むりむりちゃん日記

私が孤独なのは私のせいではない

安室ちゃんのこと

にわかもにわか、絵にかいたようなミーハーで恥ずかしいのだけど、安室ちゃんのことが好きになったので書きます。

ミーハーはmyアイデンティティですっ!

 

きっかけは妹で、以前も書いたのだけど妹は安室ファン。

さかのぼること高校時代、母と一緒にライブに行ったのが最初らしい。

(ちなみに当時からMCは苦手で皆無、ひたすら歌い激しく踊り走り抜ける超ストイックスタイル。)

それ以降、妹は途中他のアーティストによそ見してブランクがあったりもしたけど、数年前から再び安室愛が復活し、また足繁くライブにも行くようになっていた。

私はそもそもあまりダンスに興味がないこともあり、横目で見ていただけ。

そんな時の引退発表だった。

 

私はハッとしたものの、自分では90年代の小室ナンバーぐらいしか思いつくこともできずなんだか乗り遅れた感でTwitterを見ていたら、作家の柴崎友香さんが引退を惜しみながら「Baby Don’t Cry」を推していて、やっぱり作家はすごいなあと思いながらPVを見た。とてもよかった!

安室ちゃんが街をただ歩きながら歌っている映像で、歌詞がいいんです~。

 

 

そう だから Baby 悲しまないで 

考えてもわかんない時もあるって

散々でも前に続く道のどこかに

望みはあるから

雨の朝でも(Baby don’t cry)

愛が消えそうでも(Baby don’t cry)

一人になんてしないから(Baby don’t cry)

 

眠れない夜は何度も寝返りばかり

心細くなって吐き出すため息は深い

また抱えた不安 これ以上解消できず

誰かの手握って 見えない明日へ

つなごうと努力して

だってそうして人は何度でも

闇に立ち向かう強さあるはず

与えられて選ぶんじゃなくて

その足で踏み出して

 

 

いい歌だなー。安室ちゃんに言われると泣ける。

「考えてもわかんない時もある」かー。そうなんだ。やっぱりそうなんだ。

「一人にしない」と言ってくれるのがうれしい。

そんなことを思っていた。

 

それから一年の間に、

◍妹に安室ちゃんのラストライブに行った話をきいたり、

◍ライブDVDを観せられたり、

◍イモトの‟行ってQ”も観た(感動した。神との出会い。イモトは頭真っ白で「何の食べ物が好きですか?」って聞いてたのめちゃくちゃ共感した。好きすぎるとそうなる…そうなるんだよ。イモトの呆然としたまま発せられた「夢って叶うんですね」の問いも完璧だったし、安室ちゃんの「夢は叶います」のお答えも神過ぎた)し、

◍大阪で行われている安室奈美恵展に行く妹夫婦に同行した(途中まで)けど、

(…てか、けっこう安室経験積み重ねてるな!)、

まだ、「ただかわいくてすばらしい」というぐらいで、特別な感慨はなかった(にぶい)。

たぶん、じょじょに、じわじわ、醸成していったのだと思う。

 

8月の終わりにラストライブのDVDが出た。

もちろんライブに行き、DVDも買った妹が再三「これは絶対に観た方がいいよ!!」と、(私ならともかく)彼女にしては本当に珍しく、ものすごく強く言うので、半ば無理やりといった感じで貸し出され、東京公演の映像を観た。

それは本当にすばらしかった!!

 

ファイナルツアーの最終日ということも相まって、こっちとしてはすべての曲に「これが観客の前で歌う最後なのだろう」という感傷をこめて安室ちゃんを眺めた。

そう思うだけで、‟にわか中のにわか”のくせに泣けてくるのだから、安室ちゃん本人はいつ泣いてもおかしくなかった。

そしてそれぐらい画面に集中して聴き、見た時の、それぞれの歌のかわいらしさや、聴き手を元気づけようとする歌詞は、ただそれだけで泣けた。

安室ちゃんはこういう歌を歌ってきたのか、と知った。

 

ガールズとボーイズ各5~6人のキレキレダンサーをしたがえて、真っ赤なドレス「君臨」という感じで存在し、キレまくりの歌声とダンスで魅了した(「HERO」)の後は、

ピンクの衣装に着替えて一人で登場すると、「Baby Don’t Cry」を歌った。

ところどころ観客に手を振ったり、笑いかけたり、両手でハートを形作ったりして、みんなの、そして私のハートを撃ち抜いてきた。そのつど黄色い声が上がりそれに対して安室ちゃんが笑顔でで応え、こういうやりとりが会話のようですべてがしっくりとはまっていて感動的だった。

定番のやりとりのようにも見えたし、それこそ言葉以外の、完全に言葉を越えたやりとりだった。

そもそもこのライブの開始前の映像に、客席が映っている時からうすうす気付いていたけど(うかつにも今回初めて気付いたんだけど!)、女性のファンが多い! っていうかほとんど女性(に見える)! 

これってまさにシスターフッドの表象なんじゃないか……。

と気付いてまた泣。

安室ちゃんはこうやって女の人たちを助け、励まし、自分もまた連帯してきたのか……。

そういうことは全然語らず、ただ歌とダンスと存在と、ライブで示してきたってことか……。

全然知らなかった。

 

このことは、大きな希望で救いだなと思った。

そんな人を、妹が唯一みたいにして大好きで信奉しているのも大きな救いだと思った。

泣ける…書きながら泣けて仕方ないよ。ティッシュ持ってないよ……。

そういえば安室ちゃんは、イモトの時も、翁長知事に県民栄誉賞を授与されてお話したときも涙して、ティッシュでふいていたな。何かのインタビューでも泣いて、ティッシュだった。

 

でも安室ちゃんはラストライブで歌っている間、一度も泣かなかった。

プロっていうか、神って感じがした。

 

ソロの後、戻ってきたダンサーたちと、ステージに作られたピンクのビル群に上ったり下りたりしながら歌う 「Girl Talkと 「New Look」はかわいすぎた。

ボーイズチームとガールズチームは分かれてダンスしていて、安室ちゃんはガールズチームの一員でもあって、明らかにガールズはボーイズを翻弄していて(というかボーイズはガールズの引き立て役に徹する)観ていて安心というか、

つまり、女の人(安室ちゃん)がイニシアチブをとる舞台は、なんて平和でかわいくて、おかしな抑圧がなくていいんだ! 

それは、ただうっとりと観ていたらいいという空気に満ちていた。

かっこよくてかわいくて自立している。

べつにどっちがえらいというのでもなく、女性だけを尊重してくれというような主張とかではなく、ただ好きなことを好きな人たちと一緒に好きなだけ、普通にやっていられるということ。

そのことが現実社会ではとても難しく、ほとんど不可能な現状であるだけに、余計に憧れ、ただぼーっとみていた。

 

少しだけ宝塚歌劇団を思い出した。

舞台上の大階段とか、絶対的なトップがいる感じとか、ダンサーが囲んでいることとか、トップがほぼ常人には不可能な高さのヒールを履いて大階段で完璧に踊りまくるとかの、自分と同じ‟人”とは到底思えない感じ。

観客が投影するかわいさとカッコよさ(かわいさ強)を一身に引き受け、現実的にほぼ不可能なことを実現しているフィクション性。神っぽい感じ。

(初めて宝塚のことが良いと思った!)

