かめちゃんとどうぶつ王国ピクニック☕🐢
週末のピクニックの話を。
神戸どうぶつ王国に行きました。
卒業生のかめちゃんと一緒です。
かめちゃんを待っているとき、三宮のホームで運命かも…と一人すごく盛り上がっていたのは(すぐに運命と思う病)これです。
ハシビロコウじゃ~ん
ハシビロコウといえばドラマ「anone」に出てきましたね。
ハリカがカノン君の病院を見つけた手がかりの鳥。カノン君が「ハシビロコウにいつもにらまれている」と言っていたそれは、缶コーヒーと一緒に映るハシビロコウの大きな広告看板だった。
オシャレすぎるんだよ~。
王国にはハシビロコウがいるんだ。
見たい。ぜひ見たい。
かめちゃんはかわいくて、「駅のホームに集合」がピンときてなくて右往左往し、「さすが積年の自転車生活🚴(今は違います)」とからかっていたらひたすら謝っていた。
遅刻も、分刻みの謝罪連絡も、「すすすすみませんっっっ」と言いながらにこにこ!と登場するところも彼女らしくて朝から大笑いした。
かわいすぎる~~。
王国は、すばらしき全天候型施設だった!(なんじゃそら。)
説明しよう。
つまり、 ほぼ屋内とか室内とか屋根付きとかで、太陽とか雨とか暑さとか寒さとか苦手で虚弱な私のような人にもやさしい施設なのです~。
日傘とか帽子とかの気分じゃなくて持っていかなかったくせにKUYOKUYOしてたのと、
最近じりじりと散歩的気候ではなくなってきたことにHARAHARAしてたところだったので、
やったーやったー。ありがとう全天候型。
全天候型ピクニックのはじまりだ!
高校では思ったことがなかったけど、
かめちゃんは、何年も前にアメリカでホームステイした時のホストシスターに似ていた。
ロズっていう名前の、当時9才だった女の子なんだけど。
動物が大好きで、新しい動物に出会うたびに熱狂してとろけていたところとかそっくりだった。
私の動物好きは二人に全然及ばないから、
目を輝かせて動物に走り寄った後、言葉にならないといった面持ちで見上げられると照れてしまって、うまく返せたかどうか。
ふさわしい言葉も持たず、人生も送ってこなかったことをひそかに恥じました。
ハシビロコウはすごい貫禄でアフリカの湿地に君臨していた。
ほぼ動かないから、枝とかぶったり変な所にいたりするといつまでも見えない。よりよく見える場所を探してうろうろする人間(わたし)なんか完全無視。
ミーハーな私はすっかり魅了され、簡単にとりこになりました。
お昼ごはんの話。
私は適当なコンビニおにぎりを買っていったのに対して、かめちゃんはなんと…
私の分もサンドイッチを作ってきてくれたよ~~👀‼️
そのうえ、温かい紅茶まで‼️
すごすぎる~。
おいしすぎる~。
気持ちがうれしすぎる~🐰
遅刻の理由はこれだったんだって。
なんてやさしくてかわいくて思いやり深い人なんだ。
かめちゃんは、
どうぶつ王国のことをいろいろと調べてきてくれたり、「お昼ごはんは各自で持っていきますか~? 」のメールとか、
事前の準備からちゃんとしている。
虚弱なくせに着の身着のままの私は「はいは~い」と言うだけ。
これだから、お友達(なのです。もはや。卒業したら友達。)と遊びにいくって楽しいよな~と思う。自分とは違うから、そういうところがおもしろい。
ごはんを食べながらいろんな話をした。
かめちゃんの大学のことや最近考えていること、大学に入って気付いたこと。
かめちゃんは、よく考えてよく悩むところが自分と似ていると言って、二年生の授業のときから共鳴してくれていた。
大学生になって、流されなさ(流されようにも流れていけない…同じ~ワカル~)に磨きがかかっていた。
悩みながらしっかりと決断するところが頼もしいよ。
私は、あの秋と冬に何があったか、今は何をしているかのお話。
