むりむりちゃん日記

私が孤独なのは私のせいではない

バスで泣く

バスの中でTwitterを見ていた。

今日の画面の中はひどかった。本当にひどかった。

いつものタイムラインだって、私のフォローしている人たちのジャンルや傾向からたいがいひどくて、女の人の被害とか直接的な言動のレポート、それらに憤る声や対処法とかが多くて地獄絵図だったりするけど、その辺は自分でそういうフォロー設定にしているわけだし「閲覧注意」なのもわきまえていて調子が悪い時は最初の3文字ぐらいで飛ばすなどしてうまく付き合っていた。

ていうか、そこで憤っている人たちこそが私の友達だったから、確認というか支えっていうか、居てもらわなくては困るというような存在でもあった。

本当はそれだって読むだけで一緒にザクザク切りつけられて傷ついていたのだろうけど、私だって麻痺していたのかもしれない。あるいは大丈夫だというフリ。

 

今日一斉に流れてきたのは、四国や中国地方の洪水の画像、首相が緊急対策本部をまだなお立てていないこと、2日前に執行された7人の死刑のこと、それが実況中継のように報道されたこと、テレビの生放送では執行されるごとに「執行」というシールが貼られていったこと、死刑の前日に開かれた自民党の宴会で笑顔で写真に写る首相と法相、その時間にはすでに大雨で何人もの死者が出ていたこと、このような中で首相がフランスに外遊に行くという報道、災害支援よりも高い日本の軍事費、オウムのサリン事件の振り返りと冤罪事件について、カルトへの傾倒が特異なことではなく本当はとても身近であること、オウムと現在の政権の重なりの指摘、死刑とは刑務官に殺人を犯させることだということ。

 

フォローしている人たち(人権派、人命重視派)が次々にツイートしリツイートしたこれらの情報が押し寄せてきて、私は頭がおかしくなりそうだった。

いや、もうずっと、おかしかったのかもしれない。

大雨が何日も降り続き、特別警報が出て、まださらに降ると警告されてもどうしたらいいかわからなくて、家に居たり自分で考えて出かけたりした。書かなければいけないと決めた文章を書いていた。ご飯を作って食べ、眠った。友達とLINEをしたり、クローゼットの下に置く衣装ケースをアマゾンで注文した。

 

その途中に、死刑の執行はあった。

いつものような事後報告じゃなくて、テレビはすべてその報道に切り替わり、刻々と執行のことを連絡してきた。テレビの中の人たちは少し興奮しているようにも見えた。とても変で不気味で、タイミングもおかしくて、私はただ茫然としているしかなかった。 外は警報が出ていて、避難指示も出ていて、遠くの親や妹はしきりに心配のLINEを送ってきていた。私は避難指示に従うべきかどうかもわからずに、文章を完成させるために出歩いたりやっぱり後悔したりそれでも書いたりしていた。

 

書きながら頭の裏で、こんな不安で悲惨な日に、正しいかどうか誰もわかっていないこと、でも間違いなく人が人の命を奪うということをするなんて、私たちはそれをさらに負わされるなんて、なんてひどいことだろうという絶望を感じた。

それまで私は、国っていうのはその国にいる人を元気にしたり支えたり共に歩いたりするようなものだと思っていた。国民と国はそういうことをお互いにし合って助け合う関係にあるんだとぼんやり信じていた。人と人みたいに。そういうことへのぼんやりとした信頼があった。私に愛国心があるとすればそれだと思っていた。でも、この日にそれは崩壊した。

 

災害は仕方がない。人間が勝てるようなものじゃない。でも、人々が人間の力ではとても及ばないようなものにおびえ、自分の無力さや傲慢さへの反省も含めた不安や、つらくてどうしようもない気持ちでいるときに、さらに、罪の意識や責任や解決できない苦しみ、存在そのもののの苦しみを負わせるのは、あまりにも野蛮で非人間的な行為だと感じた。

 

一方的な情報の伝達に、ただなすすべもなく打たれ続けるしかなかった。疑問も抵抗も間に合わないぐらい、事はとてもスムーズに流れて行った。

私は感覚を麻痺させた。ただ見ているしかなかった。

死刑の是非も、時期のことも、議論の余地もないまま、国家によって、いや私たちの手によって殺されていくのをただ見ていた。

これは罰なのだろうか。

被害を受けた人たちのことをいつもは考えていないことへの? 

死刑の是非を日々議論していないことへの? 

目先の快不快にしかとらわれていないことへの? 

自分の生き死にを国家に委ねていることへの?

 

バスの中でスマホの画面を見ながら流れる涙が止まらなかった。今も。この国はどうなってしまって、これからどうなってしまうんだろう。いや、それより私はどうなってしまったんだろう。自分が死刑執行のボタンを押したのも同じなのに、何も感じずに今もこうして生きている。私は変わってしまったんだろうか。

何かが決定的に変わってしまったと思う。それが怖くて辛くて、こんな国であることもこんな自分であることも恐ろしくて泣いた。

四国の、ありえないほど変形し波打った道路の衝撃的な写真に、これを何も思わなくなる時がすぐそこまで来ているのかもしれないと思った。それはもう自分が自分じゃなくなるってことだ。このことに何も思わなくなるのだとしたらそれはもう生きている意味がないよ。

 

昨日の夜、何時間もやっていた音楽番組がこわかった。

司会者や歌手が「被災地の人へ」と言ったとしたら終わってるけど、何も言わなかったのも同じぐらい不気味だった。常に画面にはL字型のコーナーが設けられ、恐ろしい警報と避難情報と被害情状況が流れ続けたけど、大きい方の面では歌手がいつもと変わらず歌ったり、司会者や芸人がおしゃべりしたりしていた。日本の全員は大きい面の方に居て、被害を受けている人たちはあのLの中の文字の中にしかいなかったみたいだった。いやそれどころか、日本っていうのは東京だけのことで、それも死刑もない国TOKYOで、まるであの日あの時日本では何も起きていないかのようだった。

音楽番組が終わってチャンネルを変えたらオッサン3人が正しいセクハラ謝罪会見の開き方をネタに楽しげに話していた。どこにも、だれもいなかった。

 

