地震のあと
今朝7:58。
ぐらぐらぐらと部屋全体が思いっきり揺れていて、私は飛び起きた。
机の上に立てかけてあったカレンダーもスケッチブックも本も落ちている。
落ちてもまだ止まらない。
私は気付いたら前を向いたまま、「わああああーーー」と叫んでいた。すごく怖かった。地震だとすぐにわかったけど、誰かに襲われるような恐怖だった。もうだめだと思った。
世界が崩壊する恐怖と、ひとりであることが本当にこわいと思った。
それから、離れて暮らす実家の母や妹がLINEをくれたり、最近フェイスブックで8年ぶりぐらいにつながった友人がメッセージをくれたりした。
私も大阪の友達に連絡したりした。
みんな無事だったし、ケガもしていなかった。
でも、「余震があるかもしれない」とか、「本震があるかもしれない」といわれたら、怖くて固まってしまった。
いや、もう最初から放心して何もできないでいた。
テレビを付けたらみんなが地震のことをやっていてとりあえず安心した。
でも、そこからトイレに行ったり、お茶をいれに台所に行くのがもう怖かった。
誰かがいるかもしれない。急に襲ってくるかもしれない。
なにかが圧倒的に変わっているかもしれない。
そういう得体のしれない恐怖で足がすくんだ。
テレビは電車の全線不通を伝えていた。
昨日、友達が、全く進まない私の引っ越しを見るに見かねて手伝いに来てくれると言っていた。
それはできるのかな。とか、ひとりこわいのとあわよくば感で、こんなときでもどこまでも自分のことを考えた。
友達が、ばあちゃんと連絡がつかないと焦っていた。
電車は全部止まっているから歩いて行くしかないと、ばあちゃんのところに行こうとしている。
いつもは冷静に考えて行動する人なのに、それだけ大変なことが起きたんだと思った。
ばあちゃんの家は、古い家の多い、昔ながらのコミュニティの残る地域にあって、ばあちゃんも日ごろから近所付き合いをしているからちょっと待ってみよう、と言ったらそうする、と言った。
テレビは大騒ぎに、何回もその瞬間の映像を流したり、大阪のテレビ局とつないだりしていた。
「火事です!!」という大きな声がテレビから聞こえた。
上空から、煙を探して飛んでいたみたいだ。
大事な情報かもしれないけど、怖いし、その瞬間の野次馬みたいなことに自分がなるのがものすごく嫌でチャンネルを変えた。
アナウンサーの「最初の地震から30分経ちました」という言葉が怖かった。
まだ来るってこと? そうかもしれないけど、注意喚起と危険を煽るようなことがごちゃごちゃになっていてひどかった。
東京のテレビはみんな他人事だという気がした。
テレビを消したくなった。音がなくなる怖さと、情報のためにはテレビをつけておくべきかもと迷ったとき、ふと思いついた。
あ、ラジオだ。こんなときはラジオ。
東日本大震災の時、私は被災地にいたわけじゃないけどテレビと社会の空気に耐えられず同じようなことを感じてラジオを付けたのだった。
テレビを消してラジオを付けた。すぐにDJが読むおたよりが流れてきた。
出勤中で、駅まで行ったのだけど電車が動かないから帰ってきて、家で水を一杯飲んだら急に涙が出てきました。阪神大震災の時のことがよみがえりました。DJさんのやさしい声に安心しています。今はちょっと様子見です。
私と同じふつうの人々の同じようにショックを受けたという声と、冷静にいようとすること、落ち着いて考えながら行動する様子。それから、阪神大震災の経験を思い出したり、そこからの学びや、言葉の重さ。
