むりむりちゃん日記

私が孤独なのは私のせいではない

寺尾紗穂さんのライブ 祖父のこと、亡くした人たちのこと

 

 

生き死ににまつわることに関するとすぐに泣いてしまう。


古くは23か24才の大学院生の時、祖父が亡くなって、葬儀で私はひとりで大泣きしていた。

周りが引くぐらい。

呆れて伯父に「おい大丈夫か」といわれるぐらい。(これはとても冷たいと思った。)

それでわれに返ったけど、泣くのをやめることはできなかった。
あこがれていて、好きなじいちゃんではあったけど、そんなに仲が良かったかと言われるとそれほど近い間柄でもなく、「たいていの大人になった女の孫と祖父の距離感の平均」……と書きかけてふと、年上の従姉妹たちのことを思い出したら彼女たちは私よりはるかに親し気に接していたし(彼女たちの明るさ!)、祖父の認識もそうだったと思う。

 

でも、退職後に趣味のカメラを持って興味の赴くまま外国も含め飛び回り、

仲間としばしばグループ展を開いていた姿は私にとってあこがれで自慢だった。

年を重ねるごとに、「次は高校だね」、「来年大学受験だよね、がんばってね」、「就職しなくちゃね」といった普通のことを言ってくる他の親戚と違い、

祖父は事あるごとに「好きなことをしたらいい」と言った(孫全員に言っていたとは思うけど)。

それは、小さい時からずっと「好きなことをしたい(書く人になりたい)」とひそかに思っていた私にとってやっぱりあこがれの姿で(孫にそんなことを言うおじいちゃんになりたい)、救いのような存在だった。

今思えば、他の人々がせっせと常識的な声かけ(「めぐちゃんも来年は受験生だね!」)をしていたからこそ、祖父は自由に好きなことを孫に言うことができたのかもしれない。

あるいはその反発か。そうだったらいいなと思う。

そこらへんのことは私にはわからない。今だったら聞けたのになとか思う。


祖父の葬式で、自分のほうが死ぬんじゃないかっていうほど泣いたのにはもうひとつ訳がある。

それは、私にはお見舞いや、病院に通う母や伯母の手伝いにあまり参加しなかった負い目があったからだった。

なんで病院に行かなかったかというとあまり理由は無くて、ただ自分のことを優先していただけだ。病院は手持ち無沙汰で、見るたびに痩せてゆく祖父の姿は悲しかった。

「今日、〇〇ちゃんが病院に来てくれたよ」と母から従姉妹たちの動向を聞くにつけても私はただ罪悪感をつのらせるばかりだった。

そんなわけで、ほとんど初めて遭遇する「親しい人の死」ということもあり、対処不能で気持ち悪いぐらい泣いていたという思い出。


「祖父の葬式で今日は授業を休んでいる」と人伝に聞いたタイ人の友達が私に送ってくれた、「魂をあまりにも失わないでください」というメールは今でもよく覚えている。

私があんなふうに「泣き女」(台湾とかでお葬式にやって来る『泣き職』専門の人)と化しているなんて知らなかったはずなのにすごいなあと思ったし、

(喪失の)悲しみに暮れる人を絶対に放っておかないやさしさというか彼女のポリシーのようなものはその時からずっと変わっていなくて、私は今も支えられているのだと思う。

 

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寺尾紗穂さんのライブは、喪失や孤独をともに味わうような時間だった。
耳にきこえてきたどの言葉を拾い上げても、私の頭は「人との究極的な別れ(=死)」を連想して泣いてしまうのだった。


◇最後に会えないまま別れた人たちのことを歌った歌は、友達と友達のばあちゃんのことだと思った。
◇「あの日、ぼくは死ぬよといって そして今生きてる」という歌詞には、自分や、今も死を意識して生きている何人もの友達を重ねた。
◇「愛のかけらをひとつずつ拾う私のたよりなさ」という言葉には、自分や、そうやって言いそうな友達の顔を浮かべた。

一緒にライブに行った友達が、寺尾さんの本(『彗星の孤独』)を読んで

「迷っても、途中で変わってもいいって言ってくれているように思った」

と言っていたことを思い出した。
◇「あなたの骨壺持ちたかった」という歌詞には、ばあちゃんの骨壺を作ろうとした友達のことを思った。それから、喪主になりたい自分のことも。

 

合間のお話の中で、一年前に亡くなった寺尾さんのお父さんと、家族と絶縁してそして死んでしまった男性のことが語られた。

寺尾さんは、「みんな孤独だけど、誰も完全な孤独の中で生きていくことはできない」と言った。


どの歌か忘れてしまったのだけど、ついには、昨日や今朝名古屋で会って別れてきた家族たちのことが思い浮かびながら泣き、ここまでくると自分でもさすがにやりすぎだなと思った。

みずから泣きに行っているし、これ(家族を思い出す)に関しては「悲しみ」とは違う感情で、そういう家族に関する‟充実“みたいな感じ方はすごく恥ずかしいと思ったから。

(でもやっぱり今は家族のことがとても好きなので、そういう感情を許してもまあいいのかなとも思う。)

 

美しく、迫力のある声と、ピアノにも泣き、言葉じゃないんだなとやっぱりやっと思った。


わからないことやどうしようもないことについて歌っているのかもしれない。
言葉にするとまた違ってきてしまうのかもしれないけれど。

 

よく泣いた一夜でした。これを書きながらまた泣いているんだけど。

 

🔘寺尾紗穂「迷う」、「いくつもの」、「骨壺」、「あの日」、「楕円の夢」、「たよりないもののために」、「何にもいらない」を聴きながら書きました。

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サインをもらってお手紙を渡して少しお話しました。とてもやさしかった。

memo✎

・言葉とは限らないのだということ
・相手との共通の言語、チャンネル
・求めているから得られるということ
・書いたことしか覚えていないのかもしれない/書くとそれ以外のことを忘れてしまう