バスの中で泣き続け、自分でもどうかしていると思ったけどこれが普通のことだとも思った。おかしくならないほうがおかしいんだ。私は仕事を辞めて自分を回復させてきたけど、自分を殺して生きていたゾンビをやめて生き返るということはこういうことなんだと思う。とんでもなく辛いことをそのまま全部感じ取っていくということ。だってこれは本当はとてもおかしくて辛いことだから。

 

安冨先生が、クラスに不登校の子がいるのに普通に授業が行われていくことの異常性について話していたけどそれはこういうことだと思う。やっぱり今とても変だし、変に合わせるということは自分の中の大事なものを壊して殺して変になっていくということなんだと思う。

自分をとりもどした時、本当は毒だったけど今まで麻痺させて入ってくるままにしていたものがそのまま体に効いてしまって身体も頭もおかしくなる。

だから私は自分のおかしさを健全さの証拠だと確信しながら泣いて、泣き止んだ。

バスが停留所に着いた。

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引っ越しと鴨川と小説のような7月の始まり

引っ越しに関する母の手伝いの申し出を断ったからには一人で何とかしなくちゃいけない気がしたし、何とかしたかった。たとえそれが苦手なことでも。

 

遅々として進まなかったマイ引っ越しは、ついに前々日の深夜に「ゾーン」みたいなモードに突入した(引っ越しにそんなのあるのか知らんけど)。

だれも止めてはならぬみたいな、今この流れに絶対乗るべし的な。

このゾーンに入ってからの意識はほとんどない。

 

とにかく段ボール箱を成形し、ただ詰めた。

数日前の「え~段ボール組み立てって何? どうするの? いやいや、ガムテープを十字に貼るとか何それ~」といったような、自分でも何言ってたんだかよくわからないお嬢発言の人とは思えない熟練ぶりで無言のまま段ボール底にガムテを3秒で十字に貼り、軽快にひっくり返しては次々と物を詰め込んだ。

コツとか苦労したことは何かとかの細かい記憶はほぼなくて、次の引っ越しに活かせそうなメモは全くない。ただ体が覚えているのだと思う。……プロっぽいでしょ。

 

引っ越し当日もまだ箱詰めていて(ぜんぜんプロじゃねー)、引っ越し屋さんよ遅れてきてくれてセンキューといった感じだった。

 

引っ越してきてからも、この新鮮かつ謙虚なムードを持続させるために、らしくなく休みなく、片づけたり部屋作りをしたりしていた。

……ことによる熱中症(また)で、鴨川でやるという週末の5時間あまりの授業は、全然自信がなかった。

 

前日、ヨガには行った。先生が、「考えない時間を作らないとダメですよ。考えると脳が動いてエネルギーを使うから。考えちゃダメ。無視して」と言っていたのがいつになく心に響いた。

 

冷えピタとか水とかゆるい服装とか、できるだけの準備をして、むりになったら途中で帰ろうと決めていた。

鴨川にある大きな木の下に着いたら、「ユニちゃーん」と声をかけられた。それがもううれしかった。

日焼けとか熱中症とか虫とか強風とか、いろんな心配を一緒にしゃべりながらちょっとだけ共有した。

ひとりだと不安とストレスで考えすぎるばかりになることが、こういうふうにしてやわらいでいく。

そのことを経験するのが、ここ(世界文庫)に来てもう何度目になるのだろうと思う。

ありがたく、助けられている。

 

総勢40人の自己紹介は対岸の声が聞こえづらくなって、でもみんな聞きたいから伝言ゲームのようになった。聞き取った人がリピートしてみんなで知った。自分が聞こえなくても誰かが聞いていて教えてくれた。

なんていい空間なんだろう。自分だけでしなくちゃいけないわけじゃない。できなかったことは誰かがやってくれている。その逆もある。それって、引っ越して今私が目指したい生き方だと思う。

おいしくてかわいくておいしいお弁当の中のひとつひとつに、反射みたいにあがる感動の声(「うま!」「かわいい!」「なんでこんなにごはんがおいしいんだ!」)と、伝言ゲーム。

不思議で静かな波のような広がり。

 

儀式になったYちゃんのジャンベdeどんぐりころころ」は、みんな始まる前からそわそわして、言われる前からもう立ち上がっていた。

「Kちゃんが普段はたらいているあそこに見える比叡山からどんぐりが落ちてきて、目の前の鴨川にはまっちゃってさあ大変!」

なーんて、今まで思ったこともないことが、あの時あの場所でYちゃんに言われると簡単に想像できすぎてびっくりした。

今この瞬間の景色や人、そこで起きる出来事に私たちは興奮するし、愛着を持つ。だから、そのことを丁寧にすくいあげて示すYちゃんの愛情深さに、私たちは(いつも)感動して尊敬するし、それをみんなで一緒に味わえるのが貴重で幸福だと思う。

このことが当たり前なわけじゃないというのは、地震があった後だから思うことかもしれない。

喜びとか祈りとか感謝とか希望のような時間。

  

個人的なことで、じんわり嬉しかったことがあった。

先週、Aさんが書道家のHさんに依頼していた「寄贈」のかっこいいハンコがもうできあがっていた。

引っ越しに際して私が手放したお料理漫画(よしながふみきのう何食べた?』)をAさんをはじめ、何人かの料理人さんたちが共有してくれることになった時、料理人さんたちが「図書館みたいに『寄贈』のハンコを押そう! ユニコさん、名前書いてね!」と提案してくれた。

このことの全部に感動した。

ハンコを押そうというアイディア。Hさんの文字。

私は単に、好きだけど持っていられなくなった漫画をもらってもらっただけなのに、もう大切にしてくれていることがわかるような、粋で心のこもった行動。

……こんなことがあるのかな?? 言葉にうまくできなくなった! 

言葉にあらわせないことがある、って一昨日SONGSで宇多田ヒカルが言ってた……。

このことかー!