これは夢中になるよな……。

 

というわけで、引退まで残り一週間。

週末のラジオの特別番組も聴いたし(リスナーからのお便り紹介全員女性wwみんな安室ちゃんに励まされていた~~)、NHKの朝のインタビューも見たし、着々と安室ちゃんを積み重ねています。

 

a walk in the parkも好き。

1997年当時の、若くてイケイケでちょっとカッコつけて長い髪をかき上げている97年安室ちゃんの映像をバックに、それに重ねるようにして、今安室ちゃんが全然邪魔じゃない髪型(おでこ全出し)のまま、わざと髪かき上げるしぐさするのめちゃくちゃかわいい。

お客さんが萌えてキャーキャー言うのも、お互いにわかってる感じでノンバーバル(非言語)空間がいい。みんなかわいい。

 

f:id:murimurichan:20180910234727j:plain

ピンクのビル群の前で「Baby Don't Cry」と「Girl Talk」、「New Look」を歌うところ。顔は本当はもっとずっと小さいです。好きなものを大きく描いてしまう!

 

 

『ラプソディーとセレナーデ』(鷺沢朱理)感想【後編】~パワハラを歌に詠むこと~

『ラプソディーとセレナーデ』(鷺沢朱理)感想 【後編】

パワハラを歌に詠むこと~

やや乱暴なくくり方だけど、今回は「現代」をモチーフとした作品について取り上げま

す。

「現代」というか、現在? 

作品に使われている言葉はやはり古語ですが、こちらの方により親しみをおぼえる読者もいると思う!(私。)

 

「ハートとハート誰も揃はず職場にて〈神経衰弱〉しつつ日を終ふ」

「〈SAD〉略も鬱めく社会不安障害われの接客こはばる」

「クッキーと水の食事に使はざる箸を置くなどどうかしてゐる」

                          「水に書く言葉」より

PTSDフラッシュバックに怯えつつ受ける電話の五重敬語は」

「クレームは耳に残りし水のやう誰か取つてと喚けずにゐる」

「祖父に代はり手に持つ鍬の重かれどこのリハビリは効くよと祖母は」

                          「慈雨浴びて」より

 

(事態は深刻で、この他に、より切迫している歌もあり生々しく心を打つのだが、せっかくだから多くの人に手に取ってもらいたいと思い、各章(と言っていいのかな?)三首ずつと決めて選びました。)

 

〈SAD〉「鬱」PTSDなど、どきりとする言葉が続々登場する。

わずか三十一字の中でこれらの言葉は強烈な力を放ち、歌全体の印象に大きな影響を与えながら読者に重く迫る。

禍々しいのに、とても現実性があると思う。

 

「どきり」とするのは、私にとっても他人事ではないからである。

 

朱理さんと私の交流が復活したのはわずか数カ月前で、朱理さんから「近々歌集を上梓するから謹呈したい」とメールをもらったことがきっかけだった。

お互いにすごく簡単な近況を報告した際、それぞれ「パワハラ」に遭ったことがわかった。

ただ、これは誰が相手であっても言えることなのだが、正直なところ、私は詳しく話すことが面倒だった。

伝えるにはとんでもなく長いストーリーを話さなければいけないし、それは「その当時」でなければ意味がない気がした。

もっと言えば、話したことと引き換えに「その当時」、何かの行動が起こされなければまったく価値がなかった。

だから、今となっては私にとってその経験は、いずれ何らかの表現で復讐するつもりでいるというただそれだけのことだった。

 

そんな私にとって、誰かの、それも友人の「パワハラ」の表象はとても興味があった。

いや、そもそも、それ詠むんだ! と思った。

 

ページをめくり、真剣に読んだ。おもしろかった。

 

・「ハートとハート」が「揃」わない「職場」の「神経衰弱」とかうますぎて、人の作品なのにほくそ笑んだよ。

・〈SAD〉の表す「鬱め」いた英単語の意味とかも、

わかる! それ思いついちゃうしその後延々一人で渦巻くよね~、

という状況が頭の中で再現されたし、「どうかしてゐる」自分の行動の切り取りも、具体的で、哀しかった。

・「五重敬語」って何! って今会ったら一番に聞きたいし、待って待ってそれユーモアか幻聴かわからない怖いと思った。

・「誰か取つて」と「喚く」くことと、できないで「ゐる」ことはすべてが親和性があって痛々しく切なかった。

・「祖父」の存在は他の章で介護と看取りの経験が描かれており、もはや他人じゃなく感じているし、「祖母」の励ましは、そのいかにも「ばあちゃん」世代っぽい温かいユーモアに包まれていて泣かせる。

 

といったふうに、実にわが身に重ねて読んだ。

それを促すようなユーモアと哀しみに満ちていた。これは、作者の手腕と、短歌にすることによってある一定の距離感が生まれたことによるものだと思う。

 

私が自分の受けたパワハラを訴えなかったのは、味方にもなってくれなかった傍観者にゴシップに興じられるのが嫌だったからだ。

作品にしていないのも同じで、弱さをさらけ出すことには抵抗があった。

私は悪を糾弾したいのに、不要に責任を追及されたり無駄に傷付いたりするのは避けたかった。

つまり、「負けた」ことになるのが嫌だった。

自分が惨めでない方法で、(あまり信頼できるかどうかわからないけど)読者に対して、正しく発信したかった。

私はその方法が今もわからずに、手をこまねいている。こまっているのかもしれない。

 

ぜひ、本書を手に取って、歌の連なりを読み味わってほしいと思う。

時は流れ、歌も流れる。

進んだり止まったり振り返ったりまた戻ったりしながら、次に行くのだと思う。

私にはまだそれしか言えないけど、この歌集に励まされたことは多い。

 

本出したくなってきた!!

f:id:murimurichan:20180903150407j:plain

8月に行ったイベントで作ったプラカード。「行動」が燃えてるw

 

murimurichan.hatenablog.com

 

『ラプソディーとセレナーデ』(鷺沢朱理)感想 【前編】

『ラプソディーとセレナーデ』(鷺沢朱理)感想 【前編】

   ~修辞法(押韻)、かわいい、を手掛かりに~

 

f:id:murimurichan:20180901214310j:plain

 

八月の終わりに、友人から短歌集が届いた。

手の込んだ作品集で、手に持ったらずっしりと重く、人生が詰まっている気がした。

この夏はなんだかひたすらに悩んでいて全然浮上できなかったし、一人だとご飯を食べなかった。

私はそれを持って実家に帰った。

短歌についてまったくの素人の私に、古典文学をモチーフとした作品がわかる自信はほとんどなかった。

でも、この重みを受けて、自分で読んでみたいと思った。

 

◇最初の感想は、

豊かな〈言葉の繰り返し〉と〈押韻

ロマンチック(を好む)なイメージ

 

 

「おさへきれずある夜化(け)粧(は)ひて濃姫の屏風と語れり姫は語れり」

「夢に散るつらつら椿つらかりき黄泉も父兄殺し合ふ見て」

「瀲瀲(れんれん)と水にいろ溶き春の木々れんじやくは緋にせきれいは黄に」

 

個人的な好みの問題なのだが、私は修辞法やとりわけ押韻について懐疑的で、何とはなく恥ずかしさを覚えるため、自分にはうまく使える気がしないという使わず嫌いな面がある。

それが今回、朱理さんの短歌を読んで、その「懐疑」に、よい意味で確信を得たような気がしている。

つまり、

(その状況で)韻が踏めるなら結構余裕じゃーん! 