絶対に話したかったのは、かめちゃんが私のオランダ旅行を「先生はオランダに絵の勉強に行った!」と勘違いして手紙に書いてくれたことがおかしくて当時は大笑いしていたけど、
今は突然絵にハマってきたから不思議! ということ。
そう言うと、かめちゃんは全然不思議そうじゃなくて、私が大笑いしていたことの方がむしろ不思議といった風で、
「だって先生の絵はすごくいいから、絵と文章をやればいいと思う。同級生の子たちもみんな、先生の絵のこと好きです!!」
と言うので本当に本当にびっくりする。
かめちゃんが、「自分と他人とは、見えていることが違うってことがあるんですねえ~☺️」
とにこにこしながら大人びて言うから、
そうかも…とすんなり呑みこんでしまった。
サンドイッチを食べ終わっておにぎりも1個ずつ食べて、紅茶を飲んで、柿ぴーとポテチを食べながら、ふたりですごくたくさん話をした。
周りは植物であふれていて、すぐそばのケージではいろんな種類のウサギがとび跳ねていた。
足りないものがなく満たされていて、いつまでも話していられるし、途中で休憩してもよかった。
とても自由だった。
それにしても私たちはまだ入国してすぐのウサギのエリアにいたから、少しだけ焦って歩くことにした。
「今日と明日だけはカピバラの誕生会をやるらしいんです~」
とかめちゃんが言うから、アクアバレーに見に行って、カピバラにも人にもすごくやさしいお兄さんにふたりとも恋に落ち、
ステキでしたね♥️
と言って移動したら同じお兄さんが熱帯の湿地でカミツキガメのえさやりを明るく爽やかにしていて、
熱帯の森ではうっかり道に落下したベニコンゴウインコを華麗に救い、
私たちをマルチにときめかせた。
(ベニコンゴウインコ。信じられない色の組み合わせだよ~)
その後もたくさんの動物を見て、また休憩した。
大学のカフェテリアみたいに、そこら中に気軽に座っておしゃべりできる場所があるのがいちばんの魅力かもかも~。
目を閉じたハシビロコウ。くちばしは、私のピンクのズボンと同じ柄でした。
しゃべったり歩いたり、同じものやちがうものを見て感動したり、やっぱりピクニックがサイコーなんだよね。
また行こうね~🌞
あそぶおとなの話
昨日マーキーさん(DJ)のラブレターの話*1を聴いたので、今日私も手紙を書きました。
(リスナーみんなが知ってるラブレターの話、そしてそれを何回も聞きたいと思ってるっていいですね~💌)
今日は文通友達に手紙を書きました。
あっという間に3枚書いて、
「俺のことにノー触れ!」
になりそうでしたが、ときどき相手のことを思い出して書いたのでいいかなと思っています。
最近、絵と俳句と短歌を書いている話をして、それには自分でも驚愕してることを書きました。
考えてみると、うれしいときやいらいらしたとき、好きなものに出会ったときにどうやら書きたくなるようでした。
飛鳥時代の人か子どもみたいだなあ。
つまりそれは、私にとって「子ども時代」以来の解放というか、自由というか、ゆるみの状態なのだと思っています。
数カ月前までの私は、本を読むか、飲むか🍺、文章を書きなぐるかしかなかったのですが、今は、それだけではないよくわからない(おもしろそうな)方法で、その言葉にならなさにさわっている。かんじです。
発表というか、こうして気軽に送れる場があるのも励みです。
子ども時代の再来=あそぶおとなですね。
マーキーさんはあそぶおとな代表。
~マーキーさんのピクニックゴルフの話。~
マーキーさんのゴルフはいつも、おむすび、音楽持参のピクニックゴルフ。
疲れたらカートで休憩して音楽きいたりおむすび食べるそうです。
私も、一緒に聴いていた友だちもこの話(とマーキーさん)が大好きで、
終わったあとも想像して幸せでした。
私の次のピクニックは今週末の予定!
