夕飯はどこへ
こうしてブログを書くとかこのページを運営するみたいなことにけっこう夢中になっていて、今午後4時47分。もうすぐ5時じゃん。それってごはん作る時間じゃん。ってことが、私にも一応よぎる。
それはこの自由生活が始まった当初(約3か月前)はごはん作っていて、この時間に動き出していたんだ。
それっていうのは、料理がひとつのセラピーだったことがあるのですが、午後5時になったら動き出す(夕飯作り)って、考えてみれば実家の母の行動のトレースで、基準がわからないから、家にいる(しかも仕事してない)平日の午後5時はごはん作り始める時間。っていう刷り込み。(母のせいにすんなよ!!)いや、セラピー時代の習慣ってことにしときたいよ。
・何もしてないんだからごはんぐらいは作らねば……的な。(罪の意識)
・何もしてないんだけど健康は保とう……的な。(罪の意識)
・何もしてないなかでも人並みの社会生活ぐらい送ろう……的な。(罪の意識)
・・・・・・全然セラピってない!!
(*当時はもう少し自分なりに盛り上がっていました。何もないところから料理を作り上げるのは、感動と自信と満足。)
今日のこの、「午後5時だよごはんやらねば」な発想かつプレッシャーも、
↑の罪の意識から発現したものです。(罪の意識問題は根深いのです~。これもまた書きます~。)
ただ、瞬間、ある人の「え? 別にごはんしなくていいのでは? 論」がよみがえり、
そーいやそーだった!!✨となって今一生懸命続きを書いています。
この、「え? 別にごはんしなくてもいいのでは? 論」の発言者が、「もやもやずぶちゃん」(http://zubunogakkou.hatenablog.com)の作り手、あかまつみさきさんです。
それは、一週間ほど前の大阪城散歩のときのことでした。
城やその周辺には日本人(と言うのも、人権的にええんかもうわからん。こじらせているZE!)と思われる人はほぼいなくて(犬連れと、道を尋ね歩いている老婦人と、店員とわれわれ……ぐらい)、にぎわいのほとんどがバスでやってきた風の外国人観光客。彼らに天守閣から見下ろされながら私たちは城壁でおしゃべりをしていました。
私が「日本人はどこへ……?」と言うと、みさきさんが
「彼らはオフィスで働いとーる」
と呪術師のように言いました。
そして、今度はふつうに、
「なんでかみんな(職場で)私に、『今日の夕食なににするの?』って聞いてくるんだよね。夕飯のメニュー的なことだと思うんだけど。いや、何にもしないって。適当適当。なんでみんないつも夕食のこと考えてんねん。」
と言ったのです。
だ~よ~ね~。
何食べたっていい。食べなくてもいい。したいことがあったらそっち先にやったらいい。
何というか、常日ごろから夕食問題は大きく立ちはだかってる気にさせられてんだよなあ。呪いのように・・・。(行き過ぎた食育のせいじゃね?)
日本人は家事し過ぎって聞くし、台湾行ったときは夕飯は屋台で食べたしみんなそうしてるって話も聞いたし(朝食もスタンドみたいなとこで買うやつ。道のそこここで売ってる。)、主要三食に対してめっちゃカジュアル。
台北の道で朝ごはんを買うみさきさん。お金一生懸命数えとーる。
道の屋台で買った肉まんを食べ歩きする私。道でなんでも買えるよ・・・しかも、お・い・し・い。
〇〇しなきゃなことってホント何もないよな。
夕食作り食べ洗うを超えてしたいことがあればそれやったらいいんですよね~。ひとり暮らしでも、結婚していても、仕事していても、していなくても。子どもいたらだめなのか? いや、なんか方法あれよ! あってくれよ~泣泣
というわけで、今日はもうちょっとこのまま書き続けます~。
ちなみにのっとられた天守閣からは、遠く梅田の都心のビル群も見えたわけで、外国人に全体的に見下ろされとーる。
ただし、いじわるに見過ぎた構造はそんなんですが、外国人の人たちは、
☆彡自撮り棒で城と家族5人全員入れて撮ろうとしてはみ出して、きゃっきゃしてたり、
☆彡女性ばかりの4人グループ梅園でおしゃべりしながら、誰かが何か言うたびに超ゲラゲラ笑ってたり。
(超かわいかった。写真撮らせてもらえばよかった。)
めちゃめちゃエンジョイしてました。それが大阪城でいちばんいい光景でした~🌞