という(穿った)見方のことである。

(じゃーん! とか乱暴だなあ……。語彙が無くて申し訳ないよ。)

歌にするということは、その場面でのクライマックスであるということだと思うのだけど、その感情の高まりやカタルシスを、韻など、狙いすました、あるいは工夫を重ねた表現で彩る余裕があることが、私には気になってたまらない(心底を見抜きたいタイプ)。

それゆえに、作者がその場面を恣意的に切り取っているとはいえ、極限まで高まった瞬間の状態において、…いん…イン……何かないか探そ」みたいな、その冷静さ、我に返る際の客観性と、しかしそこには敢えて無自覚な点が、以前はどうしても看過できなかった。

それは、さらにそこに演出というか演技性のようなものを見出そうとしてしまうためかもしれない。

しかしそれらを見抜いてみた上で、かわいいな~と思ったのですこのたび。

それはほんとにまったく私の知る朱理さんそのものなのでした。

 

そこから手繰り寄せて考えてみた結果、次の結論にたどり着いた。

◆修辞を含めあらゆる手段を講じることは、(自分の)感情の高まりを再現し、あるいは創作し、それを効果的に魅せる手段の模索で、美に対するすばらしくストイックで忠実なふるまいなのかも。

◆どうしたら美しく見えるか試行錯誤し、その実行に命を懸けている姿に心を打たれる~。

(りゅうちぇるがよぎった~。美の方向性は違うかもしれないけどストイックさという点で重なる。)

 

自己陶酔(いい意味で)、自己憐憫(いい意味で)、ナルシシズム(いい意味で!!!)がそこここに顔を出し、隠れようともしていない、というのは、とても朱理さんらしいと思う。私も自己愛の強さに自覚があるだけに、こうも見せられると、自分が裸にされたようで恥ずかしくなりながら、追究のつもりで読み進めた。

 

情感高まった挙げ句、歌に没入していくことと短歌は相性がいいんだなということを、鷺沢短歌を読んで初めて実感する。小説と同じく、短歌においても、作者と作品は分けて語らなければならないのかどうか、素人の私にはわからないのだけど、この脇目もふらずに我が世界に入り込んでいく感じと、私の知る朱理さんのイメージは重なり、歌の中に自分を投影している……という言葉では飽き足らず、歌の中に自分の分身を作っているというか、歌そのものが朱理さんであるというか、それが歌の数だけ増幅しているような、そんな印象を持った。

鷺沢短歌に中てられて、知らぬ間に私も絢爛な表現になった(なってない?)。その感染力がある気がする……。

 

自己陶酔や没入はある種の恍惚をもたらし、傷ついた自分を慰撫する。作歌や生きることへの苦しみの中で、朱理さんが作歌に没入しながら自身を確認し、あるいは忘れ、理想を追求する中で新たな世界を発見し、自らを作り上げていく過程がここに表れているように思う。

◇ちょっと休憩☕

~高校古典授業における和歌のリアル~

 

この話をしても誰が喜ぶのかわからないけどよく書いてるしまあいいかということにして恥をさらすと、私は全然古典がわからなくて、古典作品に登場する和歌など、めっぽう苦手だった。

教員であった時、一応、『万葉集』など、高校で教えなければいけないとなった時はいつも指導書ガン見の上で授業に臨み、とりあえずその時間にはなるべく和歌に差し掛からないように授業していた。

和歌は、言うこと(修辞法)、やること(原文と現代語訳を黒板に書く)色々多くて、そんなマルチタスクをこなしながらさらに誰を指名して何を答えてもらったらいいのかは皆目見当がつかずただ混乱の極みだったから、願わくば授業開始直後の落ち着いた心理(私が)で「いざ!」と行いたかったし、もっと願わくばやらないまま通り過ぎたかった。無理だけど。

だから、「和歌は感情高まった時思いあまって作るのらしいよ~(知らんけど)」と説明しつつ、平気でその高まりをぶった切り、好きなタイミングで解説していた。

 

修辞法は、「枕詞」、「序詞」、「縁語」、「掛詞」、「本歌取り等々色々あってとにかくアップアップしていた。だって全然実感ないんだもん。

特に、縁語は完全雰囲気任せ だったから、ペアが二、三種類登場する超絶技巧を駆使した歌が出てきたらすぐ緊張。とりあえず部屋に存在するチョークを全色使いしてなんやかんや四角く囲い、あれやこれや線をつなげて図示する工夫、マイ技巧

私にできることはこれだけです~わからーんっていつも思っていた。

私がわからないのに生徒が縁語を発見できるはずもないので、完全教授型(私→生徒。……いや、指導書→私→生徒です!)で、たとえ私が間違えて板書しても誰も発見できないという地獄の空間の誕生

逆説的ですが私がいたのは立派な進学校で、つまりみんなテストのためにしっかり、かつ無駄なく暗記したいから、

(悲しいかな、修辞法なんて生徒からしたら「テストで出ることが容易に予測されるもの」でしかないのじゃ……)

間違ったことを板書するわけにはいかないという私一人にのみのしかる謎プレッシャー。

それもあって、教員時代は純粋に和歌を楽しむことは全くできなかったな。

◇マイ短歌経験を変えた!

