本の出版のお知らせ
『快晴元年のアップルパイ』という本を出版することにしました。
ブログに書いていたことや、別の場所や自分だけで書いていたものをまとめました。
ブログという場があったので、書き続けることができました。
読んでいただいてありがとうございます。
また本も手に取っていただけたらと思っています。
『快晴元年のアップルパイ』
渡邊恵(ユニコ)著・挿絵、 こにしともよ 表紙絵、 やかましみさき編集、ずぶの学校出版 2019年4月20日発行
336ページ(帯つき) 3200円 フリーペーパー「ずぶぬれ8」(あとがき収録)も同時発行
~あらすじ~
2017年11月10日にセクハラ・パワハラを受け、勤めていた高校を退職した筆者が見つけた自分を生きやすくする技法は「人に頼むこと」。何もかもを一人で引き受けすぎないことに注意しつつ、お話会、海外旅行、引っ越し・・・と周囲の協力を得て敢行する。
しかし、災害やもろもろの社会問題に直面。再び「孤独」の暗中をさまよいながら、必死のパッチで考え、問い、反省し、怒り、泣き、時に笑い、表現することによってしだいに「人間」として息を吹き返していく約一年間の思考の跡をたどる、小説っぽい実話の記録。
記念のお話会も行います。
~『快晴元年のアップルパイ』出版記念お話会のお知らせ♪♪~
4月20日(土)13:00~15:00 場所 ずぶの学校
*予約不要 *会費はカンパ制です
メール→megumi_rozzie@yahoo.co.jp
Twitter→@RozzieMegumi
ご購入やお問い合わせは、以下のアドレスにご連絡ください🍎
megumi_rozzie@yahoo.co.jp
2月の終わりに、神戸イツビで
この文章は、神戸イツビで行われたcaves君の個展の最終日に寄せて書きました。
私はその日初めて行った場所でその時初めて会った年下の芸術家に、もうずっと自分が考えていることが伝わらないと感じていることやともかく一人なのだということを、たどたどしく断片的に話していた。
自分のあまりにも説明できていなさに焦って言葉を検索し「拗ねているんですよね」と言った。別に全然反省していないのに反省がにじむ。
わかっているようなわかっていないような、たぶんわかってないんだろうなと思うような頷きの後、「それで今は打開できたんですか?」と彼に聞かれ、「打開」って言うのかと少しがっかりした。
それってなんか「打開」しなきゃいけないみたいじゃない?
それでまたたどたどしく「打開」っぽい話をした。この流れでこの話をしたくなかったと思いながら言ったから思い入れも薄く、ありきたりすぎて自分で自分にがっかりした。
―「打開したんですよね?」という相手の期待に応えようとしたり、いいところを見せようとか反射的にに思ってしまうんだよな。
―いや、「打開していたらいいな」と相手が私のために願ってくれたことがすぐにわかるからそれに応えようと思ってしまうんだ。やさしさとやさしさの応酬。
芸術家に、なぜ書くのか問われ、書かずにはいられないからと言うと「呼吸や!」と一括されてその明快さに笑う。
いつかの昔、誰かかあるいは自分について同じように「呼吸だ」と考えたことがあったような気がする。
もしくは別の友達の個展のタイトルだったかもしれない。
年下の芸術家は、「それぞれのフィールドでそれぞれのことをすんねん。だいたい、何億分の1の確率を勝ち抜いて生まれてきたことからしてすごいんやから、みんなすごくてその辺の道歩いてる人もすごい。」と言うから、「そんなふうにはとても思えない。そうは思えない人もいっぱい存在してる」と言うと彼は笑って「その人はまだ自分のフィールドを見つけられてないねん。そんでそのことに拗ねきってもうてんねん。」と言うからついに私も笑ってしまった。
「拗ねてる」という言葉でおそらく深い意味もなく自分がその辺の人たちと一緒にされたことも、「フィールド」っていう浮ついた言葉も私とは明らかに違うと思いながら嫌ではなかった。
ただ違うというだけで、それ以上の何でもないということがわかったから。
芸術家の受け止めているようで受け止めておらず結局自分の世界に戻っていく在り方が、若さと、自分で感じ考えていることにしたがって生きてきた人特有のものに思われて愉快だったのかもしれない。
家に帰ってから考えたら、「呼吸」はやはり友達のいつかの個展のタイトルだった。DMの写真では白い少女の彫刻が顔を上げ肩をそらせて地面に向かって両腕を伸ばしていた。
「呼吸」では今の気分には飽き足らない気がした。
なんだろう……。それよりも「排泄」?
