むりむりちゃん日記

私が孤独なのは私のせいではない

結婚式むりむり ~PartⅡ~

PartⅠの続きです。

「結婚式に行きたくない問題」が、友人に理解されなくて普通に招待されました。

それが普段から私の思想をお話ししていた友達だったりしたのでけっこうショックではあったけど、

結果、ひとまず双方の落としどころを見つけたので(私がスピーチをする)、

決裂は避けられたのだけども、まあかなりショックだった。

 

当人と話しているときは、その違和感が何かわからなかった。

節々で違和感のヒントはあった。

例えば、「恵ちゃんは家族主義に反対している人だから、結婚には喜んでくれないかもしれないとは思ってたけど、私のうれしいことに友達として喜んでくれないのはつらい」、と言われたこと。

別に家族主義に全反対しているとかではないんだがな……。

そういうふうにしかとらえられていなかったのかな…あんなに話していたのに。

そして家族主義に反対ってなんか極悪人ぽい響きだな。

 

それでよくわからなくなった。

あ、ごめん、みたいな。喜べない私は人に非ずっていうか。

人の喜びに喜べないなんて絶対的悪じゃん。おかしいのかな自分? って思った。

 

でも喜べないのは、家族主義に反対っていうことじゃなく・・・・・・

 

 

これまでに、

結婚して子ども産んだらワンオペ育児になって母でしかなくなる女友だちをたくさん見てきたからだよっ! 

その世界観(家族)以外のものを共有するのは物理的にも精神的にも時間的にも無理になって、互いに距離を置くっていうことになるのがこれまでの流れだからだよっ! 

それを甘受するなんてと彼女たちを責めるのか(責めないけどね……)、

仕事という趣味に没頭しているフリの夫たちを糾弾するか(します)、

母が子を育てる伝統の国ニッポンに「死ね!」っていうのか(言うよもちろん)、

決めかねているからだよっ!! 

そして悲しいことに、あなたがそうならないとは全然思えないからだよ……。

 

家族を前に、個や孤が死んでいく。家族が当たり前のように優先されていく。

っていうか。まあ譲りますよこっちだって全然、ってもはや思ってしまうけど。

 

いや、それ以上に、私が認識されていないっていうことがショックだったのだな。

この事態から、永遠のすれ違いを察知した。そのときは言語化できなくてわからなかったけど。

 

「結婚式に行きたくない」っていうことがスッと受け入れられない世界ってなんなんだろうな。

話していた時は、私の「結婚式に行きたくない」っていう意思が、

彼女の「結婚式をしたい」&「結婚式によびたい」&「結婚を祝ってほしい」

っていう希望と、共存するのかと思ってた。

人はそれぞれ考え方が違って存在している。だからそれらは共存するのが理想でそのはずなんだから、私は祝ってあげないといけないんだと思わされてた。それが苦しかった。

でも違うんだな。その二つは共存はしない。

「祝ってほしい」は、相反する思想を持つ相手に対する過剰な要求。

「結婚式に行きたくない」私が彼女に、「結婚式嫌いだからしないで」っていうのと同じ。相手の思想に土足で足を踏み入れることだ。

共存するとしたら、最初からそれぞれの思想を尊重してそれぞれに行動することだ。「結婚式したい」人は、「結婚式に行きたくない」人を呼ばない。別の場で違う話題で交流したり話をする。そんなことができるのかわからないけど。(結婚に関する思想の違いは多くのことに通じているらしい。)

 

なんで私に祝ってほしいんだろう。思想が違うなら別に祝ってもらわなくてもよくない? 

祝うっていうのは自主的感情なんだからその発現を要求するのは変なことだ。

祝ってほしい、の中には、結婚=完全なる善っていう思想がこびりついてるんだろうなあ。結婚って最強に無敵のカードっぽい。

それに振り回され、ひれふすしかないのかな。

 

早く書かなきゃ。朝井リョウに書かれる・・・・・・。