 

ところがこのたび朱理さんの短歌を読んで、マイ短歌経験がすっかり変わった。

読みながら、掛詞はもちろん、これは縁語かな? とか思ったり思わなかったり、とても自由な中で気付き、味わうことがあり、すごく楽しかった。和歌の味わい方ってこれか~と思ったしだい。

つまり、知ってる人が作った歌を、ここ凝って作ったんじゃない? とか、工夫~~すごい~ごいす~wwwって思いながら、わかったりわからなかったりしつつ、楽しみながら読むこと。

読みながら、作者の人生や人物像と重なったり、はたまたその創作性を堪能したりしながら読むこと。

それは、決してその短歌に愛着を持っていない誰かに、周辺事情、修辞法、現代語訳、感情の高まりなど、知識としてまるっと教授されるようなものではないのだということ。(ごめんね高校生。)

(ただし、読み味わうためにはある程度の基礎知識は必要だから、何らかの方法でその手順を踏むのは必要。)

しかしそれにつけても、

自分の知っている人や友達が詠む歌の何と興味深く、どのようにしても知りたいと願うことよ。

当時の人たちの和歌の享受のしかたはまさにこんなふうだったのではないかと、何の調査もしていないのに勝手に確信し、堂々と書いてみた。

 

◇絵画的、感触的っていう魅力にも気づいた~

 

「絵画的」と言われたら、まさにそうだなと思った作品。

「かづらかづら絡む鬘(かつら)をさがしもとめ雨降る羅生門に昇りぬ」

「濃き髪ぞ悦(よろこ)ばしきや温し温し毟(むし)りては絡めからめては抜き」

 

この語の連なっていく感じは、長い髪を示しているようでもあるし、その髪に指を絡めている時のその指の触感というか、それを絵画→和歌に写したという印象。語感やリズムに乗ってゆけるし、その独特の恍惚感を共に味わっているような錯覚にも陥る。

第一、これまでの読書経験の中で『羅生門』の老婆の欲する鬘に、長い髪である感じを、感触としてまったく持っていなかったので、朱理さんの手にかかるとこんな感じか~という体験は、おもしろすぎました。

 

◇「かわいい」ひとです~

 

誤解を恐れずに言えば、自己愛の強さというのは、一般的に、現実世界では浮き立ってしまうところがあるというか自他ともに持て余すようなものだけど、短歌になり、また短歌集としてまとまった作品の数々を目の前に広げて見る段になると、朱理さんの多彩な面が様々に切り取られていてすごくいいなー、魅力的な人だなー、総じて、かわいいひとだな~~となったわけです。

 

「海の芸妓きみ案内せよシェルピンク、シュリンプピンクまばゆきピアス」

「パウダーブルー、光の粉を溶きし水面しばし見上げん海底の途に」

「パールサラダの桃いろ黄いろ碧いろ胸元かざり往き交へるひと」

 

この色彩センス。ネイル? ねえこれ、ネイルの色でしょ? 💅

これは、「海底洛中洛外図屏風」からの抜粋ですが(タイトルもかわいい。世界観かわいい。井上涼の作品『忍者と県立ギョカイ女子高校』に通じる。)、その中にはこんな歌もある。

 

「玉手箱製造工場ラインにてパートの沙魚(はぜ)らリボンの藻巻く」

かわいい~。リボン出てきた🎀 女子校を出た後のギョカイたちのことみたいだ~。

 

他にも、「シュピしゆパと」とか「プにぷニョ」とか「ハクハクと」とか、実験的な表現も散見される。これらもかわゆし~。

 

すぐれた作品は、読んだ後、読者に自分のことを語りたくさせるものだと思う。

我が身を振り返ったり、人生のある場面をふいに思い出させたりするような。(次回はこの辺りにもう少し踏み込んでみたいと思います~)

朱理さんの短歌は、入念な調査と豊富な知識が相互に担保し合い歌に厚みを持たせていて、書かれた言葉の後ろや周りに幽霊みたいにたくさんの景色や物語を感じる。考え、検討し尽くされていると思う。

信頼に足る書き手であり、詠み手だと感じる。                   

(続きま~す)

【緊急 助けてください!!】「大人が子どもを守ること」

今学校で起きている問題で、ある一人の高校生が苦しんでいます。

どうか、一緒に助けていただけませんか?

 

zubunogakkou.hatenablog.com

 

 

ずぶちゃんにNさんの話を聴いているうちに、しだいに私もNさんと直接やりとりをするようになりました。

 

Nさんと私はたぶんとてもよく似ていて、嘘がつけなくて、嫌なものは嫌で、無理なものは無理というタイプ。

別に相手を困らせたいわけではなくて、その場の(意図不明な)ルールや同調的な空気を重んじることよりも、自分の頭で考え判断する。

とりわけ、自分や他者が尊重されていないと感じると反発し、それが表にもでてしまう。

私もよく言われたけど(そして言われてもちっとも嬉しくないけど)、不器用で、誤解されやすく、損をするタイプ。本当は優しくて賢くてすばらしい人なのに、というやつ。笑。

 

昨日、Nさんが無事に卒業するためにはどうしたらいいか、一緒に考えている中で、私が感じたことを書きます。

 

ずぶちゃんの文章にあった通り、昨日はNさんは精神的に限界で、誰とも話したくない、話したら爆発してしまう、という状態だった。

私のメールに対しても、いつもの明るさや丁寧さ、ユーモアはなく、絶望を淡々と返してきた。

 

私は、Nさんが言う「死ぬこと」が怖かった。

だから、その場所(今の学校)でなくて、自分に合う場所でさえあれば、どれだけでも楽しく、いきいきと生きていくことができると思ってそれを言ったけど、

(他の世界で)「いきいき」生きていくことなど今の彼女には夢の世界すぎて、珍しく反発のような言葉が返ってきた。

 

切羽詰まっている相手に、「今の場所から逃げた方がいい」とか「世界は広い」という賢しらな助言は夢すぎて、におわせただけで苛立たせたのだとわかった。

私は自分を恥じた。

言った言葉は、全部自分に跳ね返ってくる。

 

かといって、死ぬことから目を逸らさせたくて出した空元気や不用意な提案を、

今さら謝るのも、相手を傷つけることがわかってできなかった。

 

全方位的に不安で苛立っている時は、味方になってくれるひとに対してこそ、その無力を責めるなどして当たってしまう。

他の、いくらでも存在しているまったくの傍観者には、逆に夢見たりするファンタジー。現実逃避。

現実が苛烈だからこそ、味方の精一杯の(でも無力な)尽力や寄り添いが、現状が八方ふさがりであることを知らしめてくるように感じ、ありがたく思う余裕を失って、無関係を決め込む傍観者に無限の期待を寄せる裏切り……、

みたいなことが私はたくさんあった。

急にヒーロー現れるのでは……とかさ。

 

瀕死の時には具体的なことしか耳に入ってこないものだ。

夢みたいな理想や敵の批判を言い募られても意味がない。

分析も共感も、余裕があるから聞けることだった。

第一、それはいつだって悦に入って滔々と説いている者の自己満足と発散にすぎない。

聴かされている方は、気を遣って、ただ聴いてくれているだけだ。

そのことを思い知らされた気がした。

 

私は、自分と同じ、たぶんそっくりな女の子の危機に対してまったく打つ手がなかった。

何を言おうとしても言う前から反論はまっさきに自分の中で浮かび、自分に返って来て、メールの文字を打っては消すということを繰り返していたら気持ち悪くなった。

自分=言葉だと、私は自分のことを思っていたらしい。

そのくせ、何も言葉が出てこない。

自分なんて、なんもないな、と思った。

 

何を言っても気休めでしかなく、挙げてみた具体的な対策はそこが知れていた。私の経験の少なさから出てくるなけなしの解決策はまったく役に立たなかった。

 