生理みたいなものかもしれない。蓄積されていたものがある日剥がれ落ちて血と一緒に流れ出ていく。出したもののことはもちろん思い出しもしない。作って出して捨てて行く。
最近している料理も同じで、次の日も食べればいいそうしたら明日の家事が減るとさえもくろんで多めに作って冷蔵庫に置いておくのに、翌日はもう忘れて新しい料理をし、すっかり食べきってから昨日の作品の残部に気付く。
まるで昨日と今日の自分は別人みたいだ。
そこまで考えて満足し電気を消して寝ようとしたらふと、あれ「排泄」もまた誰かが言っていた言葉だったかもしれないと思い始めたら止まらなくなり、また眠れなくなった。
WEBで個人の記憶や思考の跡を検索することはまだできないんだっけ。スマホに手を伸ばしかけてからそのことに気付いて自分ですることにする。
それってもしかしたら一生思い出せないかもしれないってことだよな、と思うと喪失の予感とともにいや私は絶対に突き止めるタイプ、という自負が燃え上がる。
なくしてしまっていくら探しても見つからないもののなかには「記憶」もあるのかと思うと、本とか詩集とか源泉徴収票とかどうにもならない具体的なものに比べてそれは自分でなんとかできる範囲のような気がして私は必死だった。
それで見事に見つけ出しました。
作品を生み出すことを「排泄」と言っていたのはCoccoだった。(正確には、「うんこ」。)
わかるわかる。その時もわかると思ったけど今の方がずっとわかる。
出して捨てていくんだ。
2月の終わりに、神戸イツビでの夜を経て、私はまた書いて出していきたいと思った。
◇「神戸イツビ」は神戸元町にある岡山デニムの生活雑貨のお店。猫とワインとレコード好きの店主さん。この日初めて行ったのですが、居心地がよく、センスのいい店主さんとの音楽や映画のお話が楽しくてすぐにまた遊びに行っちゃいました。お店の一周年記念で2月の終わりにcaves君の個展が開かれていました。
◇「年下の芸術家」は、caves君。音楽と絵と詩の芸術家。イツビでライブを聴きました。彼の歌で春が来たと感じました。twitter.com
イツビとcaves君の絵。お店の雰囲気とすごく合っていました。色がきれい。建物の絵っていいなーって思いました。
バナナケーキの夢③
(「菜の花の苦み、トマトの甘さ②」の続きです。読んでなくても。)
作家はエッセイの中でそのバンドの名前を明らかにしていなかった。
音楽に疎い私の頭には何もヒットせず捜査は難航したし、それとは別の理由で切なくなった。
それは、ある友人のことを思い出したからだった。
フェスに一緒に行っていた友達で、私に今推してるバンドの解説をしてくれたり、カッコつけた変な歌詞が聴こえてきて一緒に笑ったりした。‟モッシュ”のことを教えてくれて、「巻き込まれたら危ないから気を付けて!」とか教えてくれた(そんな最前線に私は行かないんだけど)。
私はいつも見たいバンドが特に無かったり(なぜ行く)、暑すぎてすぐに死んだりしていたからわれわれはしばしば別行動で、私にはそれがとても気安かった。
私が海沿いの日陰で横たわっている時、彼女は複数の会場を忙しく移動していた。
私がステージの遥か遠くの芝生で赤く染まっていく空を見ながらようやく吹いてきた風に乗って流れてくる知らないロックを聴いてビールを飲んでいる時、彼女は同じステージの最前列で波にもまれて拳を突き上げていた。
それはとても自由で幸福な時間だった。そんなふうにして私はフェスの楽しみを知った。
そのバンドが誰なのか知りたいと思ったとき、本当はいちばんに友達の顔が浮かんだ。私がつかんだ情報だけで彼女なら即座に言い当てるだろうとわかったしその光景も浮かんだ。
でも私は聞かなかった。
友達は夏に結婚し、この前妊娠したと言っていた。少しずつ離れていく。人も関係も変わっていく。
けど、まあこの時代において実際の捜査はそれほど困難ではなかった。
私は何も知らなくてもネットが全部教えてくれる。必要なのはどうしても知りたいという執着だけなのだと思う。突き止めたいという癖(へき)。
