春のはじめのお話会のお知らせ🌷
こんにちは。
雨が降り、身体の芯まで冷えきって、ふたたび冬の寒さを痛感した夜が明け、
朝起きたら晴れていました。
パソコンを持って外に出たら、街路樹の白いモクレンは満開で、
植木鉢に美しく入れられて電灯の柱にぶら下がっているピンクと緑の花々は咲き誇り、
今にもあふれそうでした。
……ん? 電灯にぶら下げられている植木鉢? こんなのあったっけ?
知らなかった。知らなかったよ。
学校を辞めてもうすぐ2年がたちます。
先日、近所の古本屋で『二年間の休暇』という児童文学を見つけました。
『十五少年漂流記』の別名らしい。一緒にいた友達が教えてくれた。
私は、「二年間の休暇かあ」と思い、自分もそうだなあと思い、そして唐突に、
「それはきっともうすぐ終わる」という気がしました。
働きたくなったし、働けると思ったし、あるいは十分に「漂流」したと思ったのかもしれません。
ただ単にお金がなくなってきたというのもあります笑。
でも、不思議なことに、時期が来たのだとわかった気がしました。
二年前、私は絶望しながら学校を辞めて、
社会にも、地震や台風や大雨などの災害にも、日本の政府にも、
怒りと失望と諦念とやっぱり怒りを繰り返しつのらせていました。
私は、引っ越して、本を出し、新しい友達と出会い、知らない街を歩き、
時々アルバイトをし、また人に出会いました。
それは、2019年の12月のことでした。
「何が起きても大丈夫で、急に家がなくなったとしても、家族や友達がいるから生きていけるよ」と言った人がいました。
それは理想で理想で理想の話だと思いました。
同時に、私はそれを信じたいし信じられるんじゃないかと思ったのでした。
思ったそばから、自分で自分にびっくりしました。
私はそんなふうに思うのか。思えるのか。
大きな地震が来たらもう終わりだし、信用の置けない国や社会の中で一人で生きている自分は絶望と隣り合わせだと思っていました。
絶望の放つ強烈な暗闇の方に自ら引き寄せられに行っていたのだろうとも思います。
もうこれ以上絶望したくなくて、絶望していたのかもしれません。
でも、今、どんなふうに生きていたいか? と考えた時、
私は絶望じゃなくて、何が起きても生きていけると思いたい。
一人じゃない世界で、必ず誰かが助けてくれると思っていたい。
自分も助けるし、助けたい。
誰かが誰かを支える。そういうふうにして、外にむかってひらいていきたい。
「二年間の休暇」の最後に、私はそんなことを思い始めたのでした。
すると、不思議なことに、昔の友達から手紙が来るようになりました。
友達と友達が友達になり始めました。
友達ってこうして作るんだな~。
こんなふうに、これからいろいろしていきたいな~と思います。
そのいちばんはじめの会として。
お話を聴く会をします~🌷
春のはじめのお話会のお知らせ🌷
- 日時 3月8日(日)12:00~
- 場所 teraco 宝塚市旭町1丁目16-8
- 行き方 阪急清荒神駅から徒歩5分
- お話してくれる人 かよちゃん
- 参加費 500円 ワンドリンク付き
- ◇ジビエカレーパンの販売もあります。
- ◇持ち寄り大歓迎です。
🔹かよちゃんのご紹介
関西の芸大生。
久しぶりに会ったら、「大学で、椅子や太鼓を作った」と写真を見せてもらってびっくり仰天。
「どっしりとした小ぶりのソファー」と、「まだこの世界に存在にしていなかった太鼓」をしっかり作り上げていた!
家具&楽器??!!??
あれれ??
絵画専攻じゃなかったっけ?
高校時代は、「就職を見据えて、プロダクトデザイン(商品のパッケージやラベルとかの)を学びたい」と言っていた記憶も……。
こんなに立派な「家具」と「楽器」を作るには、さぞ、基礎知識の習得や練習、下積みの時代があったのでしょう~??
と思って聞くと、かよちゃんは、「やりたい!」から出発して、
そのつど、観察や設計図作り、計算、試作を繰り返して完成させたのだと言う。
え? ていうかそもそもかよちゃん、理系とか緻密な計算とか……
「全然得意じゃないです」
だよね~。バリバリ文系だったもん。
それなのに、「やりたいから!」ってやっちゃう?
私の場合は、「だってできないし……」から始まるので、そもそも「やりたい!」は生まれない(書いてて悲しい)。
万が一、「やりたい!」が生まれたとしたら、順番に、「じゃあまず基礎知識の学習からだな~」と言って本屋でテキスト探すか、専門学校通うよ。
すごいねーかよちゃん。びっくり感動する私をよそに、
「いえいえべつに~」とにこにこ、終始ひかえめなかよちゃん。
「やりたいからやる」のだというかよちゃんの姿に、私は、素朴で自然な流れを見たし、それによってかよちゃんが、「やってみる」のでなければ得られないことを自分の感覚と力でを一つずつ掴んでいることに感動したのだと思う。
「楽器って、美しい音が鳴ることを人々は期待するんだな~と知った」とかよちゃんは言う。
「そのことは太鼓を作るまで知らなかった。『音が鳴る』ことを目指して作ったから、人々は『音の美しさ』を期待するんだって初めて知った」
という言葉は、素朴でとても重いと私は思う。
美しさとは何か?
それは楽器によって違うのか?
人によっても違う?
音と絵の美しさは違うの???
様々なことが浮かぶ。考えたり、話したり、試したりしたくなる。わくわくする。
「言葉によるコミュニケーションが難しいと感じる時もあるから楽器がいい、作りたいと思った」と、かよちゃん。
なぜか私たちは、「楽器」を前にすると「技術」や「うまさ」を求めがちで、
「うまい人が弾くもの」や、「弾けるから弾く」と無意識に思ってしまっている。
でも、かよちゃんは、「技術がなくちゃダメというイメージが少なくて、誰でも叩ける」という意味でも「太鼓」がよかったし、道とかに置いてみんなに叩いてほしいと思ったんだって~。
すごくな~い??
私はこの話を自分だけで聴いているのはもたいないと考えて、かよちゃんに、
みんなの前でお話してくれないかな? とお願いし、
快諾してもらったのでした。
さらに、就職活動(働く場所の見つけ方)についても面白い話が聴けそうです。
そして、他にもお話してくれる方をスカウト中。
フィリピンに行った時のお話。こちらもすばらしいんだ~🌷
こんなことを、少しずつやっていきたいです。
みんなで楽しく明るいほうへ。
温かい、春の訪れを一緒においわいしましょう🌸