でも、私によく似た女の子は、私ではなかった。

これまで何度も人に話し、考え、実行してきた、学校に何とかとどまり卒業までやり過ごすための様々な対策を、もう何人目かになる私に話すことを厭わず、おそらく自問自答も入れたら何万回目かになるような、私の馬鹿みたいな質問にも答えていた。

機嫌の悪い自分を引きずらず、会話をして、自分でできることは自分でしようとしていた。

 

このやりとりに緊張し、あらゆる覚悟が試されているのは私の方だった。

 

今までの自分や、どうしても譲れなかったこと、これからも大事にしたいと思っていることを、今ここでちゃんと守ることができるのか。

言うだけじゃなくて、実際に行動に移せるのか。

 

子どもを守るっていうのは、こんなにも命懸けのことなのか。

下手でも、持ち駒が無くても、無力を突きつけられてもぐちゃぐちゃでぼろぼろでも、さらけ出してやるしかないんだ。怖い。

でも、そうじゃないとNさんは死んでしまう。

これは彼女の問題じゃなくて、まるっきり私の問題だった。

 

この日に私が提案したのは主に病院の診断書のことだった。

診断書が出れば、少しは考慮されるのではないかと思った。

勤めていた高校では、三年生になってからでも長期で休む生徒が時々いたから。それでも卒業できていたから。

しかし、診断書は、高校という出席が重視される世界ではほとんど効力が無いらしい。

休みは、総授業時間数の1/3しか認められない。少しの休暇や、心身を休める時間すら許されていない。

(後から、何人かの現役高校教師の友人にも確かめたけど、その基準はおおむねどの学校でも変わらないようだった。)

 

退学を勧めるのは簡単だ。そのほうが彼女にとって良いと私も思う。

自分を損なったり傷つけようとする危険な場所からは、いち早く逃げるのが一番いい。

 

でも、大人が子どもを守るための行動を何もしないままでいることが、さらに、そしてもっとも彼女を傷つけているのだと私は思う。

間違ったことや、大人自身も嫌だと思っていることを、「でもこれが社会だから」と教え、子どもに諦めさせ、従わせようとしたり、傍観しているのは子どもを殺すことだと思う。

結果はどうであったとしても、大人が「おかしい」と言って一緒に戦ってくれることが彼女を救う。これからの希望になる。

信頼できる大人がいるということが、彼女にとってもっとも大事なことなのだと思う。たぶん、彼女だけじゃなくて、みんなにとって。

 

彼女は私に何度も、「こんな見ず知らずの高校生のためにいっぱい考えてくれて助けてくれてありがとう」と言った。

私は何もできてないのに。

でも、一人じゃないことが大事で、救いなのだと思う。

あなたは間違ってないと言ってくれる人がいることが救いになるのだと思う。

 

どうか、彼女が希望を持って生きることができるように、一緒に、おかしいことに対して「おかしい」と声をあげてもらえませんか。

 

もし賛同していただけるならば、上に添付しているずぶちゃんの日記と共に、この文章を広めることに協力してくださったら、とてもありがたいです。

どうぞよろしくお願いします。

f:id:murimurichan:20180729225911j:plain

蛍光ピンクじゃないともうムリなんです!💛

お洒落でかわいい人だけじゃなくて、持ち物がかわいい人もナンパしたい。

ドトールで通路を挟んだ向かいの席に座った女の子のペンケースが、ダリとフリーダカーロとピカソの顔の絵だった。

 

f:id:murimurichan:20180726131512j:plain

   

高校生じゃないかな。古典やってる。

ノースリーブのサマーニットはパープルで大人っぽくて、めちゃハイセンス。

ショートパンツもよく似合っていた。

普通の高校生っぽくない。外国人なのかな?

宇多田ヒカルに似てる。

話しかけたい。話きいてみたい。そのペンケース、どこで買ったの?

 

その天才芸術家達のイラストをどうしても自分のものにしたくて、パソコン作業そっちのけで紙を広げ、この距離で慌てて模写する。

愛と尊敬をこめてデフォルメされた天才達の顔を、凝視しながら、才能っていうのはもうすでに本人がその姿で体現しているんだなと思う。特別にアピールしているわけでもなくて、最初から普通なんかではいられないのだ。

 

ペンケースの反対側の面は……エルトンジョン? 急に歌手? しかも現代の?

 

f:id:murimurichan:20180726131618j:plain

エルトンジョンの、イエロー寄りの金髪に薄いブルーのサングラス、赤のボーダーのシャツ、その上赤い唇ってすごいよなと感嘆しながら色も塗った。

カラフルがかわいい。絶妙な色の組み合わせ。この作品は色が大事で魅力的なのだと、だんだんわかってくる。それが彼らの顔と雰囲気を表している。色とりどりの人たち。

 

以前だったら、「いや、そうは言ってもこのファッション、エルトンジョンだからいいようなものの、その他の単なる一般人がやったとしたら悲惨なことになりまっせ」と思っていた。

世界的歌手でゲイで、数々のスキャンダラスな噂さえ、むしろ華を添えるぐらいの勢いで許されるのは、彼が天才だからだ。奇抜なファッションはむしろそのイメージに箔をつけているように感じた。

 

でも、もう今は、どんなに奇抜な格好でも、したい人がしたらいいのだと思っている。その辺のおじさんでも、おじいさんでも、したければいしたらいいのだ。

そう言ったとしても、誰もしないだけだ。

(安冨先生のことは一瞬忘れてください。書いたら結局先生礼讃になってしまう!笑)

 

それは、イエローに近い金髪も赤い唇も、おじさんのファッションとしては普通じゃなくて変だからだ。普通のおじさんはそんな格好をしない。だから、みんなしない。

 

他に誰もしないから、エルトンジョンだけがしているということになっている。

他のおじさん達はみんな、なぜかおじさんの格好をしてる。

その格好がしたいからということでもたぶんなくて、ただそういうことになっているからおじさんたちは一様に白いワイシャツと黒かグレーのズボンを履いている。ネクタイを首からぶら下げて。

……ねえそれなんで?

 

もし私がおじさんだったとしたら絶望する。あんなテンションの上がらない格好はしたくないし、何着もクローゼットに吊りたくない。

化粧しないで外に出るのとか無理。

おじさんは、自分がおじさんの服を着ることを、いつかどこかで了承したり、諦めて納得したりしたのだろうか?

 

録画していた、『かんさい熱視線‟自分らしさを着る”~性別を越えるファッション~』(NHK)という番組を観た。

「性別にとらわれないファッション」がテーマで、それを実践している人々のことを、東大で行われたファッションショーの映像を交えながら伝えていた。

スタジオのゲストは「ボーダレス男子」として紹介されたぺえさんだった。

両サイドには、おじさんのアナウンサーと、ジェンダーが専門の女性助教授。

性別と年齢と職業という、すべての記号が示すイメージに完全に一致した装いに身を包み、そのことに何の疑問も無さそうな二人に挟まれたぺえさんは一人異色で、異彩を放っていた。その場所だけ蛍光ピンクに発光して見えたのはぺえさんの髪型や洋服のせいではないと思う。存在自体の色。

f:id:murimurichan:20180726131807j:plain

 ぺえさん。ユニコーンのTシャツ着てる。

 

番組では、ファッションショーやその出演者に密着したVTRを流した後、スタジオでぺえさんに、「女装」する理由を根掘り葉掘り聞いていた。散々聞いた後、おじさんアナウンサーが仰々しく「L・G・B・T」と書いたフリップを取り出してきて、どや顔で解説し始めた。

 

……え? まだそんなことしてるの? 