晴れるといいな~🌞
続・俳句 「マーキーさんの俳句」
・俺のことにノー触れ
(学校の行事のみです。よ!)
おもしろい~
ラジオを聞いてたら今日は恋文523の日らしく、DJのマーキーさんがラブレターの話してました。
リスナーにせがまれて、「これも何回もしたがな~」とむりやり。
中学生の時の転校して行った女の子とのラブレターのやり取り。
手紙送ったら、3枚ぐらいの長文で返って来る。最初はうれしくてたまらなかったんだけど、しだいに気付いたのは、あれ、これ学校のことばっかりやがな。
俺のことは?!
そこでの、 「俺のことにノー触れ!」笑
おもしろい~
マーキーさんはフレーズで生きてるよな。名人だよな~。
と思います。
しかも誰のことも傷つけない。
いやされるわ🍰
むりむりちゃんは行く(俳句)!!
サラリーマン川柳がキライで発表が不快なので、前回のミドル短歌に続き、
自分で「むりむりちゃんは行く(俳句!)」を作った。
~むりむりちゃんは行く(俳句!)~
・壁に掛けた友達の子どもの絵を一定時間眺めることにしている
・「〇〇ニナル覚悟が足りなかった」とか常ナル傍観者に言われましても
・「先生元気になったんですね」とスーパーで後ろから撃ち殺される
・じっと見られるのでじっと見るまたじっと見られる あネコか🐈
川柳っぽくなっちゃったよ~💦
ダサいよー。
この住宅地感閉塞感……👣
しかし歌だと特に説明したくないことも表現できるんじゃない?
フィクションだしね。
想像は読者まかせよ。
Cocco好きです。『強く儚いものたち』📻~♪
オランダからのアップルパイ好きです~🍏
急に短歌を作り出す
週末に隣の街のフリーマーケットで歌集を買った。
古本じゃないのに古本屋さんが売っていた。
休憩したあとに2度目に寄ったら、店の前に出してあって手にとってしまった。
動物が人みたいな絵が散りばめられていた。
短歌には、「トリガー」とか「ツイート」とか「リプ」とか出てくる。
「いける」とか「本当の自分」とかいう言葉もある。
それを自虐するような……歌風?
今風だ。完全口語の。
パッと見又吉くんの自由律俳句の系統で、でも又吉くんなわけないんだからその路線は厳しいかも、とか勝手に思って読んだ。
「最近デビューした人の中で一押しです」と彫りの深い顔の店主が言う。
なんか共感しちゃうんですよね。スッと読めるっていうか、入ってくる。関西出身の人なんですよ。
と言っている。
なんとなく見えてきた気がしたけど、はっきりしなくて迷う。
帯で女性の有名な歌人や、若手シンガーソングライターが推薦文を寄せている。
持って帰って見たいなと思って買った。一緒に鳥獣戯画の描き方の本も買う。
「奈良にも遊びに来てください」と彫りの深い店主に見送られる。
隣の古本屋で、犬養孝の『万葉十二カ月』を買った。表紙の奈良王朝時代の貴族の女性の絵がきれいだった。
帰ってベランダでビールを飲みながら短歌集を読んだ。
ぞわぞわっとした。
なんでだろうなんか……。
まず、私も書けるようなことだなと思ってしまってすぐに、でも私は書いてないんだからそれを言ってもだーめよ、と自分を怒っておく。
『万葉十二カ月』や鳥獣戯画の描き方の本を漫遊してちょっと描いてみて、
直後にまた短歌に戻ってきた。
なんなのじゃ? この中毒感? なんだか見えない糸に引っ張られているような感じ?
と思いながら、
後ろのプロフィールを見ると作者私の二個上、男性。
ふえーふおー。なるほど。わかった。わかってきた。そういうことね。
男性であるということも、年齢も、見事に私のプロファイル診断に合致する。
これは……
ミドル・リーダー*1による短歌集だーー!!!