そのことを伝えてくれたことと、それが今手が届く距離にあることがありがたいし、震災の記憶が重なるような痛みも(勝手に)心配するし、でも、「様子見」っていってるから、そうしよう私も。と思って、友達との連絡やツイッターで情報を集めたりすることに気持ちを向けた。様子見。様子見。
就職活動の会社面接は延期になったらしい。
大学も終日休講。
小中高も休校と聞いたけど、ある高校は2限から授業するから来るようにってメールが入ったらしい。こわい。それがこわい。
ラジオで穏やかな音楽が流れるだけでなぐさめられた。
最後にDJが、今日は不安でつらいけど、明日は朝から新しい日。ブランニューデイでいきましょうね、と言って番組が終わった。明日がくるんだ。明日は普通の新しい日なんだ。それのことにも、はっとするほど感動した。
けれども、その後の時間、私は何をしたらいいのか全然わからなかった。
ツイッターで流れてくる防災情報を見て、勧められるままに水を貯めたり貴重品をまとめたりするのを、何とか実行した。水を出しながら、水道が変な音を鳴らすのでこわくなった。
あとは、除光液で両手のマニキュアをおとしただけ。無残にはがれてきていたから。
最初から地震以後みたいな部屋の中(引っ越しのせいということにする)を、今更どうにかしようという気にもなれなかった。余震や本震が来るなら意味ないんだと、覚悟なんかあるわけもないくせに思ったし、どうせ引っ越し、と、たかをくくったりしていた。引っ越し準備を続けることにも、同じ理由で意欲が持てなかった。
そうすると、いよいよすることがなくなった。
書くべき文章はいくつもたまっているのだけど、それを考えることはできそうになかった。こんなときに文章なんて。この地震への恐怖をそのままナイーブに書き連ねるのも私の信条に反する気がした。連ねてるけど。
第一、避難準備も不十分なのにパソコン叩いていて本震が来たらどうすんだとか、すごい馬鹿じゃんとか、それより他にすべきこと山ほどあるだろうとか思った。
……でもそれ何?
ただ怖かった。物を捨てると決めたのに全然減らせていなかった物たちの山を見て、こんなものはいざとなったら一瞬で消えちゃうんだろうなと思ったし、それを差し置いてでも持っていきたいものなんて思いつかなかった。
冷静じゃないからかもしれない。
生きたいとか死にたくないとかあんまり思わないと思ってたけど、今までのことが壊れるのがただ怖かった。
しばらくそうして4時間も5時間も茫然としていた。
誰かといようにも、電車は止まっていて、どこにも行けそうになかった。
13:00になった。LINEで友達を促しながら、私もパンとヨーグルトを食べた。
食べないと、気持ちが元気になれない。
それから、文章を書くことにした。
セラピー。
辛いときはいつも文章を書いていたから、今書くのは、変でもよくないものでもナイーブでも嘘でも、書いていたらいいと思った。
友達、ばあちゃんと連絡とれたって。無事だったって。よかった。
ただひとつ泣けるぐらいに嬉しくてありがたいのは、最近一気に増えたお友だちが、心配してくれたり出したものを見ていてくれたり応援してくれたりすること。
そのことが、いつも嬉しいけど、こんなにも嬉しくて心強い時はないです。
一人でも、一人じゃないと思える瞬間。シスターフッド。
私も返していきたいです。
みさき先生とお友だちへ
昨日と今日、懐かしい写真を二枚連続して見たので、なんかそういう話を書きます。
一枚目はこれです。
文章も本当にすばらしいから、ぜひ読んでください!!