っていうか、結局それって、VTRの人々の「女装」したいという欲求は、特別な「障害」を持つ人々の、特別な性質ですってこと? 

だから普通の人々もちゃんと番組を観て理解して、苦しんでいるその人たちを異端視しないようにしましょうね! っていう教育? のつもり? だったの? 

……まさか!! 

しかもそれ、いま隣にいるぺえさんのことも暗にわかりやすいサンプルとして示しているってことだよね? 楽しく会話しているようでありながらそんなこと考えていたんだね……こわっ!!

 

でも、まるっきりそうなのだった。男性の身体に生まれてきたのに女性の格好がしたくて、してみたらとても心地よくて安心するのだという「限られた特別な人々」を、「普通の人たち」にわかりやすく紹介する番組なのだった。

 

はあ?

 

そんなんだからいつまでも、考え方や状況、環境の異なる人同士の断絶が埋まらないんだって。つい、「支援」とか言っちゃうんだって。単なる「紹介」は、無意識に区別を促進し、差別化を際立たせるだけなんだよ。その上、スタートを間違えたまま、知識だけを得て「理解」し「ケア」しているツモリ人間が増えて問題が余計ややこしくなるんだってば! 

 

‟してないつもりde差別する“人、めっちゃいっぱいいるんだよ~。

 

この前私が辞めた学校の校長は、ある業務を拒否した私を校内の小部屋に閉じ込めて、人権学習の授業案を他クラスの分も含めて作らせようとしたもん、私が「人権係」だからっていう理由だけで。

「私の人権を侵害しながら人権学習の指導案作らせるとか皮肉っすか? ウケるんですけど~」って言ったら

「先生(私)の人権は侵害していませんっっっ!!」て怒られたもん真面目な顔で。

 

「人権侵害なんて言語道断です!」って真面目に信じながら何も行動していないか、加害している人は多い。人権守ってるつもりマン。こわいよ。そして厄介。

……と考えていたら、真面目な顔をしてピンク色のぺえさんを挟む普通の二人というその構図が、どうにも変でたまらないものに見えてきた。

 

普通すぎるんじゃ……何も考えてない。

あまりにも素朴で凡庸すぎるんだよ……少しは考えてくれ。泣。

 

このアナウンサーのおじさんは、一体いつ自分がおじさんだと決めて、今のこのおじさんの格好におさまっているんだろう。本当にこれでいいと思っているのかな? こんな何色とも形容しがたいような格好で? ぺえさんのことを「普通じゃないもの」としてじろじろ見てるの? 「理解者」の顔で? マジで? 

っていうか、そもそもいつおじさんの格好を了承したとか、そんな意識もないままに、ただおじさんの格好をしているんじゃないだろうか。無意識で。

 

そんな程度の意識でしか臨んでないくせに、ピンクの髪にさらに色の違う二色のお団子を付けて薄ピンクのユニコーンのTシャツを着たぺえさん(かわいい❤)を、

「そういう人もいて、自分はそれを認めている」的視線で理解者気取ってじろじろ見るのとか、相当ズレまくってると思う。

どっちかというと変なのは、おじさんに生まれて何の疑問もなくおじさんの格好して平気でいられるあなたの方なんだけど。考えたり悩んだり、意識を持ったり意志を持ったりすることもなく、また、自分に合う恰好を研究したり自分をよく見せようとする努力もせずにただぼーっとしていることが「普通」だなんて、もはや完全に……くるっているぜ!!

 

ぺえさんはめちゃくちゃかわいかった。自分に似合うメイクを完璧にしていたし、髪型も服も全部ぺえさんだった。「普通」の人々が、彼らを「心と身体の不一致」とかいう、自分に理解できる文脈に矮小化して、問題化して、理解者を気取るなんて馬鹿だ。彼らは(私も)ただ、自分が似合う、自分がテンションが上がるかわいいと思う格好を研究して実行しているだけ。それには性別も職業も年齢も何も関係ない。与えられた立場や記号に安住せず、自分で考え、実践している人たちが、そのことを体現しているだけだ。

そしてそれがその人を表していく。名前になる。ファッション=その人の記号になる。ペンケースに描かれた名だたる天才達のように。

自分を表すのは、年齢でも職業でも性別でもないのだと思う。

 

実際、私はぺえさんの両脇にいた二人の名前も顔も全然覚えていない。性格も考え方も全然知らない。だって見ていても全然わからなかったから。

 

追記

ペンケースに描かれた天才は、エルトンジョンじゃなくてアンディーウォーホルだった。

ネットで調べたら(ナンパは……できない!)、MoMAの商品らしい。

 

道理でお洒落なはずだ。

それで、この並びでダリの横にぺえさんが来ても……よくない!?!!!

f:id:murimurichan:20180726132005j:plain

世の中の最悪なこと全部国語教育のせいやなほんますんまそんごくうやわ

 挑発的なタイトルになってしまった。

ずぶちゃんの自由律俳句を拝借しました。

 

結婚式引退ツアーファイナルと、前に立つ者としての在り方やピュアネスの暴力、集団の強制力と不自由、そこここで起こる暴行事件などが重なり、機嫌を悪くしていました。

 

それぞれのことは、直接書くか揶揄して書くか風刺して書くか諧謔して書くか動物に仮託して描く(とにかく書く)つもりですが、この激烈な苛立ちのまま書くと後から後悔するのでやめておきます。

  

  • せっかく旧街の市役所での用がすべてコンプリートしたので祝わねば。
  • この酷暑の中、生き抜いていることにも祝福を。

NHKのニュースで「命を守る行動を」っていう異様な注意する一方、新国立競技場の内覧会のニュースもする。命と公平性が並ぶ世界観。)

  • こんなにかわいい色のネイルをしているのじゃから(色療法)笑って。

 

週末実家に帰っている時、一つだけ嬉しいことがあった。

妹のことだ。

妹は数カ月前に交通事故に遭い、顔と膝に傷を負った。

仕事帰りのことだった。

(顔は目元に何日間かあざができてショックだったけど、大ファンの安室ちゃんのライブに行くからと事前にネットで買ったライブグッズのキャップが、傷をうまくテンションをあげながら隠してくれて、しかもかわいく(妹は美人)、安室ちゃんに感謝したよ~泣。)