 

・緑と紫とピンクの髪はただただかわいい。言葉はいらない! でも言いたい。

・サングラスや金髪ガールズのトークを憧れながらきいた。

 

先生に言われた「子どもの頃好きだったもの」を考えるのは手間取って、常に優勝を狙う私の固くなった頭がそうさせるんだけど、みんなはシュシュシューッと書いて、他の人のに「それはなあに?」と聞いてアハハと笑ったりワカル~と言ったりしていた。

 

隣のYさんは圧巻のスピードで、あれもこれもそれもどれもらんらんらんっ♪ といった様子でこなしていき、私のリクエストにも軽ーく応えて10秒ぐらいでヨガガールの人形を作ってくれた。いつまでも呻吟している私はその軽やかさに圧倒されて、もうなんか笑っちゃった。

これもまた、自分が頑張らなきゃ(ガンバリタイ・優勝したい)、という思考だけじゃなくていいんだなと、思えた瞬間だった。任せていいし、たゆたっていていい、それこそまさに、考えずにぼーっとしていていいといったような。

(Yさんは、シンガーで、ヨガの先生! わかる気がする。)

 

黄色のお弁当箱と黄色のTシャツ。

冷たくておいしいコーヒーと繊細なお菓子。

少し弾かせてもらったウクレレ

 

ワークショップのチームで作った作品は「太陽ツリー」と名付けられた。

名前も、布も、太陽も、みんなが好きだったものも、人間も、摘んできた花も、草も、みんなかわいかった。

先生が既製品をこえることの難しさの話をしてくれた。

自分たちがしたことに、そんな意味や挑戦があったなんて知らなかった。

みんなで儀式みたいに祈りながら写真を撮った。

 

結果や効果のわからないことを、思いつくままみんなでやる時間は、まるで小説みたいだった。あ、小説のような。

遊ぶってこういうことだったな。ずっと忘れてた。

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ゆるぎないYさんのヤシの木のポーズと、迷いある私の足上げたポーズ

地震のあと②

今日は一日予定を早めてヨガに行った。誰かと会いたかったし、好きな先生と一緒にいたかったから。

 

昨夜は、生まれて初めて靴を枕元に置くとか、外した眼鏡をちゃんとケースに入れて置いておくとか、長袖を近くに置いておくとかして寝た。

すぐに余震があって起きて、震度何とか知りたくないけどただ怖いからテレビをつけたらオードリーの若林君とアナウンサーが喋っていることが全然わからなかった。

 

朝も余震で起きた。

ヨガも間に合うか不安だし、出かけるときの装備がいまいちわからないままだし、やめちゃおうかと思ったけど、新しい部屋に用事があったから出かけた。

 

やっぱり何をしていても不安だった。

電車の中で、友達のLINEで送られてきた、「今後この地域に限らず日本のどこでも大地震が起きることはもう決まっているのだ」という記事を読んだ。

記事では地震学者が笛を準備することを勧めていた。

家具は絶対に固定しなくちゃだめらしい。

家がなくなったら、命、生活、財産のすべてを失う恐れがあるらしい。

私は何もしていない。こわい。こわすぎる。

 

返信に、今日の私の行動の予定を送る。万が一のことを考えたのか、現実的な動向が文字になっていたら安心するためか、自分でもわからなかった。

 

ヨガの先生はいつも通りで、美人でただみとれた。

身体のどこかに緊張があると頭も緊張しちゃってダメで、頭の中を静かに保ちリラックスすることがヨガの理想、という言葉がいつも以上に強く響いた。

 

新しい部屋では、今後の細かい予定を整理して手帳に書きこんだ。

しなければいけないことが全然進んでいなくて焦るけど、日付の横にまとまっているのを見ると少しだけ安心した。あとは考えずに、この通りにしていくだけ。

 

電気屋さんに行って懐中電灯と携帯充電器を探した。

朝、愛知県に住む妹にLINEしたら妹は、「ラジオと電灯とアラームと時計とケータイを充電できるのがセットになっているやつ」を持っていると言っていた。

なにそれ。しかも電池じゃなくて、自分でぐるんぐるん回して発電させて使うらしい。

なんなのそのものすごいやつ。

びっくりして聞くと、友達の結婚式の引き出物ギフトで選んだらしい。

すご! かしこ!! 

そっか~引き出物ギフトってそうやって使うのか~

結婚式ってそれもらうために行くのか~~。

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去年の夏、妹と香川に行った。妹はやさしくてかわいいのです~

 

あこがれて、私も一目散にその一体型のすごいやつに向かって店員さんをつかまえる。示されたのは、妹のとほぼ同じ機能がついている上にさらに笛もついているすごいやつだった。

笛! これだ! と決めそうになったとき、「お値段9,800円です」と言われて飛び上がる。高くない? しかも特に売れてもいなさそう。なんで? 

 

保留にして妹に電話した。

昨夜の余震の恐怖と枕元に置いたグッズの報告、いつも不安なこと、笛も重要でこれには付いていることなど、脈絡なく一気に喋り尽くした私に、

妹は「高いねえ~。ネットで見たらもう少し安そうだけど。もちろんメーカー品じゃないけどね。う~ん」と言っている。

実は私もこの一瞬前にネットで調べたら数千円台で商品を見つけたのだということと、でもそれだと今夜に間に合わない、届くまで待てるかどうかわからない、となおも言い募ると、妹は「そうだよね、うん」と聞いて、それからぽつりと、「私も改めて非常袋の点検とか使い方とか確認したけど徹底的にしたわけじゃないんだ。やっぱり距離があって、どうしても二の次っていうか、必死じゃないっていうかそういうふうになっちゃってる。今聞いてて思ったけど、やっぱり違うんだね。昨日の揺れを経験した人の不安とか現実感は、全然違う。」と言った。

それは、どうしても違ってしまうことへの切なさややるせなさ、あるいは、どうにもできない空白をただ言うことしかできないみたいな感じだった。私たちは、自分たちの間にあるその距離と空白にしばらく茫然として、そのことにショックを受けた。

困ったらいつも頼って、何でもすぐ連絡し合っていた妹と、この不安が一緒じゃないなんて。それどころか分かり合うことができないなんて。それもただの不安じゃなくて生き死にの不安なのに。それはちょっと信じられないことだった。

 