エッセイには作家の人生に重ねて、バンドの大体の活動時期や休止期間、ライブハウスの名前、チケットの入手困難なことなど、情報が断片的に書かれていた。
それらは私がここに作家について名前を伏せて書いてきたのと同じぐらいの量だったと思う。つまり、少し本を読む人ならわかる程度のことで、言いたいのは固有名詞ではないから別に書かないみたいな感じなのかもしれない。
そこからバンドの歴史の中で起きた象徴的な出来事が実際には何年のことなのかを割り出し、何度かネットで検索を掛けたらすぐにこれだと思うバンドがヒットした。
YouTubeでは、口の大きなボーカルが楽しそうに歌っていた。
観客は興奮のあまり人の上に乗りあげたり押し合ったり押し寄せたり渦を作ったり、つまりモッシュだった。
彼らの歌は英語も日本語も含めて、一体何を言っているのか何度聴いてもわからなかった。
朝起きて、寝過ごしたことに気付いて、自分はいつも間に合わないのだということや、女の人(女神かも)が来てくれたのに気づかなくてそのままチャンスを逃しちゃったどうしようとか言っていた。
他には、こんな星の夜は友達に会って話したいんだとかそういうこと。(この歌がいちばん好き。)
言っても言わなくても同じようなことで、言われたらわかるような気がした。そしてたぶんわれわれは同じ側なんだろうということはわかった。悩み系?
続けて聴いていたら「諦めないなら焦ることもない」とか言うからつい泣いてしまった。それですぐ、私の安い感受性(すぐ泣く)でもわかるような曲であることに安堵するとともに、少し侮るような気持ちになった。
作家は、私のこの自分でも信用の置けない感受性と同じレベルで泣いたり感動したりしているのかな? 本当に?
同時に、作家がこのバンドを好きなことはわかるような気もしたし、さらに驚きもしていた。
想像では、もっとぎりぎりの瀬戸際で死に直面しているような曲か、完全にイキきったヘビメタや謎のインストロメンタルを貫くとかの方がよほどそれっぽかった。
それなのに、実際は私にもわかる系? わからないけど。
わかるのは、とにかくやさしい曲だということだった。同じようになんかとても苦しんでいるのだけど、やさしかった。苦しみの表し方が作家や私とは違うのかなと思った。孤独とやさしさはロックの基本なのだろうかとか考えたりもした。
そして私は嬉しかった。作家が孤独で苦しい時代(今も)をそのバンドが少しだけでも癒していたことや、一人だけど一人ではなかったことを知り、よかったと思った。それから、作家を癒していた彼らの音楽を聴いてわかると思ったこともなんだか嬉しいと思った。
今日ラジオでウルフルズの『バカヤロー』が流れた。あのバンドの曲と似てる。たぶん同じことを言ってると思う。って思った。(自分で説明できないからウルフルズにまかせる。)
捜査が終わる前に、私が友達と行っていた頃の数年間のサマソニのラインナップを調べた。新バンドだったけどやっぱりそのバンドは出ていて、名前を見つけた時胸がぎゅーっとなった。
「食べたい」って言ったらたぶん「食べ?」って言ってくれる関西弁が好き。
菜の花の苦み、トマトの甘さ②
(「最新の作品はにんじんケーキ①」の続き。別に読んでなくても大丈夫です。)
借りてきた小説はすぐに読む気になれなかった。私にわからないことや興味の持てないことばかりが書いてあったらと思うと表紙を開くことができなかったし、長い間、これといった小説を読むことができないでいたから自信もなかった。
Webにあるエッセイを、スマホを触るついでに読んでみた。(そちらの方がその頃の私には物理的に圧倒的にアクセスしやすかった。)
それはもうただひたすら暗かった! いっそ笑えるぐらいに。
エッセイに付けられたタイトルには毎回フランス語の単語が付けられており、現地の料理の名前や、お酒、よく使うらしいフレーズ、出てくる地名も野菜の名前でさえも洒落ていて、手の届かない世界を見せられているようなのに、それらは単に作家の生活を取り巻く単語であるだけのようだった。