膝にはもともと手術をした古い傷があって、そこに当たった感じだった。

その古傷も、仕事で子どもと遊んでいる時にできた傷なのであって、そのことをいちいち考えると、私の方がけっこう気が狂いそうになる。

仕事でケガをしても(保証の有無にかかわらず)、返ってくるものなど無くて、自分が壊されるばかりだとつくづく思う。

 

妹の職場は学童保育で、誰が見てもわかるブラックだった。

低賃金・長時間労働・肉体労働。

市からの補助金は出ているが微々たるもので、慢性的に経営難で資金不足だとされていた。

「雇用者が子どもの保護者」という終わっている構造で、とても閉鎖的な世界だった。

地域柄、医者や大学教授などの親もいて、指導員は対応に苦労しているという話だった。

親の所得に反して(様々な家庭があったが)、とにかく資金難ということで、

施設はプレハブあるいは古い民家。

驚愕することにトイレは一つしかなく、全員(子どもも指導員も性別も関係なく)共通。約30人。職員の休憩する部屋はもちろんない。

休みの概念に乏しく、例えばその日18:00までの勤務だったとしても、「全体会」なる雇用者(保護者)と指導員共催の会議は、保護者の仕事が終わった19:00開始。だいたい23:00まで。翌日は8:00からの勤務ということも普通だった。

週末はイベント好きな保護者の提案でキャンプ、登山、ハイキング、祭りの開催等に駆り出され、妹はずっとボロボロだった。

賢明で健全な環境で働いている人なら、「労働組合は?」と言うだろうが、ブラック会社の労組もブラックなのですよね。

毎月高い供出金を支払わされ、会議、メーデーの行進、勉強会、懇親会、懇親旅行と疲弊し、いくら私や周囲が「抜けなよ!」と言っても頑なに「抜けられない」「抜けたら職場で困った時助けないと言われた」「抜けたら一緒に働けないと言われた」とさんざんだった(やくざかーい)。

その逡巡を何年か続けた挙げ句ようやく脱退。その後は解放され、拘束時間こそなくなったものの、組合の会議に行く同僚の代わりに時間を延長して働いたり、一人での勤務をしたりと何かと気を遣って働いていた。

 

交通事故はそんなときに起きた。

雨の夜で、妹は駅からの暗い道を傘をさしてうつむきがちに歩いていた。

その日も会議は23:00まで続き、職場を出て電車に乗り、最寄りの駅に着いたのは24:00近くになっていた。翌日は土曜保育が入っていて、8:00出勤が決まっていた。

妹は、急に右折してきた車に気付かず、そのままぶつかった。

救急車で運ばれて、色んな検査を受けた。運転手はすごく謝っていたらしい。

 

そこからが大変だった。

同僚や一部の保護者は、口では心配し、よく休むようにと声をかけてきても、一週間程度で復帰できるのだろうと決めつけて、そのようなメールを寄越した。

妹は、私から見てほとんどパニックで、一人で外に行けないくせに仕事に行かなければならないと準備しようとして、できるはずもなく、泣いていた。

常に頭痛と吐き気がしていたけど、家で寝ていることに罪悪感を持っていた。

職場からのメールと、保険会社とのやりとりは大きなストレスで、まるで、家に居ながらにして仕事をしているような状態だった。

 

私は、妹に、「病院には大げさに申告して(あまり患者を理解しないタイプの医者だった)、最大の休暇を取れるようにすべきだ」とうるさく言ったものの、妹自身の怯え、ブラック職場で刷り込まれた奴隷精神からなかなか回復できなかったことにより、一週間ごとの休暇指示が書かれた診断書しか得てくることができなかった。

嘆く私に対して妹は泣き、私は泣くならこんなところじゃなくて職場で大声で泣いて来いよと言ったりしてひどくて、けっこうカオスだった。

私と妹は性格が全然違って、妹は嫌なことに対して私みたいにはっきりとした態度を取ることができない。

私は冷静ではいられないのでしばらく距離をおくとに決め、自分の家に帰った。

 

結局、妹は職場の引き止めには乗らず、そのまま一日も働くことなく退職した。

残った有休の利用を阻止されかけたりして最後まで揺るぎなくブラックだったけど、ようやく縁を切ることができた。

 

(最後に行った日の送別会で、おそらく悪意無く、賞状の形の寄せ書きみたいな『よく頑張りましたで賞』みたいなのを同僚達からもらったと見せられた時は頭が沸騰しそうになった!! 最後だからと勇気を振り絞って行ったのに、何だこの仕打ち! しかも悪意無いとか終わってる。識字率の低さ、理解力の無さ、センスの無さが末期で、蔓延してる。国語教育の敗北なのか!!!!)

 

それから妹は、病院に通いながら家で療養し、家事をしたり近くを散歩したりして過ごしているようだった。相変わらず一人で外出することができず、車は怖くて運転することができなかった。駅も遠く、車がないとどこにも行けないような場所に住んでいて、妹の外出は毎週二回の病院とスーパーに母と行くことにとどまった。

徐々に、旅行や、友達との外出をするようにはなっていたけど、慢性的な体の不調で気分も落ち込んだりしていた。特に、膝のケガの回復の見通しが立たないことが不安だった。いくつか病院を変えて行ってもパッとせず、その上、そのつど保険会社に連絡しなければならないとなるとストレスは増した。

そんなか、力になってくれたのは友達で、仲のいい友達やずいぶん離れていた友達と少しずつ会ったりしているようだった。

 

この週末、実家に帰ったら、母が、妹の運転で一緒にT市の病院まで行ってきたと言った。

T市の病院には妹のひざの手術をした先生が異動していて、どうしてもその先生に診てもらいたくて予約を取って行ってきたのだという。

T市は郊外にあって、家からは二時間以上かかる。

大きな病院で、先生の診療する曜日も決まっている。

紹介状を書いてもらうためには、今通っている病院でうまく話をしなければいけない。色んなことを自分で手配しなければならず、その道のりははるかに遠い。

それでも、そういうことをきちんと行って、自分で行ったんだと思うと涙が出そうになった。

職場のせいで多くのことに諦めと忍耐を強いられ、いつしかそれを内面化し身に付けていった妹が(そうするしか生きていく方法がなかった)、こうして自分で現状を見極め、このままでは不安だと感じ、何とかしようと動き出していることに感動した。

私も体験があるけど、名医に出会うのは難しく、なかなかかなわずに苦労するもので、どこかで自分で動かなければいけないことがあって、でもそれをするにはお金も時間も体力もいる。すごく弱っている時に、日常のルーティーンや自分の生活圏を離れた場所に踏み出していくことは困難だ。でも、自分でやるしかなくて、こうして自分からよくなるために行動を起こしている妹はとても立派だと思ったし、なにより、回復の兆しだと思ったら嬉しくて泣けてたまらなかった。

人があれこれ言っても仕方がなくて、自分でいろんなことのタイミングをみて、ここだ! と思ったときに動けたら十分で、最高なのだと思う。

私はやっぱり、人がよくなりたいと思うことにすごく感動するし、尊敬する。

 

翌日、妹に会った時にその行動の立派さに感動したことを言って盛大に褒めたら、後から母に嬉しそうに報告していた。

聞けば、名医は妹のことを覚えていてくれて、T市に通うのが無理ならば、妹の生活圏内で通いやすい病院と先生を提案し、今後の治療方針も一緒に立ててくれたという。

よかった。本当によかった。

 

最新情報では、紹介された先生に会ったけどどうにも話が通じづらいタイプ(若手)で馬が合いそうになく、困っていたらもう一人、別の病院で診てもらったことがある、今回名医から名前が挙がったものの多忙かもとリストから外されていた先生(ベテラン)を発見し、自分で看護師さんに交渉して診察を入れてもらったという。

あっぱれ!!!