一方で、関西に住む友人達、そのなかにはほんの数回しか会ったことのない人たちもいっぱいいる、その人たちのほうが昨日からずっと近しく、励まし励まされて存在している。こんなことがあるんだろうか。

経験を同じくすることは、多くの「絶対」に思われたもの(例えば家族とか)を越えていくんだなと思った。いろいろあって、私は、妹のことは家族以上の何かだと勝手に思っているところがあったので、余計にこのことは衝撃的な気付きだった。

でも、「家族」以外の味方や助けてくれる人、助け合える人が、近くに何人もいるということは、なんてありがたく、心強いことだろうかとも思う。それもまた、仕事を辞めて飛び出してこなければ得られず、わからなかったことだった。

 

しばらくショックを受けた後、電話を続けながら私は店を出た。

話しているうちに、冷静に、ひとまず自分が懐中電灯がほしくて、妹によればそれぐらいなら100均にあるということがわかり、ちゃんと考えて決められるまで当座はそれにしておこうと思うことができたから。

 

色々あってとっくの昔に私の家族観は崩壊していて、家族にとらわれてなどいないと思っていたけど、バリバリとらわれている自分や頼りすぎている自分(依存も含めて)はまだ無意識に存在しているらしい。もしかしたらこれからずっとかも。

でも、家族じゃないけど家族みたいに心配して、「泊まりに来ていいよ!」と言ってくれる友人達がいたり、眠れない夜を一緒につぶやいている人がいたり、防災の知恵を教えあう友達がいる。そんなことが起きるとは。そんな、理想みたいな感じ。

誰も私に「不安なら実家に帰れば?」とか言わない。自己責任とかじゃなくて、その人が生きたい場所で生きられるようにお互いに助け合うという感じ。それがふつうという感じ。

今まで何回も思ったけど、家を出てこっちに来てよかったなと思う。家族という一つのものじゃなくて、いくつかの頼れる先を見つけること。そのことが気持ちを落ち着かせている。

 

帰ってきて夕飯を食べていたら、タイ人の友達が(タイ在住)、最近気に入っているというCMの映像を送ってきた。

言わないでいるのも怒られそうな気がして、

・昨日の地震と今後本震があるかもしれないということ

・世界が変わるような、感じたことのない不安の中にいること

を書いて送った。

結局、昨日思っていた「どうしても持っていきたいものはないとわかった」と言ってしまう潔さはなく、うじうじしていたからそれも。

すると、「あなたなら生き残れる。避難バッグあるよね。ならOK.」

まさかの即答。しかも一刀両断チック。

こういう時ってもっとさ、なんか、話をよく聞いて、カウンセリング的な何か……慰め的なお言葉とかさ……あるじゃん? 

すがるみたいにして聞いてみる。

「持っていきたいものはどうするの? たくさんありすぎて全然入らないよ」

「その時は命とyoga matですね。」

!!!

……そーいやそーだった! 彼女こそ、私にヨガを勧めてくれて、海の向こうからさえ、現在私が通っているヨガ教室を見つけ、ここが良さそうだと紹介してくれた人だった! (理由は、先生がかわいいから。)

そして私はそのヨガを理由に、教室のそばにこのたび引っ越す……。

 

いや、でもこの非常時にヨガのこと、ぜ・ん・ぜ・ん・お・も・い・つ・か・な・い・わ!

 

でも……。

ヨガかー……そうかー。そうかも。ヨガかも。

マットがあればなんとかなるかも。そうだね。そうする。

 

作品は、これから自分でいいものを作っていけるって昨日Twitterで友達が言っていた。

そうなんだった。

 

ちょっとだけ覚悟っていうか、高をくくることができたかもしれない。

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友達のTシャツの犬。ヨガしてる。

「人生は大体バランス」って言ってる。笑

地震のあと

今朝7:58。

ぐらぐらぐらと部屋全体が思いっきり揺れていて、私は飛び起きた。

机の上に立てかけてあったカレンダーもスケッチブックも本も落ちている。

落ちてもまだ止まらない。

私は気付いたら前を向いたまま、「わああああーーー」と叫んでいた。すごく怖かった。地震だとすぐにわかったけど、誰かに襲われるような恐怖だった。もうだめだと思った。

世界が崩壊する恐怖と、ひとりであることが本当にこわいと思った。

 

それから、離れて暮らす実家の母や妹がLINEをくれたり、最近フェイスブックで8年ぶりぐらいにつながった友人がメッセージをくれたりした。

私も大阪の友達に連絡したりした。

 

みんな無事だったし、ケガもしていなかった。

でも、「余震があるかもしれない」とか、「本震があるかもしれない」といわれたら、怖くて固まってしまった。

いや、もう最初から放心して何もできないでいた。

 

テレビを付けたらみんなが地震のことをやっていてとりあえず安心した。

でも、そこからトイレに行ったり、お茶をいれに台所に行くのがもう怖かった。

誰かがいるかもしれない。急に襲ってくるかもしれない。

なにかが圧倒的に変わっているかもしれない。

そういう得体のしれない恐怖で足がすくんだ。

 

テレビは電車の全線不通を伝えていた。

昨日、友達が、全く進まない私の引っ越しを見るに見かねて手伝いに来てくれると言っていた。

それはできるのかな。とか、ひとりこわいのとあわよくば感で、こんなときでもどこまでも自分のことを考えた。

 

友達が、ばあちゃんと連絡がつかないと焦っていた。

電車は全部止まっているから歩いて行くしかないと、ばあちゃんのところに行こうとしている。

いつもは冷静に考えて行動する人なのに、それだけ大変なことが起きたんだと思った。

ばあちゃんの家は、古い家の多い、昔ながらのコミュニティの残る地域にあって、ばあちゃんも日ごろから近所付き合いをしているからちょっと待ってみよう、と言ったらそうする、と言った。

 

テレビは大騒ぎに、何回もその瞬間の映像を流したり、大阪のテレビ局とつないだりしていた。

「火事です!!」という大きな声がテレビから聞こえた。

上空から、煙を探して飛んでいたみたいだ。

大事な情報かもしれないけど、怖いし、その瞬間の野次馬みたいなことに自分がなるのがものすごく嫌でチャンネルを変えた。

アナウンサーの「最初の地震から30分経ちました」という言葉が怖かった。

まだ来るってこと? そうかもしれないけど、注意喚起と危険を煽るようなことがごちゃごちゃになっていてひどかった。

東京のテレビはみんな他人事だという気がした。

 