パリでよくあるのだという飛び降り自殺のことや「あなたのフランス語は何を言っているのかよくわからない」とはっきり言われること、自分や他人の人種を意識することを迫られるような日常やあからさまに向けられる差別的感情、施しをねだるホームレスや通りすがりに浴びせられる「売春婦め!」という罵声……。それらがテロに遭う恐怖や不安を常にベースとした中であること。
そういった外因的な要因だけでなく作家の本来的な絶望感や孤独、自分は誰にも理解されていないと感じること、傷付けられたくないし誰も傷つけたくないと思うことなどが毎回書いてあった。
(細かい世話が必要な年齢の子どもがいるとは全然思えないほどの子どもの登場しないぶりや、その反面、お酒や煙草、夜の外出、永久的な悩みの中に生きていることなど、彼女が当たり前に「個」の自分として存在しているという「普通」に触れて安堵した。あっぱれだな~と思い、あっぱれって思う私も完全に偏見に侵されているのだけどともかく痛快だった。)
その時の私は今も続く、おそらくこの先定期的におちいる全世界全人類不信の真最中で自分を含む世の人全員が信じられず、書くことはおろか生命の維持に関しても結果的に生きているというだけの活動しかしていなかった。朝起きたら誰かを憎み、そういう自分が嫌で恨みを言語化することを恐れて目をつむった。次の日が来るのが嫌で夜がずっと続けばいいと望み、外が明るくなってくるとがっかりした。
このことは「鬱」と名付けようとすればそうなるようであり、「とて病」(何をしようとしても「どうせ~したとて……(仕方ない)」と思うこと)や、「絶望」と診断すればそのようでもあった。名付けたところでこれ以上どうにかする術はなく、既存の病名にほんの少しでも慰められるという段階も終わっていた。「とて病」も「絶望」も新しくも面白くもなく、そもそも診断を下すこと自体に飽きていた。
私が考えているほど人々は考えておらず、私が考えていることを考えている人もいないのだった。
世界(この国)への不信は期待へと転覆し猛スピードで狭い範囲に向かい、わずかな友人や家族への過度な心理的依存を経てついに嫌悪に至ったところでいよいよ自分の性格の悪さに呆れた。
誰とも個人的関係を結ばないでいようと決めた一秒後に、好きな人の元に救助に駆けつけている。
私でなくてもいいのだと経典のように唱えながら必死で。必死なのは救助に向かうことではなく、自分でなければいけないのだと思わないようにすることに対してなのだと思う。今その人のそばに誰かが居たらいいと思って、それが自分の役割なのだと思うにとどめる。結果的に、他に誰もいなくて行ってよかったと思うのと同時にすぐに、私が駆けつけたのであって私だからよかったのだという思いがせきを切ったようにあふれ出して自分では止めようがない。波に呑み込まれ気付いたらそのまま一人で相手と個人的関係を結んでる。毎秒失恋だし、常にセルフファックだ。
作家の書くエッセイは、そのような私に沿っていて、たいていのことに対して感じるストレスがまるで生じなかった。生きている場所も、家族や友人も、生活も、具体的なことはまるで違うのに、私は一人ではないのかもしれないと思わせた。書いていることの中にはわからないこともあった。それでもいいのだと思った。
Webの文章は毎回ほとんど救いなく終わった。悩みや苦しみに光はなかった。そのことに私は馴染みをおぼえたし、そうであるはずだとも、そうであってくれてよかったとも思った。読んでも読んでも翳が深いままであることに安堵し、それを確かめるように次々に読んだ。
同時に、借りてきた小説をむさぼるように読み、足りなくなって本屋に行ったら別の好きな女性作家の小説に彼女が「解説」を書いていることを発見し、運命と名付けてすぐに買った。
それらはすべてすばらしかった。作者は「解説」で、この国で生きることによって(よくも悪くも)既存の倫理観や「~べき」の抑圧によるふるまいを身に付け(させられ)ることを、「去勢」と表現していた。