こうやって少しずつ、自分の手で、足で、回復に向かっていこうとしている妹がとてもとても立派で、うれしかったというお話でした。

 

 

f:id:murimurichan:20180718230138j:plain

戦うピンクのクマでーす。

続・バスで泣く。「絶望の中の希望」

瞬間の絶望は止められないし、それは私の癖でもあって、これからも絶望すると思う。

 でも希望もあった。

そのことを大事にしたい。

 1.個人のつながりと活躍

Twitterを通し、怒涛のように押し寄せてきた絶望、よりどころの無さ、不安、信頼崩壊のタイムラインの中でも、たしかに存在していたのは、被災者の声をとらえ助けを呼びかけたり、その声に具体的にこたえ行動する人々について伝えるものだった。

行政を通した救助もあったし、個人の活動もあった。国による対策の遅れやマスコミによる報道の手薄さが指摘される一方で、できることを人々がしていた。近くの人も遠くの人も、被災状況の詳細を共有しようとしたり浸水復旧法をまとめて簡単に見られるようにしたり、この先考えられる困難への備えを呼び掛けたり、励まし合ったりしていた。これらは、人々の活動だった。

 

国や全国ネットのテレビのような大きな組織よりも、個人の考えや経験者の知恵が、瞬発力をもって活躍していた。

ネットの中だからそう思ったのかもしれない。

でも、私はそのことに慰められ、希望を感じた。ずっと泣いていたけど、その三分の一ぐらいはこの希望についての涙だったと思う。

個人は頑張っている。人々が助け合っている。それしかない。

希望と混ざり合った悲しさの中で、そう思っていた。

 

2.安冨先生のかわいい選挙活動

 

もう一つ、大きな希望があった。それは、東大の安冨歩先生が東松山市長選挙に出馬したことで

(先生は「馬と共に生きること」にたどり着いていて、まさに馬に乗って出馬宣言した!)、

この期間はちょうど選挙活動期と重なっていた。この選挙活動が、かわいくて素敵だった。

安冨先生は、私たちが通常何も考えずに「普通」だと思っていることをさらりとかわして覆し、楽しくて幸福なことに変えてしまう。

選挙もその調子で、

  • 無所属
  • 無意味な名前の連呼無し
  • 対立候補(現職)への批判無し。

散歩ムードで道を歩き、野山を分け入って田んぼの蛙に演説したりする。馬に寄ってきた子どもと話し、連れ歩くチンドン屋と歌い、踊る。

政策は、「子どもを守ろう」。もちろんスピーチもすばらしく、聞き始めたら最後まで聞いてしまう(寝る前の安定剤)のだけど、何よりも、スカートをはためかせ踊るように歩く先生や人々の姿は「希望」だった。

地獄のようなタイムラインの中で、命懸けでとぼけている、かわいい活動。ここに希望があるのだし、ここに正しさがあるのだと確かめて、救われる思いがした。

これにもまた泣いた。

 

私は3~4年前から安冨先生のファンだけど、よく取り上げられるその外見だけでなく、先生はいつもずっと進化していた。

大学の講義や研究だけじゃなくて、馬や絵画の方に世界を広げて(それは先生自身の癒しでもある)るなーと思ったら今回の立候補だった。

 

厩舎で出馬宣言を行った理由を「街にこういう景色を取り戻したいから」と語った。

記者たちは訳が分からないと言った風で先生にしきりにつまらない質問を投げかけた。

いわく、「ご結婚は?」「本名は?」「東大は辞めないんですか?」「住所の詳細を番地までお願いします……!」

まさに定型の、相手が誰かということを一切考えない、答えを聞いたからといって何がわかるわけでもないような問い。それらに(しかも重複アリ)辛抱強く答え、記者をあやした後は、完全に安冨先生の独壇場だった。

「子どもを守ろう」の意味、自分が出馬することの意味、子どものすばらしさ、馬のすばらしさ、東松山のすばらしさ。記者たちを前にユーモアを交えて丁寧に話していた。これが本来の「先生」のあるべき姿だーと思うものだった。

記者たちはまるで学生だった。大学の講義を聴くような面持ちで神妙に聴いていた。(事実、翌朝の記事ではそのように書かれた。)

安冨先生は、違和感を持っていた男性装をやめて女性の恰好をするようになった結果、様々な呪縛から解き放たれ、さらに自由に、馬や絵、音楽へと世界を広げている。

私も今、解き放たれて、文章だけでなく絵も描くようになった。同じ。(馬も好き。)

 

安冨先生と、私の友人のみさき先生

zubunogakkou.hatenablog.com

はよく似ている。

 

二人とも、従来の「普通」とされていることにとらわれずに自分で考え、良いと思ったことを実行している。歌ったり踊ったりするのも同じ。物を描(書)いたり作ったりするのも同じ。時々過激派になるのも同じ。繊細でやさしく、行動する人。

だから尊敬し、信頼している。

3.タイの友達

 

絶望の中の希望は、いつもこの人のような気がする。

同じ日のタイムラインの中で、こんな記事も見た。

 

mainichi.jp

 

自己責任論、少ないんだ……。日本では信じられないその状況に、私の絶望はますます深まった。やっぱり日本は異常で生きづらすぎる。

そのままタイ人の友達にLINEをした。

私の一連の絶望も含めて。国は信頼できないよ。あなたの国はすばらしくてうらやましい。

すると返事が返ってきた。

  • 「災害は予想できない。しかも、人間より強いよ。でも、何かあったら助けるのは人間の役目ではないかな。今回(洞窟事故)は海軍1人死亡だが、海軍たちも止まらない。みんな、頑張ってる。あなたの国のspecialistsも来てくれたよ。ありがとう。」
  • 「洞窟から水を吸いこんで外に出すことは日本のspcialistsもサポートしてくれたようだよ。」
  • 「こちらから応援しています。」
  • 「あなたの友達がここにいる。」

 

この日、私はまた京都で学校(「世界文庫」)に行き、友人たちに会った。

何気ない会話がうれしく、楽しかった。

遠くから気にかけてくれる人と、身近な優しい人たちに救われている。

f:id:murimurichan:20180710185538j:plain

貴婦人の昼寝(ソファー)の前で寝ころがるパンダ(私)。

(パンダはプロの方の絵です~)