テレビを消したくなった。音がなくなる怖さと、情報のためにはテレビをつけておくべきかもと迷ったとき、ふと思いついた。

あ、ラジオだ。こんなときはラジオ。

東日本大震災の時、私は被災地にいたわけじゃないけどテレビと社会の空気に耐えられず同じようなことを感じてラジオを付けたのだった。

 

テレビを消してラジオを付けた。すぐにDJが読むおたよりが流れてきた。

 

 

出勤中で、駅まで行ったのだけど電車が動かないから帰ってきて、家で水を一杯飲んだら急に涙が出てきました。阪神大震災の時のことがよみがえりました。DJさんのやさしい声に安心しています。今はちょっと様子見です。

 

 

私と同じふつうの人々の同じようにショックを受けたという声と、冷静にいようとすること、落ち着いて考えながら行動する様子。それから、阪神大震災の経験を思い出したり、そこからの学びや、言葉の重さ。

そのことを伝えてくれたことと、それが今手が届く距離にあることがありがたいし、震災の記憶が重なるような痛みも(勝手に)心配するし、でも、「様子見」っていってるから、そうしよう私も。と思って、友達との連絡やツイッターで情報を集めたりすることに気持ちを向けた。様子見。様子見。

 

就職活動の会社面接は延期になったらしい。

大学も終日休講。

小中高も休校と聞いたけど、ある高校は2限から授業するから来るようにってメールが入ったらしい。こわい。それがこわい。

 

ラジオで穏やかな音楽が流れるだけでなぐさめられた。

最後にDJが、今日は不安でつらいけど、明日は朝から新しい日。ブランニューデイでいきましょうね、と言って番組が終わった。明日がくるんだ。明日は普通の新しい日なんだ。それのことにも、はっとするほど感動した。

 

けれども、その後の時間、私は何をしたらいいのか全然わからなかった。

ツイッターで流れてくる防災情報を見て、勧められるままに水を貯めたり貴重品をまとめたりするのを、何とか実行した。水を出しながら、水道が変な音を鳴らすのでこわくなった。

あとは、除光液で両手のマニキュアをおとしただけ。無残にはがれてきていたから。

 

最初から地震以後みたいな部屋の中(引っ越しのせいということにする)を、今更どうにかしようという気にもなれなかった。余震や本震が来るなら意味ないんだと、覚悟なんかあるわけもないくせに思ったし、どうせ引っ越し、と、たかをくくったりしていた。引っ越し準備を続けることにも、同じ理由で意欲が持てなかった。

 

そうすると、いよいよすることがなくなった。

書くべき文章はいくつもたまっているのだけど、それを考えることはできそうになかった。こんなときに文章なんて。この地震への恐怖をそのままナイーブに書き連ねるのも私の信条に反する気がした。連ねてるけど。

第一、避難準備も不十分なのにパソコン叩いていて本震が来たらどうすんだとか、すごい馬鹿じゃんとか、それより他にすべきこと山ほどあるだろうとか思った。

……でもそれ何?

 

ただ怖かった。物を捨てると決めたのに全然減らせていなかった物たちの山を見て、こんなものはいざとなったら一瞬で消えちゃうんだろうなと思ったし、それを差し置いてでも持っていきたいものなんて思いつかなかった。

冷静じゃないからかもしれない。

 

生きたいとか死にたくないとかあんまり思わないと思ってたけど、今までのことが壊れるのがただ怖かった。

 

しばらくそうして4時間も5時間も茫然としていた。

誰かといようにも、電車は止まっていて、どこにも行けそうになかった。

 

13:00になった。LINEで友達を促しながら、私もパンとヨーグルトを食べた。

食べないと、気持ちが元気になれない。

それから、文章を書くことにした。

セラピー。

辛いときはいつも文章を書いていたから、今書くのは、変でもよくないものでもナイーブでも嘘でも、書いていたらいいと思った。

 

友達、ばあちゃんと連絡とれたって。無事だったって。よかった。

 

ただひとつ泣けるぐらいに嬉しくてありがたいのは、最近一気に増えたお友だちが、心配してくれたり出したものを見ていてくれたり応援してくれたりすること。

そのことが、いつも嬉しいけど、こんなにも嬉しくて心強い時はないです。

一人でも、一人じゃないと思える瞬間。シスターフッド

私も返していきたいです。

 

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みさき先生とお友だちへ

昨日と今日、懐かしい写真を二枚連続して見たので、なんかそういう話を書きます。

一枚目はこれです。

 

zubunogakkou.hatenablog.com

文章も本当にすばらしいから、ぜひ読んでください!!

 

書き手のみさき先生が、卒業文集に書いた卒業生宛ての文章。

泣きますね。遺書だ。ひとつずつの生徒とのシーンを思い出して書かれた、お互いにお互いを大事にして、一人の人同士の交流をした先生による生徒たちへのメッセージ。

 

私は昨日引っ越し準備をしてる時に発見して読んで泣き(引っ越しあるある?)、当時と同じように熱く、その思いをみさき先生に伝えて、再掲載してもらいました。

(今また読んで泣く…毎日泣く。)

「目の前の人を大切にすること。自分が生徒にみとめられ、ゆるされていたこと。

忙しくても心をなくしたくない。」

 こんなに素晴らしい先生に会ったことないよ。

 

私は、この一年後に自分のクラスの生徒たちが卒業した時、この文章を思い出して文集に自分のことを書きました。

いや、その前に、それからずっとこのことを思いながら学校に行っていた。

目の前のその人をみつけること。

みさき先生亡き後だったからその孤独は骨身にこたえましたが、この教えを胸に、そのころにはもう友達だった生徒と一緒にがんばった。

 

自分がみとめられ、誰かをみとめること。

誰かを発見し、誰かによって自分が見出されること。

そのことこそが、生きる中でどうしても求めることな気がする。出会ったからにはその人のことを発見したいと思う。そうして見つけられることの喜びは、生きることにつながる。