そしてたしかに彼女の作品では、「去勢」を受けないで育った人々(特殊な環境下で育つなど、たまに居る)への憧憬と共に、それぞれの物事に対し自分はどう感じ、どうしたいと思うのか、苦しみながら考え生きる主人公の姿が描かれていた。
生きて行けるかどうかはわからないけど、私は生きていくならその作品があってほしいと思った。
それで、私はどうしても作家が好きなそのバンドが誰なのか知りたくなった。
しゃっきしゃきでした。
最新の作品はにんじんケーキ①
土曜日の朝に早起きをして、まだ夢見心地の頭に昨夜寝る前に聴いた曲が流れた。
つまりそれはまだ寝ていないのかと思うような錯覚で夜が続いているような、夜を飛び越えていつかわからない今につながっているような妙な感覚だった。
それは、今でもなく、過去でも未来でもないような歌を歌っているボーカルのせいだと思った。
まったく、そのボーカルは何も言っていないのと同じだった。
明日生きているかどうかもわからないなら今していることも大して大きな意味はないというようなことを言っていた。
それから、こんなすごい星の夜には友達と会って話がしたいと言っていた。
そして、こうした方がいいとわかるような道を選ぶことができずに、時間がかかる方に行ってしまう自分のことなど。
私がそのバンドを知ったのは、最近傾倒している作家が毎月Webに連載しているエッセイの最新号で書いていたからだった。文章は抑制がきいていて、いつものようにこの世界に生きているのは絶望的なことだと言っているのに珍しく明るく、まるでうっかり「希望」について語ってしまったようなところがひどく印象的だった。
バンドとは十代の頃に出会い、CDを買い集め、フェスやライブに参戦して(それはまさに「参戦」だった)、曲や彼らの存在に助けられてきたこと。
作家が結婚し、出産し、海外に移住したりしている間にバンドは活動を休止し、ボーカルはいくつもの新たなバンドを組んで活動していたこと。
移住先で偶然年若いファンと知り合い、帰国してから一緒に新バンドのライブに行ったこと。
15年ぶりに参戦したライブで、そのボーカルやバンド、曲に支えられていた当時のことや、今までもずっとそうだったことが強烈に身に迫って感じられたこと、まったく自然に一緒に歌っていたこと。
さらに、翌日訪れたマッサージ店で担当してくれた若い女の子もそのバンドが好きで年越しフェスに行くのだというさらなる偶然と、どうかそのフェスが多くの人々が休んでいる年末も肉体労働をしている彼女を癒してくれるようにという願いのような言葉。
フェスに参戦していた時期が私にもあり、その気候的肉体的過酷さと、それらを天秤にかけても出かけたいと思わせるような衝動を知っていたから、読みながらその得体のしれない恍惚がまざまざとよみがえる心地がした。
また、音楽やあるバンドの存在に支えられた経験という意味でも、慰撫される安堵や繰り返し聴いて命をつないでいた時のことをすぐにいくつも思い出したりしていた。(それらは数え切れず、多くは泣いた後忘れてしまった。)
私がその作家を好きになったのはとにかく深く世界に絶望している様子が自分と重なったからだった。
インタビューで彼女は十歳の時から死にたかったと言っていた。
彼女がこの国の人全員が知っているような大きな文学賞を取ったのは二十歳の時で、国中が大騒ぎになった。
私は同世代で、嫉妬してその作品を読むことができなかった。今思えば、たとえ読んでもほとんどわからなかったのではないかと思う。それは、自分の身体に穴を開け傷を付けることでしか、あるいは傷付けても自分の存在に実感を持てない人の話だった(らしい)。
私がその作家の作品を初めて読んだのはその約十年後のことだった。当時の自分がどんな心境だったのかは忘れたけど、とにかくそれは「虐待」を含む、母になった女性たちの話だった。「母」になりきれず、またなりきらない女の人たちにひどく共感したし、この国の子育てを取り巻く狂気と母に押し寄せるプレッシャーを、すごい好奇心と深い納得と、そして痛みを感じながら一気に読んだ。
