが落ちてきて、目の前の鴨川にはまっちゃってさあ大変!」

なーんて、今まで思ったこともないことが、あの時あの場所でYちゃんに言われると簡単に想像できすぎてびっくりした。

今この瞬間の景色や人、そこで起きる出来事に私たちは興奮するし、愛着を持つ。だから、そのことを丁寧にすくいあげて示すYちゃんの愛情深さに、私たちは(いつも)感動して尊敬するし、それをみんなで一緒に味わえるのが貴重で幸福だと思う。

このことが当たり前なわけじゃないというのは、地震があった後だから思うことかもしれない。

喜びとか祈りとか感謝とか希望のような時間。

  

個人的なことで、じんわり嬉しかったことがあった。

先週、Aさんが書道家のHさんに依頼していた「寄贈」のかっこいいハンコがもうできあがっていた。

引っ越しに際して私が手放したお料理漫画(よしながふみきのう何食べた?』)をAさんをはじめ、何人かの料理人さんたちが共有してくれることになった時、料理人さんたちが「図書館みたいに『寄贈』のハンコを押そう! ユニコさん、名前書いてね!」と提案してくれた。

このことの全部に感動した。

ハンコを押そうというアイディア。Hさんの文字。

私は単に、好きだけど持っていられなくなった漫画をもらってもらっただけなのに、もう大切にしてくれていることがわかるような、粋で心のこもった行動。

……こんなことがあるのかな?? 言葉にうまくできなくなった! 

言葉にあらわせないことがある、って一昨日SONGSで宇多田ヒカルが言ってた……。

このことかー!

 

・緑と紫とピンクの髪はただただかわいい。言葉はいらない! でも言いたい。

・サングラスや金髪ガールズのトークを憧れながらきいた。

 

先生に言われた「子どもの頃好きだったもの」を考えるのは手間取って、常に優勝を狙う私の固くなった頭がそうさせるんだけど、みんなはシュシュシューッと書いて、他の人のに「それはなあに?」と聞いてアハハと笑ったりワカル~と言ったりしていた。

 

隣のYさんは圧巻のスピードで、あれもこれもそれもどれもらんらんらんっ♪ といった様子でこなしていき、私のリクエストにも軽ーく応えて10秒ぐらいでヨガガールの人形を作ってくれた。いつまでも呻吟している私はその軽やかさに圧倒されて、もうなんか笑っちゃった。

これもまた、自分が頑張らなきゃ(ガンバリタイ・優勝したい)、という思考だけじゃなくていいんだなと、思えた瞬間だった。任せていいし、たゆたっていていい、それこそまさに、考えずにぼーっとしていていいといったような。

(Yさんは、シンガーで、ヨガの先生! わかる気がする。)

 

黄色のお弁当箱と黄色のTシャツ。

冷たくておいしいコーヒーと繊細なお菓子。

少し弾かせてもらったウクレレ

 

ワークショップのチームで作った作品は「太陽ツリー」と名付けられた。

名前も、布も、太陽も、みんなが好きだったものも、人間も、摘んできた花も、草も、みんなかわいかった。

先生が既製品をこえることの難しさの話をしてくれた。

自分たちがしたことに、そんな意味や挑戦があったなんて知らなかった。

みんなで儀式みたいに祈りながら写真を撮った。

 

結果や効果のわからないことを、思いつくままみんなでやる時間は、まるで小説みたいだった。あ、小説のような。

遊ぶってこういうことだったな。ずっと忘れてた。

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ゆるぎないYさんのヤシの木のポーズと、迷いある私の足上げたポーズ