 

でも。

われわれ(みさき先生&わたくし)は「個体識別」しようとしすぎ(できすぎ)っていうとこもあるらしく、それゆえの孤独(一方通行)の苦しみ も味わうことになる。

そういうことを、続いて赴任した先では特に感じた。それがほとんど当時の主な苦しみだった気がする。自分が見出されないこと。

(いや、もう気持ちがこっち(文筆)にあったから、目の前のこととの乖離に苦しんでいたのか。)

 

二枚目は、今朝別のお友達の日記で見た池の写真。

(この日記はみさき先生と、このお友達に返信する気持ちで書いています。)

赴任先近くのその池のそばを、毎朝死んだ気分で歩いていたこと。

池のまん中に大きな鳥の群れが住んでいて、バードウォッチャーがたくさん来てたけど私はその鳥のにおいがいつもいやだった。

長い一日をどうにか工夫してやり過ごそうと、学校で人に話しかけたり一人でフレックスタイム制を実施したり、果物を食べたりしていたこと。

 

池は最初から最後まで全然好きじゃなかった。

でも、時々はっとするほど美しい時があって、これはなんなんだろうと思って立ち止まって眺めた。季節のことも天気のこともわからない私にはただ眺めることしかできなかったけど、そのつど、人に言いたいとかちょっとだけ思っていた。

周りは大きな家が多くて、大きな門の前にヴィーナスみたいな変な裸婦像が置いてある家もあってちっとも慣れなかった。

夕方はお金持ちの変な髪型の犬が散歩していた。同僚に私に似ていると言われ、たしかにと思ってどこに行くのか見届けたりした。

池の思い出。

 

「個体識別」されない(見出されない)切なさについてみさき先生と交わしたLINEが残っていて、そこで私は安冨先生の提唱する馬論(からのホースセラピー)を挙げていた。

(LINEで話すには重すぎるんじゃ……。)

論語』の「道」からの話で、安冨先生いわく、

 

 

馬は全く個体識別しない。誰が乗っても走る。

それに比べ、人間の大脳は発達しすぎてしまって、結果、個体識別できすぎな状態になってしまった。

そのくせ、結局個体識別ができにくいような都市を作っちゃってその矛盾に困ってる(=私)。

なんで人間がそんなに個体識別できるかっていうと、受けた恨みを絶対忘れないため! 何世代も……! 

 

ということなのらしい。

超自分に当てはまりすぎていて笑う。特に最後のところ。

私は怨念で生きているから。

 

それで、馬か~馬、馬、って思って、馬さわりにいこうかなとか、馬ブーム来たなとか、新しい好きな動物、私=馬(好きなものに自分を重ねる習性あり)って考えたけどそれは全然違って、ついに気付いた。

馬は生徒のほうだったのであーーる!! ジャーン。

私は乗るほう。

 

そう考えたら、体力(馬力)があってやさしくて、こだわったり執着しすぎなくて個体識別しない(自分に乗るのが誰であってもいい)彼らはたしかに馬だった。

そう思ったらかわいかった。屈託しすぎな私と相対する存在で、なるほどまさにセラピーなのだった。ホースセラピー。私が癒されるほう。

ということで、一時期私は、生徒のことを馬だと思っていた。

それでいくらか楽になった。

また好きな動物が増えたんじゃ。

だからこの池はそのつらい行き帰りと、生徒に乗せてもらっていた日々の思い出。

 

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 ユニコーンだよー

人生最速友達と踊りたかった自分のこと

人生最速! 友だちができてきた。

「世界文庫」2回目。

書こうとして、はて、どうしようかな。

授業を克明に実況中継するわけにもいかない……でも書きたい。

そうだ! 創作だ!

これぞ、日記→エッセイ→小説の流れ。

 

というわけで、むりむりちゃん目線の感動体験を書いていきます。

(毎回「感動体験」なのはもう決定なのです。約20人もの有意で力があってやさしい人々が集ってきていて、女性も多くて、これは感動時間に決まっているのじゃ。)

 

第一部では、講師の先生に問われた質問に対してそれぞれ自分のことを考えて答えた。

生まれ変わったら……の話。

本音を言ってね、本気で、と先生は言うけれど、初めて会った人に本音なんか言えないんだぜ。と、すぐにむりむりセンサーが発動する。

思いつかなくて絵とかかいてる。らくがき。

 

発表の時間。

みんな、自分の夢や目標と重ねたり、旅に出たいですとかもう一度今の彼氏と出会いたいとか、かわいい。

だいたい、「いいねえ~」とか「やったらいいじゃん」とか「できそうできそう~」と応援されるのに、

その中でUさん、「壁画アートしたいです! ここの壁塗りたい!! 塗っていいですか???」

と言って冷静に止められているのがおもしろい。

遠慮せず前のめりにツッコんでいって、軽やかに笑えるのがすてき。

壁画タイル、私もやってみたいな。って、書いていて今気づいた!(遅。)

世界文庫の近くにある喫茶さらさの壁画タイルめちゃかわいいんです……。タイル好き。

 

「踊りたい」という声が何人か挙がって、自分の夢とは直接的に関係なさそうな人もいておもしろい。

先生が、人間は本来「踊る・食べる・寝る」なんですよーと言っていた。現代人は、人の目が気になっていろいろやめちゃうらしい。

人の目がなくなれば踊っちゃうらしい。

わかる……気がする。本当は私だって踊りたい。

……え? そんなこと思ってたの? 初めて言ったよワタシダッテオドリタイ。

今までダンスといえば私の世界には、生徒が文化祭で踊りたがる系(高校生が好きなやつ。ヒップホップ? ストリート?)しかなくて(世界狭すぎなんじゃ……)、

みんな同じ踊りで実は全然興味なかった。興味なさすぎて、踊る自分のクラスがどれかわからなくなり、生徒に聞いて呆れられたこともあった。

違う踊りのこと、私は全然知らないんだな。もしかしたら自分が踊りたかったことさえも。

そこで、Yちゃんが「本能を呼びさますような踊りをしたい」という話をした。

Yちゃんは世界中を旅したり住んでいた経験いっぱいの人。

先生と、「インプロ」の話で意気投合している。

インプロ……全然知らない。

(今ちょっとだけ調べたら「即興演劇」のことらしい。すごい! もう良さそうでどきどきする。)また教えてもらおう。

Yちゃんいわく、最初から子どもと大人と分けてしまって「子どもに教え見守る立場としての大人」になるのではなく、大人も本気で踊り、一緒に味わったり創造したりするのが本来の楽しさらしい。

