映画『15時17分、パリ行き』
オランダのことを書きます。
その前に、映画のことを書きます。
行く前に、映画『15時17分、パリ行き』がいいと聞いていて、「実際にテロ犯と戦った青年たちが本人役で出演しているのがいい」と言ってて、へー、そんなことできんのかーと思って調べたら、その列車がアムステルダム駅発だったから、「オランダ行く前に観たら怖くなる」と思ってやめて、帰ってきてから観た。
どうしてもアムステルダムに触れたくてたまらなくて観たっていう感じ。
アムステルダム中央駅なんてホテルの近くで何回も行ったから、ちょっとでも知っている光景が映ったら絶対観たい、みたいな感じで。
アムステルダム中央駅。東京駅のモデルになったそうな。世界中の人が行き交う雰囲気に圧倒されました。
意に反して(?)映画は、アムステルダム駅はおろか、クライマックスであるはずのテロ犯との格闘シーンもほんのわずかで、そのことだけを期待していくと、あれれ? っていう感じだった。拍子抜けみたいな。
その格闘だって、スペンサー(主人公のひとり)が柔術で抑え込んだ犯人に後頭部を何度も刺されるシーンや、銃で撃たれた唯一の被害者に死なないで死なないで死なないで、って、止血するスペンサーと共に観客みんなで祈る時間以外、ほとんど危なげのない闘いだった。
じゃあ何を描いているのかというと、この「本人出演」という、3人の青年たちについてだった。友情というほど熱くもなくて、劇的というほどの出来事は起きず、日常の延長がずっと続く。普通の彼らの人生の話。
かんたんなあらすじ
ミリタリー好きのぽっちゃりスペンサーと小柄なアレクは、学校や教師に反発して目を付けられ、学校に馴染めない(教師にはADDを疑われる)。
でも、呼び出された校長室で出会ったアンソニーと仲良くなり、3人で戦争ごっこやいたずらを楽しむ仲間となる。転校など、離れ離れになっても3人の交流は続く。
青年になったスペンサーはファストフード店でアルバイト中、やってきた海軍兵士に何気なく「パラレスキュー隊」のことを聞く。幼いころからのあこがれも重なり、アンソニーに「入隊したい」と言うと、アンソニーは笑って「痩せなくちゃ絶対に無理。何事も成し遂げたことのないお前には絶対に無理」と言う。その瞬間に火がついたスペンサーは猛トレーニングを始め、無事入隊試験に合格する。しかし、夢だったパラレスキュー隊は視野の奥行検査で叶わずひどく落胆する。
配属先では、連日、安全地帯での人命救助や止血法、裁縫、柔術、避難方法などを学ぶ。第一線で活躍する華やかな部隊とはかけ離れた任務。スペンサーが、せっかく鍛え上げた厚い胸板や俊足を持て余し気味に裁縫の訓練をしたり、落第したり、講義を受ける姿はかわいい。あまり文句を言わないのもいい。すわ有事か、という事態には思わずボールペンを武器に飛び出し、教官に思いっきり呆れられるのも微笑ましい。それが第一部。
第二部は、そのスペンサーが「旅行行こうぜ!」と2人を誘う。
適当にアンソニーとローマで待ち合わせて2人でコロッセオとかトレビの泉とかベタに観光し、ベネチアのゴンドラで出会った女の子(日本人っぽい。英語完璧)とジェラート食べたり食事したり。一日限りの交流。
ナチュラル~。こんな軽装でさ、ぶらっと街に出てうらやましいぜ。これぞ街ぶら。こっちは、スリに人さらいに恐々として毎回フル装備で繰り出していたよ~。まあいろいろ違うからしょうがないんだけど。慣れてないし、安全第一でいいんだけどね。
くだんのアムステルダム行きも、彼らの行き当たりばったりで決まったこと。パリに行くかどうか悩んでいる流れのなかでベルリンのバーで出会ったおっちゃんに、
「アムスは最高! 女性は美人だし、人々が世界一やさしい。行くべし!!」
と言われて、そう!? と盛り上がり、アムスでのアレク合流と夜遊び(クラブ)、翌日のアムステルダム駅発の高速列車タリスでのパリ行きが決定した。
そして列車で……。というお話。