作家自身、その前後の時期のインタビューで自分の妊娠出産について語るなかで、「主にピンクで構成されているような育児にまつわる本やグッズのおそろしくダサいことに絶望した」というようなことを述べていて、ものすごく痛快で面白いと思っていた。
それから、3.11の震災と原発事故以降まるで憑りつかれたように西に逃げようと主張する夫と、政府の発表をあっさり信じて留まることを選びたがる妻の両方(というか全員)の狂気を描いた小説とか、すばらしかった。
それから5年が経った。作家の書く真実は痛みを伴っていて日常の中で読むにはしんどく、徐々に遠ざかっていった。あまりに感動した記憶から自分の本棚に持っておきたいと思って買ったのに読み返すには辛く、引っ越しの際に迷って手放してしまったものもあった。それでも時々、主人公が生まれたばかりの子どもを連れて西に逃げるように妻に迫る様子とか、結果的に離婚し家も仕事も失い深夜のスーパーに行く場面を思い出した。総菜は安売りしていて、主人公は椎茸の肉詰めを買おうとする誰かに、椎茸に含まれるセシウムの量を滔々と語っていた。
5年ぶりにその作家の小説を手に取ったのは偶然で、普段行かない場所にある図書館に行ったことがきっかけだった。病院の定期健診で訪れた街で、結果を聞きにおそらく一週間後また来るよう言われることがわかっていたから同じビルの中にある図書館で本を借りようと決めて出かけて行ったのだった。
行ってみたのはいいけれど、目当てのミステリー作品は貸し出し中で、私は当てもなくうろうろしていた。ふと思いついてその作家の手放した作品や、不思議と思い出す作品をもう一度読もうかとも思ったものの、それはつまらない気がして新しい作品に手を伸ばした。
作家自身の寡作であること(これもあまり読まなくなった理由の一つだった)や、彼女の震災以降の作品が読みたい私にとって、本選びは難航した。さらに、図書館の本棚の多くを占めているハードカバーにはあらすじが書かれていない。時間切れになり仕方なく図書館を出てフロアーを1階上がった病院の待合で、ほとんど信用できない(し不愉快になる)とわかりながらスマホに作家の名前を入れレビューを検索していたら、本人の書いたエッセイに到達した。ある出版社のサイトで連載しているらしく、無料で読めるのも信じがたく、ありがたかった。ほくほくした気分でお気に入りに登録した後、レビューはさっさと流し見し、「姉妹について書かれた小説」という情報だけを切り取って私は図書館に戻った。
好きな喫茶店の黒板に「にんじんケーキ」の文字を見て食べたくてたまらなくなった。文字への妄執。
おいしいけど合ってるかわからん……
違いながら、共に生きるということ(映画『ブタがいた教室』かんそうっぽい文章)
なんと10年前の映画で、原作はさらに70年代の大阪の小学校教員によるノンフィクションらしかった。
だからいろいろな錯誤がある感じなのはちょっと置いといて。
物語は、新人の担任教師(妻夫木聡)の発案で、6年生のクラスでブタを飼うことに決まり、「ピーちゃん」と名付けて飼育し、苦労や愛着を経験していよいよ離れがたくなったころ、「卒業」という現実を前に、そのブタをどうするか? という話だった。
「命の重さを知る」というねらいで、「みんなでブタを飼おうと思うけど、最後は食べるという約束だよ」という担任の発案で、生徒もそれを了承したうえで始まったことだったけど、「殺すことはできない」という子が何人も現れて、クラスで議論をすることになった。
この議論が圧巻、って、ネットには書いてあった。
子役の子どもたちは大人と違う、結末の削られた台本を渡されていて、演技を越えてそれぞれ自由に自分たちの言葉で思ったことを発言していた。
- 名前まで付けてかわいがってきたのだから、「ピーちゃん」は他のブタとは違う。だから食べられない。
- 「ピーちゃん」と他のブタを区別するのは差別じゃないのか。
- 自分たちが引き受けて育ててきたのだから、最後まで引き受けて食肉センターに送りたい。それが責任。
- 命の長さは誰が決めるの?