しかもその土地のいろんな楽器やリズム、文化を使って踊るのが最高らしい。

聞いているだけでもうすばらしい(また)。本能を呼びさます踊り、やってみたい。

Yちゃんは最後に、「第二部の時にみんなにもやってもらうから、腰まわしてね!!」と華麗に言う。みんな、ウフフ、ひゃはは、まかせて!! ってなっている。かわいくて、いい雰囲気だな。

 

私は小説の中みたいなことが言いたかった。この場がもう小説みたいだったから。みんなの人生の一場面が少しずつ表れて見えるのがすばらしいから。

 

「髪をもう一度ピンクにしたいです。」

「やればいいじゃん!」回避の思考が働いてその後もごちゃごちゃと説明しちゃったんだけど、生まれ変わって私だけ記憶があるという設定(拡大解釈)なら、いくら短期間に何度染め直しに行っても変に思われないかなーと思った。その瞬間、一人で知らん顔をして何度もピンクに染めにいく自分(いつも自分)が宇宙人みたいに想像できた。

あ、創造(想像)ってこうやってするんだね。

 

実は髪をピンクにした話もまた書きます。「世界文庫」同級生のみんなを、会う前から意識した行動(恥)。

 

それからも面白い話は続き、可愛い女の子を見たらナンパしたくなるっていうお隣さんの告白にすごくすごく共鳴した。わかる~。かわいいって伝えたくなる。

 

第二部では、テーブル(卓球台)に乗らないぐらいのたくさんの手作りのお料理、お菓子、ケーキ、和菓子、ジンジャエールなどなどなどが持ち寄りでふるまわれた。

見た目も美しく、味も繊細で丁寧に工夫されていてすごかった。全部、完成された作品だった。

作りたいとか、食べてもらいたいとか、発表したいとか、そういうのも人間のすばらしい本能なのでしょうか。

 

前回書いた「早く仲良くなるなんて絶対むりむり」論

 

murimurichan.hatenablog.com

を早くも撤回しなければいけないのかもしれません。

人生最速で人と仲良くなっている……。

むりむりちゃんの基本スタイルから考えたら、友達作りの展開早すぎてついていけない。でも平気な顔して仲良くなってる。うまくいけてるかな私。

 

もしかしたら、みんなで「おいしい!」と感動して顔を見合わせることが、いちばん早く仲良くなる方法かもしれない。おいしくてうれしくて感謝して尊敬する。ごきげんにそのことを共有するのが最高で、「おいしい!!」って目が合って一緒に言ったらもう友達。

(子どもみたいな……。子どもってこんなふうに友達作るんかな。友達の作り方忘れてた。そもそも知っていたのかな?)

 

Yちゃんは、ジャンベという楽器を持って登場した。「どんぐりころころ」を、全身を使って演奏して踊った。私たちはYちゃんに導かれるまま、取り上げられる歌詞の一つ一つに力を込めて歌ったり叫んだりした。もちろん腰もまわした。Yちゃんはすごいオーラとユーモアでぐいぐい私たちを引き出していった。笑うたびに感動して、何と名付けたらいいかわからない気持ちだった。これが本能を呼びさます踊り……。

隣の人が気になる私はまだまだすぎたけど(人の目が気になるのは現代人!)、「まだまだ」ってこれからがあるのはいいじゃんって思った。

 

他にも……

・美しくて心の震える演奏と歌声を聴いた。

・ジャズシンガーとウクレレちゃんのかわいくてエレガントでこれから楽しくがんばろーねーの気持ちのこもった演奏に、一緒に笑い、LOVEを踊った。

いい夜だった。人生でこんな時間を持てるのか。こんなふうに時間を作っていけるのか。

知らなかった。

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おいしかわいかった~

◇京都の「世界文庫」に行きました。

いくつかの出来事がありました。

 

~今後の「むりむりちゃん日記」ラインナップ~

◇大阪・淡路の「ずぶの学校」の「種まき祭」に行きました。

 

◇京都の「世界文庫」に行きました。

 

◇考え事してました。

 

◇かっこいい男の子に出会いました。

 

◇新しい部屋の各部の計測をみんなでしました。

 

◇新しい部屋のコーディネートをしてもらいました。

 

 

順不同で書いてきま~す。

 

◇京都の「世界文庫」に行きました。

 

週末に、京都にある「世界文庫」に行きました。

6月から通うことにした「学校」のようなもので、私のように文章を書きたい人だけではなく、さまざまな人が集まってくる、と聞いていた。

私は、場所と締め切りと読者とサポーターと友達を求めて(求めすぎ?)

通うことにした。

面談時の校長先生とのお話で、「毎回文章を持っていってみんなに配る」ことに決めたから、小説風のものを何回も書き直し、仕上げて行った。

イムリミットで切り上げたので(言い訳)、2日前にプリントアウトした後はもう読めない気分で、人数分の20枚をかばんに入れた後は存在を忘れることにした。

 

もう一つ持っていくべきものは「名刺」で、これが難関だった。

「名刺を作らねば」とは3月に退職してから考えていたことだけど思いつかず、

もう鞍馬口まで来てしまった。その時点で15:00。(授業は16:00~。)

 

カミングアウトのやり方

 

私は、この5年間ぐらい考え続けている、人権のことを書きたいのです。

小説かエッセイ。

でも、人権とかハラスメントとかフェミニズムとかジェンダーのこととかを人前で口に出して言うことに関しては経験があって、その場が微妙な感じになったり、聞き手を困らせたり、時には嫌がられたりすることがあることは知っているし、しんどい話題なので難しいことはわかっているけど、私はやっぱりそのことが書きたいし、「早く仲良くなる」(のなんて普通に無理なはずだと思ってるけど)ためには特に、早めにそういう嗜好(ライフワーク、私のしごとだと思っていること)であるということをカミングアウトしておいたほうが話が早いと思うから、それを名刺や自己紹介や作品で示していきたい というのが私にはある(って書いているうちに気付いた)。