空港からアムステルダムに到着した時。(まだ観てなかったけど)ここでいろいろなことが起きたのか、とか、この旅のこととか考えて、ちょっとどきどきしました。
好きなところ…これは隣の友達の話・私の話。
おもしろいのが、アンソニーが自撮り棒(セルフィ)を持ってきていて撮りまくり、スペンサーに呆れられているところ。おなじ!!(私と。)つまりミーハーな今時の若者。
次の目的地も翌日のホテルも決めずにぶらぶらするという旅の仕方も、軍人という生き方も、私と全然違うのに、彼らと自分はまったく同じだと思う不思議。
- 迷いながら進んでいたり、
- 行き当たりばったりな進み方をしたり(街ぶら的生き方)、
- 偶然に出会ったり、
- その偶然を次につなげたりする。
おしなべてみるとすべてがつながってるということなんだけど、
「なんでも意味があるから一生懸命やっておけよ!」的な教訓っぽいことじゃなくて、
そうなるべくしてなるというか、そう転がっているというか。そういうことを具現化している映画だと思った。
だからこの三人は本当に至って普通の人たちだし、隣にいたっておかしくないし、っていうか私だし、おあつらえ向きな訓練受けてきてるし笑、人救いたくて軍に入っているし、そりゃあ救うし、友達に「GO! スペンサー!!」って言われるし笑、言われるまでもなく犯人に突進していくよ!(丸腰でも)って思った。
それらが全部、まったく不思議じゃなくつながっていた。
そういう意味で、そのこと(全部つながっているということ)が、ある意味で証明される瞬間であるような気がして、その救いみたいなものを求めて、「助かってくれ!」と息を止めて応援したし熱く願ったし、助かって本当によかったよ……涙って思った。
彼ら3人のことを、普通に隣にいる友達のことだと思ったから。
普通にこの3人と友達になれそうなんだよな。まあまあ近いモラルを共有していて、気安くて、真面目。
スペンサーが、「旅行ハイになってるかもしれないけど」と言って(これもよくワカル)、
「自分の運命が何かに動されているような気がする。」
と言うシーンはこの物語の象徴的な部分だったし、私が最近考えていたことと同じで、よくわかる……と思いました。
自分が願い、意志を持った方へ事態は転がっていく。その際に、今まで意識しなかった些細なことが経験として自分を助けてくれたりする。
子ども時代の学校や周囲への馴染めなさ、親友との出会いと別れ、モラトリアムの期間、第一目標としていた夢が目前で叶わないこと、思ったようなしごとではないこと、行き当たりばったりの旅、思い付きで乗った列車でテロ犯に遭遇すること。
こういうことは人生の中でままあって、人はそういうことのなかで生きているんだよなーっていうこと。
つまり、これはテロという悪と戦うヒーローの話でも、政治的社会的な話でもそんなになくて(ちょっとはあるけど)、この3人のロードムービーなのだった。いいな、ロードムービー。
軍生活で変にいじめとかセクハラとか、余計な悲惨なこと起きなくてよかった……。
🐓🐓🐓あともう一つ。
タリス(列車)に乗る直前、年老いた父親連れの女性に「ちょっと手伝ってくれませんか。荷物が多いので父のことお願いします。」と言われた3人は気軽に引き受け、手を引いてあげたり荷物を持ってあげたりする。席に座ってからも、Wi-Fiがつながる1等車に移動する(移動した先で犯人と対峙し、結果、乗客全員を救うことになる)際に父娘に挨拶していったり、格闘直後に協力し合ったりする。
気軽な声の掛け合いや助け合いが普通。っていうのがいいなあ……と、日本で全然助けないし助けも期待してないで生きている私はすごくあこがれた。こういうとこ、変わりたいな。
ホテルの窓から駅が見えました。海の向こうの白い屋根の大きな建物が、映画でも映っていました。駅のホームでアンソニーが「何気ない俺を撮ってくれ!」と頼むシーン。ワカルよその気持ちも笑。何気ない俺。