嫌なのは、短歌に漂うドヤ感だった。
ドヤ ( ̄‥ ̄)*2
なんか、うまいこと言ったった感というか。
言った後、シンと黙ってこっち見てくる。小鼻膨らませてる、みたいな。*3
あ~~本物を引用したい! でもあからさまにディスりたくはない。
どうしたら伝わるか……。
せや!(どや! に対抗して。)
マネして作ってみよう!(すぐマネする。)
~ にせもの短歌 by むりむりちゃん ~
- セオリーから外れたがる生徒を叱りわが青春の終わるを悟る
- 人事はコネやからねとネコなで声で言うネコを追いかけながら
- 君のテストの問題には遊びが足りないもっとずっとあれほらなんていうか
- 髪切った人には必ず声をかけることにしてるそう決めている
- 神経と血管はニコイチと言ってくる主治医に黙ってうなずく
- 映画『沈黙』? あー遠藤周作の? サイレンスのことね。観れてないけど。
- 普段不機嫌な同僚に昨日頼まれ分厚めの画集抱えていそいそと出勤す
- 気に入るとくりかえし買う癖来世でも自分を見つけるためのフラグ
- 休日補習は自分の教室でやるのがセオリーでありポリシーでしょ
- スタバの冷めたコーヒーは煮詰めた味噌汁の味がした(私か?)
- 若松英輔買わずに穂村弘買わずに店長一押しの歌人のを買う(私か!)
難しいなー楽しいなー!わくわく。。
ほとんどミドル・リーダー先生ver.です~。
でも、ミドルリーダーを観察する私が混ざってきてまだまだっす。
醸し出したかったのは、
全体にただよう、わかってる感、こんなことも見えてるしこんな言葉だって使っちゃうんだぜ、という感じ。
これは、男性が社会に押し付けられた性別役割分担を内面化してしまった、男性ならではの哀しき結果なんですが、 まさか歌人の中にも現れるなんて と驚愕している。
一般的に(むりむりちゃん調べ)、歌人や詩人の男性というのはどこか女性的というか、社会が男性に要求してくる男性性(力強さやリーダーシップや女性を上回ることや死ぬまで働くこと)を退けたり、そのような場所から逃げ出してきたりするタイプが多かったし、実際歌や詩がお金につながらないことを思うと、この世界を選ぶ時点で彼らが男性のマッチョイムズとの縁切りか隔絶か、なんらかの葛藤を経ていることが多かった。
それが、自らの男性性とそのドヤ感を素朴に有したまま歌人になるっていうケースは初めて見た。しかもたぶんそのことに気付いてないんじゃないか……。
私のにせもの短歌からもわかるように、底の浅さや中身のなさが特長(長!)です。
読んだ者に、物足りなさと自分も書けるのでは、イヤ書いてないしむりか……という思いを持たせる雰囲気を、そこはかとなくまとっている。のじゃ。
それでも、私が妙に心惹かれて(買って)持って帰ってしまったのはなぜか……。
それは、私がミドル・リーダーが好きだからなんですー……(結局)。
愛憎入り混じるというか、あわれを感じるというか、むげにできないというか。
その被害にも遭い、実態をいち早く見抜き、対策も立てるのですが、一方でミドル・リーダーのことが好きという矛盾した構造に、いつももがいておりました。
今後書きたいテーマのひとつです。
さらにもうひとつ。
絵・が・か・わ・い・か・っ・た!!!
結局それなのでした。(気付いてたよ?)
最初から最後まで絵にキュンとしてました。
動物が人みたいな絵。
安福望さんという方のイラストでした。
カラフルで表情がなくて後ろ姿もかわいい。
この絵でだいぶこの短歌集の世界観救われてるって私は思う。
おまけに、ポストカードもろた!