 

書くことも生きることも、私にとっては身を売ったり(飾り窓*1的世界観。プロスティテュ―ション。感情労働。)血を流すことなので、そういうことをしているし、したいんだということを初めからカムアウトしたかった。

なんかもう、そうじゃないのはいいやっていうか、そうじゃないような場所にずっとずーっといて隠れキリシタン(比喩です。やりたいことと、職場&仕事の乖離が激しく、自分の信条を殺せないくせに殺し、踏み絵を踏む思いで働いていた笑。)だったから、もう隠れるのしんどいし、ここではたとえキリシタンっていうことを公言しても(キリシタンじゃないけど)、迫害されたり拷問とか処刑とかされないはずだから(←キリシタンの歴史好き。『沈黙』好き。)隠れたり我慢したりするのとかそういうのはやめたい。

ていうか、そんなことより、私には時間がないんじゃ……。 

切迫してるんです。

 

それでも、どうやってこの重さのまとわりつくトピックを説明したらいいのかとか、(やっぱり受け入れてほしいとか)、そういうことも含めて自分の見せ方がわからないまま歩き、現実的切迫感(この時点で15:20)とまったくそぐわない、かわいくて優雅な喫茶店『さらさ』に飛び込み画用紙を開いた。

(アーティストぶるのはやめない。)

(……焦れよ!)

クレヨンで画用紙に名刺の枠をかいたら、クレヨンマジック✨で(ややこしい)なんかいい感じになったし、

まんなかに昨日付けた名前を書いてみてもグッドなかんじが続くし、この勢いに乗じようとへたくそな字で(クレヨンは字へたになる)

「かいているもの・・・エッセイ⇔小説、絵、差別、人権、ハラスメント」と書いたら一気に呪い感出て、怨念のこもったプラカードみたいになった。

(こもってるけど。)

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こわい…。

でもやめれない……。

いくらユニコーンの絵を描いても挽回は無理め……

ってこともわかるのが、マイ強固な社会性。

 

結論→人権とかフェミとかハラとか、かわいくポップに真剣にやっていきたいんだな私は。

そういうの、考えよ。そういう名刺。作品も。

い・ま・わ・か・っ・た。

それで、未完成な謎のスケッチブックを抱えて教室のドアを開けたのでした。ジャーン。

 

ドアを開けた時の最初の印象……か・わ・い・い!!!

みんな女性で(あとからひとり男性)、みんなお洒落で、みんなかわいかった。

「こんにちは」って自分が言ったかどうかわからないけど、みんなが一斉にこちらを見て、「 」と言った声をよく覚えている。

声も、服も表情も存在も、すごくカラフルで目を奪われました。

(うれしくて、あちこちじろじろ見ました。)

そこら中から、なにかをしたいと思っている女性たちの意志と意欲が放たれていました。

いいかもしれないと思った。

書きながら泣けてきたよ今……こわいよ自分。ここ外だよ。

 

・(やっぱり)外の世界がいかに男性社会かってこと。

・そのことにさらされて、慣らされてきたんだってこと。

 

そんなことあるわけがないし、あってたまるかと思ってたことだけど、やっぱりあったのだ。悔しいけど、そのことがこんなにこの一瞬でわかった。

ここにいる人たちの話を聞きたいし、一緒に話したいし、書きたいと思った。

教員時代、やらされるのもやらせるのも大嫌いでいつも全身で拒否を発信していたグループワークを、この私が初めてやりたいと思った。

意志と切実な思いのある人々と一緒に、お互いのことを話したりみんなで考えたりするのはなんていいだろう、ということがすぐに想像できたから。

 

ドアを開けた時の最初の風景を、私はきっと忘れないと思う。

 

自己紹介を聞いた。

お店を出したい人や詩を書いている人、絵本を出版したい人、音楽を通して世代を超えて地域のつながりを作りたい人、デザインや写真が得意な人などさまざま。

私は、カミングアウトの仕方に答えが出ないまま前に立った(これ今の課題っす)ので、それをそのまま言って、あとは切実に、「読者が欲しいです」と言ったら、どこからかすぐに「なるよ! 読者! なるなる!!」という声が聞こえた。

顔を上げると、他にもみんなうなずいてくれたり、にこにこしたりしている。

え、こんなにすぐにいいよって言ってくれるの?

こんなにみんなやさしいの? すごすぎ。

 

終わってから、みんなでごはんを食べに行った。

近くに座った人々とお話しする。

私は、人の話がきけるのがうれしい。

みんなやさしくて、配った小説の紙を、「読みますね」と言ってくれたり、

私の描いた変な絵や無理やり付けたペンネームも褒めてくれる。

褒めるのが上手ですごく申し訳ないのでそう言うと、

「ここは褒める場所や!」と言われる。

応援しあえばよくて、みんなそれぞれにどんどん発表していくのが大事、と教わる。

そっかーそうだよなあ。

隣で、ずっとたくさんほめてくれた方が、「ほんとにいいと思ってるから褒めてるんですよ~」とにこにこしながら言ってくれる。

隠れなくて、いいのかもしれない。

 

終わってから何日かたつ間に、何人かの方が私の書いた小説(と言い張る笑)の感想を送ってくれた。

すごくうれしい。やさしい言葉をたくさん書いてくれた。

ツイッターをフォローしてくれたり、メッセージをくれたりもする。

すごい! 

反応を示していくって本当にありがたくて大事だと学んだ。私もまねしたい。

 

「世界文庫」で出会った海野あしたさんのブログです。

lineblog.me

 

ポップでかわいい文章だなー。

たくさんの人とお話してる。

「文豪ガール」って言われた~

「かわいこちゃん」ってかわいい。

友達づくりの悩みもおんなじ……。

ちなみに上の私の文章中の励ましの声も、いっぱい、by海野さんです。

 

書きます~ ✎