テレビは死んだ
もう落ち込まない、というような何か変な確信を持っている。
落ち込みはたいてい、社会や他人と比べた際に起きるもので、私の場合「落ち込まされている」と言う方が適切であると思う。
しかし、たとえ私が落ち込んでも、それは単に私を落ち込ませて思い通りにしようとしてくる社会を喜ばせるだけらしいのでやめた。
(人と違うことに不安を抱き、落ち込む結果、社会に合わせて生きる=社会の要請通りの型にはまり、粛々と生きるということ。)
最近Twitterをやめてしまった、落ち込み屋さんで悩み派仲間の友達(かわいいでしょ?)が、 「ゆっくり・静かに・穏やかに」「焦らない・こだわらない・無理しない」と言っていて、
「恵さんも、無理して周りに合わせると疲れてしまうから、ゆっくりね」と言ってくれた。
人と比べない。そう考えたら、人々が働いている時間のことも、月曜から金曜までの平日のことも、あんまり気にしなくていいはずなのだった。
土日や連休の幸福感はしっかり享受するけどね。
少しずつ、また書くようになった。
言葉がうるさいのは相変わらずで、自分がうるさいのだけど、自分以外のマジョリティがうるさいので(自分もマジョ側でもある)、
テレビを消音にしている。
本当はテレビを消して音楽を流すのがいいけど、あまりたくさん持っていないのと、
自分が好きで知っている数少ない音楽をエンドレスリピートするのも飽きたし世界が狭すぎるのでテレビ消音にしている。
昨日は、昼からやっていた歌番組を消音で流していて、自分でもついにここまで来たかと思った。
そんな理由で、ラジオにはぜひぜひがんがん頑張ってもらいたいものである(新聞の「市民の声」投稿欄風。えらそうで無責任 笑)。
(それにしてもテレビは消音にしていてもうるさい。)
テレビがうるさいのは、だいたいの番組がもう全然面白くなくて、ミソジニーで、日本大好きで、病気不安を煽ってきて、クイズ王で、出ているのが良純一茂坂上梅沢ばかりだからだ。
いや、それらに対する私のヘイトがいちいちうるさい!!!
だから見なくなってしまった。
たとえば、大坂なおみ選手の対戦相手のセリーナ選手の抗議にまつわる問題(女性、人種差別)を、日本のテレビは一切やらなかった。
海外の報道を翻訳したもののなかには、セリーナ選手が自分の地位を嵩に審判を脅したという論もあった。
私はそういう話をしたいし、真相が知りたい。でも日本のテレビじゃ絶対無理。
驚くのは、この私ですらその惨状にもう慣れて、日本のテレビや報道に全く期待していないことだ。
(一人ヘイトを叫ぶのはしんどいし、趣味じゃないんだよ。)
これは安倍政権へ向けるものと全く同じものだ。
いや、本当に、疲れることに疲れてしまった。
売れればいいのか? 生活していければいいのか?
中身は?
誰が、また、どんな思想を持った人が書いた(作った)ものか、ということは?
人権意識は?
……大事やろがい!!!!!
私もかつてはテレビが好きだった。でも、だんだん嫌いになって今は消音。
テレビは視聴者に合わせているらしい。
その劣化を全部こっちのせいにされてもとは思うものの、
ぺらっぺらの感性や情緒が想定され、ナメられまくっている
ってことに、そろそろみんな私と一緒に怒ろうぜ。
タイル博物館(岐阜県多治見市)と、作った(並べた)タイル写真立てだよ~
小学生が学校帰りに寄ってた。