から、なおさら買っちゃったんだな。
安福望さんの絵。塗ったのは私です~
(今、絵がキテルらしい。)
*1:ミドル・リーダーとは、30~40代男性がしばしば職場で命じられ、リアル・リーダー(役職付き)になる前に、練習というか試練として、それらしくふるまうことを強いられたり強いられなくてもなぜか察知し、自ら進んでそのようになっていった人のこと。私やその周辺が命名。よくみられる症状は、会社と同化する病。私的会話でも会社のことを「ウチは…」とか言っちゃう。特徴は、(何も成し遂げていないのに)エラそう・形式重視・デザイン重視(中身の判断力なし)・マッチョ主義・女性にはやさしい(弱いものと決めつけているため)・24時間働く・からまわっている。
*2:「どや顔 顔文字」で検索したよ。「どや」って打った途端に「どや顔 顔文字」が提案されて、みんなそれぞれの直面するどや感に何とかして向き合おうとしてるんだなと思ったよ。
*3:
それもあって、数ある「どや顔 顔文字」の中からこれを選びました。( ̄‥ ̄)
短歌だしね、多くは言わない(っていうテイ)でしょ。
古典が苦手な国語教師が映画『かぐや姫の物語』を観る
(神木君の『やけに弁の立つ弁護士が学校でほえる』みたいなタイトルになった。
今日観たので! 泣いたので!
やっぱり外部の人、しかも専門家 ≪スクールロイヤー≫ 必要だよ😿)
高畑勲監督の追悼でやっていた、ひと月前ぐらいの『火垂るの墓』に続き、『かぐや姫の物語』を観ました。
(『火垂るの墓』については、もう少し自分のほとぼりがさめてから載せたいです。)
『かぐや姫の物語』についても、良いというのは聞いていた。でも観たことなかった。
結論は、もっと早く観とけばよかったよ~
でも、今観たから、よかったのかもしれない。
てことにしよ。
~もくじ~
- 実は私、古典は……👴
- 『かぐや姫の物語』は、古典的世界観をアニメにして見せてくれてる!
- ここからが本題です。(フェミニズム)
- かぐや姫……好き。
- 求婚者たちのこと
- ~ちょっと休憩~
- アニメという表現方法の魅力を知りました
- すばらしい論がありました
実は私、古典は……👴
古典が苦手であんまり面白いと思っていないのは(突然ぶっちゃける)、ちゃんと読んでこなかったことと、全然自分の頭で想像できないからだった。
全然私のことと思えん……っていつも思っていた。
言葉も少なく、(古語よく知らん。こらこら……)いくらどうこうしても、そこにはその名前の人が最初からいたような顔で当然然と存在して、歌を作ったり車争いしたりしていた。(車争い好きやなー)
しだいに、そのような彼らは、どんな家で誰とどんな風に暮らし、一日のスケジュールはどんなんだったのか? みたいなこと、疑問にも思わないことにしていった。
そんななか、みさき先生*1と同僚だったころに、先生に、『土佐日記』や平安の女流作家たちのことや、漢文漢詩(ざっくりかよ!)について、
先生独自の感性で「かわいい」とか 「おとぼけ」という解説と共に教えてもらったことは、我が運命(と授業 笑)を変える出来事でした。
おかげで文中のあの人たちが本当に人間で、自分とさほど変わらない感性で、
笑わそうとしてきたり、得意げにふるまったり、ふざけたりしていたことを知った。
私のことじゃん☺☺って思い、その中で生きている人を見つけることができた。
『かぐや姫の物語』は、古典的世界観をアニメにして見せてくれてる!