たしかに圧巻だった。(泣いた。すぐ泣く。)
最初は、「とても食べられない」とか、「じゃあ他の肉も食べないのか」いう、感情の周りをぐるぐる回るような意見で戦っていて、それも大事ではあったけどどこかみんな傍観者的だった。
「ピーちゃんを食べるってめっちゃ残酷じゃない?」VS「いや、そもそも自分たちが生きているってことは何かを犠牲にしてるってことじゃん」 みたいな。
私は、最初から「殺して食べる」って決めて見ていて、それは、「何かを犠牲にして生きている」自分のつじつまを合わせるためには仕方がない、たぶん死ぬほど辛いであろう体験への決断と覚悟を、いつもどおりスッと下したからにすぎなかった。
(自分が生きていることの罪悪を、過酷なことでしか贖えないとすぐに思いがち。その辛さに耐えられるような強さがあるわけではないくせに。偽善を避けているのかな?)
だから、答えは決まっている気分で見ていた。
議論は平行線をたどり、
「(後輩に託すか、何らかの方法で)寿命まで生かす」派と、「食肉センターに送る」派の間で攻撃が激化し、溝が深まったりもしていた。
でも、何度も議論を重ねた果てに、ある時、「食肉センターに送る」派の子が、
「自分だって本当は殺してしまいたくなんかない。でも、この先、ピーちゃんを置いて卒業しても、頻繁に会いに来られるわけじゃないしピーちゃんを寂しくさせてしまう。その間に、自分たちじゃない誰かが『ピーちゃんを食肉センターに送る』という決断をすることもあるかもしれない。それよりも、愛情を持って育てた自分たちが食肉センターに送ったほうがいいんじゃないか」
と、泣きながら話してから、議論の様相は変わっていった。
それぞれの子ども達が、それぞれの結論について、苦しい思いも含めて吐き出していった。
そこには、「賛成」派も、「反対」派の違いも無いように見えた。
あったのは、必死の思いをかけてどうしたらいいかを悩みぬいた人たちの姿だった。
それが自分でもあり、他人でもあるということを共有していた。
たしかに、ピーちゃんを殺すかどうかという決断は、「殺す」にしても「殺さない」にしても、自分の命をかけたような決断で、身を切られるのと同じ、苦しすぎることだと思った。あの場にいた人たちはその思いを共有していた。
私は泣きながら見て、議論ってこういうことかと思った。お互いに苦しい中で悩みぬき、自分の命や尊厳を懸けて議論し尽くした時、相手への尊重が生まれる。
自分の考えの正しさを分からせたり、そもそも相手を説得したりすることとは違うもののような気がする。
その瞬間が訪れるというのはそういうわけか。なんかワッシーが言っていたなあ。
それは、この苦しみの時間を共に経験し、へとへとになってねぎらい合うようなことだって。
そういうものを見たような気がした。
違いながら、共に生きていくっていうことの一端を見たような気がした。
(だから私は、論をもてあそぶディベートのようなものはやっぱり好きじゃないんだな。そして、「当事者」になると、人は必死になる。)
映画はいろいろと問題点も目に付いて、(たとえば、「命の大切さを知る経験をさせたい」という大人から子どもへ教える目線が私は好きじゃないし、そのためにブタを使うのは不要な動物実験にも思えたし、「殺すなら『ピーちゃん』と名付けるのはそもそもダメ」というネットの感想はもっともに思えたし、大人と子どもの台本が違うのも子どもを試しているような感じで「実験」的で気持ち悪いなと思った。)すごくいいとは思わなかったけど、やっぱりいろいろ考えた。
ちなみに、私は食肉センターに送るんじゃなくて、悩む息子に対して、「俺がブタをきれいにさばいたろか? 自分も子どもの時、ブタを殺す大人は鬼だと思った。でも、殺すことじゃなく、全部を食べ尽くさずに残すことが野蛮なんだ」 と、声を掛ける沖縄料理屋をする父にさばいてほしかった。
ディアマイフレンド つづき
マイフレンド先生が前回のブログの文章を読んでくれたらしく、メールをくれた。
そこで、求められていないのにさらに返事を書いてみる。
「求められてないのにする」っていうのが、なんか全部そういうことなのかなっていう気がしている。
ブログのようにオープンな場で自分について書かれるのは、
プライバシーのこともあるし、
また、(私にとっては趣味であっても)逐一打って返す(ヒットエンドラン?)ことによって相手に与えてしまうプレッシャーとかがあるみたいで、すごくドキドキさせちゃうから、引用せずに、フィクションで返事をするということにトライしてみる。
難易度たけー!! もえるっっ
これぞ、流行りの? エアーで? お返事?