映画『かぐや姫の物語』のすばらしさの一つもそれで、
- 広大な屋敷(寝殿造り?)での過ごし方とか(来たばっかりのころは子どもでもあり、姫は基本走りまわている)、
- 手習いの練習してると思ったらマンガ描いてたり(鳥獣戯画チックかわいい)、
- 十二単の華やかさを観客もまじまじと見ることができるとか(キレーーーー)、
- 長い着物を着たときの歩き方を教えてもらうとか、
- 釣殿に出て月を見ているとか、
- 猫おる……とか、
- 虫干し……とか風に通されて揺れる布布、着物が美しいな、そういえば寝殿造りは夏向きに作られてるって中学校の時習ったよな、つい立て代わりの几帳で部屋を仕切るんだったなという知識と一致したりとか、
- 求婚に来た貴族のおっさん白塗りして紅つけてるのクッキーかよ、とか。
クッキー顔の貴族。
ここからが本題です。(フェミニズム)
求婚者が押し寄せ、姫は、自分が女として、物のように欲せられることを突きつけられ、奈落に突き落とされるような衝撃を受ける。
子ども時代の強制的な終焉。
ここから、かぐや姫の態度は一変する。
ある日を境に近所の年下の仲間たちと遊ばなくなった美登利。
遊びに誘いに行っても、母親が薄気味悪い笑いを浮かべて断りの旨を伝えるようになった。
その原因を、初潮ととる説や、美登利の初店が決まったととる説があるのですが、
でも、そんなのはどっちだって同じだ。
モノ化されるという事実が突き付けられたということ。
ていうか、これってすべての女の人たちの物語じゃん。
これまで『たけくらべ』を読んでも、大学院で論文を書いても、
正直自分のこととは思えていなかったのだと思う。
遊女になることが将来決まっている女の子の、子どもと大人の残酷な境い目を描いた作品だとしか見ていなかった。
全然わかってなかったな私。
これは、自分もそうだし、女の人全員を描いた話だった。
(ひるがえって、それを強制する社会や、享受する男も含めて全員の物語なんですが。)
かぐや姫……好き。
翁の言う、「帝の女御になる。この国の女として生まれてこれ以上の幸せがあろうものか」というセリフも、
帝(勝手に寝所に忍んできて後ろから抱きついてくる。怖すぎ。)の、
「わたくしがこうすることで、喜ばぬ女はいなかった。わたくしのものになることがそなたの幸せになると信じている。」という傲慢なセリフも、
それらは今だって常に女の人が突き付けられる言葉の数々だ。
あるときはとてもフランクに、あるときは本気で心配しているというふうで。
かぐや姫はそれらすべてを断る。
なおも、 「これまで姫様の幸せだけを願ってお仕えしてきましたのに」と言い募る翁には、
「私のためと願ってくださったことが私の幸せにはならぬのです」と毅然として言う。
でも、別にかぐや姫は主張者になりたいわけじゃない。物申したいわけじゃない。
大切に育てられ、共に暮らしてきた中で築いてきた翁媼との信頼や、自分にかけられた愛情をよくわかっている。
だから、引き裂かれるような思いで月に帰っていく。
この映画からは、当時の人たちの生活が見える。人が見える。
姫が普通の女の子だったことがよくわかる。
求婚者たちのこと
有名な5人の求婚者が、リクエストに応えようとして次々にいんちきの宝物を持ってきたとき、詰めの甘さによって企みがあっさりと露呈してしまっても、そのとぼけた様子に姫様はくすくすとおかしそうに笑う。そして言う。
「私も(あの宝物と)同じようなもの。高い金銭を払って手に入れるようなもの。」
この5人の求婚者への無理難題は、単なるエンターテイメントのスパイスなんかじゃないんだ。
これは、女性がモノのように扱われるということを、自ら確認していく作業で、結果それをまざまざと知らされる物語なんだ。
~ちょっと休憩~
迎えに来た月の人たち、一瞬井上涼のギョカイの人たち*2とかぶりました。
めちゃくちゃかわいいな。
この映画で絵を描いた人たちの、得意分野キターッッ みたいな、本領発揮みたいな感じが伝わってくる。
人間達が放った矢が、飛んでいく途中でお花になるとかそういうこと。
これって最古のファンタジーなんだね。しかも人間を描いているんだ。
仏さまが動いてるの初めてみました。
幼稚園にあった(仏教系だったのです)、パーマの菩薩の。
金髪なんだ。かわいい。
みんなふわふわ動いていて、めちゃくちゃかわいい。
月の使者:「月に行けば、この地の汚れもぬぐいされましょう。」
かぐや姫:「汚れてなんかないわ。この地に生きるものはみんな彩りに満ちて! 鳥、虫、獣、草木花、人の情けを!」
アニメという表現方法の魅力を知りました
5人の求婚者の1人、車持皇子の声を橋爪功がやっていて(好演!)、その顔や姿を絵として目前に見せられた時の私の単純な感想:
リアルはこんなじいさんかよ! おえーーー(吐く)😢
っていうことでした。
それで唖然とし、いかに悲惨なことかが一瞬でわかる。
かぐや姫に寓されている、モノ化され所望される女性……。
教室でさ、
「この後5人の求婚者が来てね……」とか言いながら、後日談的に私が間を埋めて語る
(授業では長いのでこの部分の原文は読みません。中学高校の授業で学ぶ『竹取物語』は冒頭だけっす)
より、
(しかも誰が何を要求されどうやっていんちきして持ってきたのかとか、私は全然覚えられないし無理なので、調べてきたメモガン見👁👁)
絵と声によって、
求婚者の一人がはっきりとあからさまに衝撃的なほどじいさんである(吐)
ということを、一瞬にして見せられた方が、みんなすべてを悟るよね。
- 女性が、女性であるというだけで単なる金持ちのじいさんと結婚させられようとしていること。
(じいさんは金持ちの名士なので、良い条件だとさえ言われまくる。)
- そしてそれが親公認である(斡旋さえする)こと。
これらは普通のことだったんだろうけど、普通のことじゃないはずなんだよな。
そういう話を、おえおえ言いながらいっしょにして、
今も変わってないよどうしよう!!(泣)っていうことをみんなでいっしょに考えることができるはずの物語だったんだね。
知らなかった……。
すばらしい論がありました
先行にすばらしい論があるようでした~
とTwitterのTLでまわってきました。
雨宮まみさんの「戦場のガールズ・ライフ」。
(私が)とんちんかんなこと書いてないといいな~と思いながら、答え合わせするようにして読みました。
すばらしかったです。以下、引用しまくります。
「女にとって、大人になるということは、ただ子供から大人になるということではない。大人ではなく、「女」になれ、という周囲からの強制が必ず働く。ただ自分の意志で好きなことをし、気持ちをそのままに表現できた子供時代を失い、人目を気にして誰から見られても恥ずかしくない「女」になれと強いられるのは、自分自身を捨てろと言われているのに等しい。」
全部アンダーライン引こ。
「『私のためのお祝いなのに、私は座っているだけなの?』。当然の疑問を姫は口にするが、誰も相手にしない。」
『 私のためのお祝いなのに~』って、私も言いそうなんだよな。
そして組織にハブられる。
「誰もが望んでも望んでも手に入れられないものを拒む姫は、「わがまま」だと言われる。これが現代の女の話ではなくて、何だろうか。姫はにせものではない。けれど、女としては、にせものなのだ。形だけ化粧し女らしく装っても、姫は女として、自分を殺して生きることができない。」
「表現というものは、ここまでのことができるのか。何かを作るということは、何かを伝えるということは、ここまでのことなのか。今まで誰にもうまく説明できたことのない感情を、なぜこの作品は「知っている」のか。映画館の暗がりの中で歯をくいしばって何度も何度も泣いた。高畑勲は、「女」は、人間だと、言っている。なんでたったそれだけのことで、こんなに心が震えなければならないのか。
(青字はすべて雨宮さんの引用です。下線、太字は私の責任です。)
フェミニズムって、女の問題じゃないんだということを、男性の中にもわかっている人がいたんだ。