わからんけど。
(だから、お返事のお返事は気にしないでくださいね~~。という意味。)
マイフレンド先生がおもしろい(すてき)のは、私みたいにジャッジしないことだ。
私と同じ悩み派で、私とよく似たことについて苦しみ悩んでいるし、些細なことでショックを受け引きずるのに、他者を憎まない。
(他者っていうのはこの場合、自分と違う人のこと。考え方とか、考えること自体の有無やその深度もふくめて。)
悩みの多くが、その他者との違いによって陥る孤独や孤立感、虚しさによるものなのに、マイフレンド先生はその原因である他者を憎まない。怒るけど、どちらかというと嘆く方に近く、怒りはその個人に向かわない。罪を憎んでってやつに近い。私のあこがれる境地だ。根に持つ私の在り方とは違う。
そのことが本当にすごいといつも思う。
(今、Eテレの「100分de名著」が三木清の『人生論ノート』で、「憎しみ」と「怒り」の違いについてやっていて学んだ。「怒り」は公への憤りっていう感じに近く〈義憤や公憤?〉、「憎しみ」はマグマのようにたぎらせてつのらせ、積もらせていくもの。)
それで、マイフレンド先生はそのことに気付いているのかどうなのかわからないけど、私にそう言われてもとくに変わらずにいるから、もともとそういう人なんだと思う。
私はそこが好きで、とても尊敬している。
今回の私へのお返事メールの中でも【引用はするまい!! なので安心してください】、
すごくこだわってしまう自分(マイフレンド先生自身)とは考え方の違う仲間のことを私に対して説明していて、読みながら私はその仲間に対してすごくイライラしてしまうんだけど、
マイフレンド先生は、最後のまとめで、
「それで、ベテランの〇〇さんは私の疑問を聞き、資料を確認し、紳士な態度ですべての出来事を眺め、流す。」
と書いていて笑った。
~、流す。って!!!
笑笑笑。
私が書いたら激怒憤怒で怒りのあまり殺しちゃうんだけど(文章で)、マイフレンド先生はそうじゃない。
「~、流す。」って言葉でシンプルに……流す! 笑
ここには悪意もおそらく皮肉もない(これは衝撃。ちょっと真意を聞いてみたい)。単なる事実の描写って感じ。
私の手にかかると、
「~流す。」って言ったけどコレ皮肉だからなっ! 単なる「傍観者」のことやで! ベテランだろ、何してんだよ目の前の困っている人をちゃんと見ろよ、悩めよおおおおお……!!!!🔥🔥🔥
って、使える言葉をフルに使ってボッコボッコに罵倒するところだ。
マイフレンド先生が事実をシンプルにとらえて伝えてくるのは面白いと思う。
人の分まで怒る(恨み、憎む)私とは、良いバランスなのだと思う。
理系と文系の違いなのかな?
先生の話は、言葉によって理解しようとし、言葉によって解消しようとしながら言葉によって縺れていく私を、いつもハッとさせる。
言葉にはよらないあり方で(でも言葉で)物事をとらえ、考えようとするマイフレンド先生と、言葉によって怨みを晴らしたがる私。
状況は変わらなくて、いずれにしても苦しい。苦しいことに変わりはない。でも、先生がやむにやまれず伝えてくれたことを私が聞いて、こうやってフィクションを加えながら面白い作品にして、先生がそれを読んでくれたらいいな。今私ができること(したいこと)ってそれしかないなーって思った。
コラボっす。