書き手のみさき先生が、卒業文集に書いた卒業生宛ての文章。
泣きますね。遺書だ。ひとつずつの生徒とのシーンを思い出して書かれた、お互いにお互いを大事にして、一人の人同士の交流をした先生による生徒たちへのメッセージ。
私は昨日引っ越し準備をしてる時に発見して読んで泣き(引っ越しあるある?)、当時と同じように熱く、その思いをみさき先生に伝えて、再掲載してもらいました。
(今また読んで泣く…毎日泣く。)
「目の前の人を大切にすること。自分が生徒にみとめられ、ゆるされていたこと。
忙しくても心をなくしたくない。」
こんなに素晴らしい先生に会ったことないよ。
私は、この一年後に自分のクラスの生徒たちが卒業した時、この文章を思い出して文集に自分のことを書きました。
いや、その前に、それからずっとこのことを思いながら学校に行っていた。
目の前のその人をみつけること。
みさき先生亡き後だったからその孤独は骨身にこたえましたが、この教えを胸に、そのころにはもう友達だった生徒と一緒にがんばった。
自分がみとめられ、誰かをみとめること。
誰かを発見し、誰かによって自分が見出されること。
そのことこそが、生きる中でどうしても求めることな気がする。出会ったからにはその人のことを発見したいと思う。そうして見つけられることの喜びは、生きることにつながる。
でも。
われわれ(みさき先生&わたくし)は「個体識別」しようとしすぎ(できすぎ)っていうとこもあるらしく、それゆえの孤独(一方通行)の苦しみ も味わうことになる。
そういうことを、続いて赴任した先では特に感じた。それがほとんど当時の主な苦しみだった気がする。自分が見出されないこと。
(いや、もう気持ちがこっち(文筆)にあったから、目の前のこととの乖離に苦しんでいたのか。)
二枚目は、今朝別のお友達の日記で見た池の写真。
(この日記はみさき先生と、このお友達に返信する気持ちで書いています。)
赴任先近くのその池のそばを、毎朝死んだ気分で歩いていたこと。
池のまん中に大きな鳥の群れが住んでいて、バードウォッチャーがたくさん来てたけど私はその鳥のにおいがいつもいやだった。
長い一日をどうにか工夫してやり過ごそうと、学校で人に話しかけたり一人でフレックスタイム制を実施したり、果物を食べたりしていたこと。
池は最初から最後まで全然好きじゃなかった。
でも、時々はっとするほど美しい時があって、これはなんなんだろうと思って立ち止まって眺めた。季節のことも天気のこともわからない私にはただ眺めることしかできなかったけど、そのつど、人に言いたいとかちょっとだけ思っていた。
周りは大きな家が多くて、大きな門の前にヴィーナスみたいな変な裸婦像が置いてある家もあってちっとも慣れなかった。
夕方はお金持ちの変な髪型の犬が散歩していた。同僚に私に似ていると言われ、たしかにと思ってどこに行くのか見届けたりした。
池の思い出。
「個体識別」されない(見出されない)切なさについてみさき先生と交わしたLINEが残っていて、そこで私は安冨先生の提唱する馬論(からのホースセラピー)を挙げていた。
(LINEで話すには重すぎるんじゃ……。)
『論語』の「道」からの話で、安冨先生いわく、
馬は全く個体識別しない。誰が乗っても走る。
それに比べ、人間の大脳は発達しすぎてしまって、結果、個体識別できすぎな状態になってしまった。
そのくせ、結局個体識別ができにくいような都市を作っちゃってその矛盾に困ってる(=私)。
なんで人間がそんなに個体識別できるかっていうと、受けた恨みを絶対忘れないため! 何世代も……!
ということなのらしい。
超自分に当てはまりすぎていて笑う。特に最後のところ。
私は怨念で生きているから。
それで、馬か~馬、馬、って思って、馬さわりにいこうかなとか、馬ブーム来たなとか、新しい好きな動物、私=馬(好きなものに自分を重ねる習性あり)って考えたけどそれは全然違って、ついに気付いた。
馬は生徒のほうだったのであーーる!! ジャーン。
私は乗るほう。
そう考えたら、体力(馬力)があってやさしくて、こだわったり執着しすぎなくて個体識別しない(自分に乗るのが誰であってもいい)彼らはたしかに馬だった。
そう思ったらかわいかった。屈託しすぎな私と相対する存在で、なるほどまさにセラピーなのだった。ホースセラピー。私が癒されるほう。
ということで、一時期私は、生徒のことを馬だと思っていた。
それでいくらか楽になった。
また好きな動物が増えたんじゃ。
だからこの池はそのつらい行き帰りと、生徒に乗せてもらっていた日々の思い出。
ユニコーンだよー
人生最速友達と踊りたかった自分のこと
人生最速! 友だちができてきた。
「世界文庫」2回目。
書こうとして、はて、どうしようかな。
授業を克明に実況中継するわけにもいかない……でも書きたい。
そうだ! 創作だ!
これぞ、日記→エッセイ→小説の流れ。
というわけで、むりむりちゃん目線の感動体験を書いていきます。
(毎回「感動体験」なのはもう決定なのです。約20人もの有意で力があってやさしい人々が集ってきていて、女性も多くて、これは感動時間に決まっているのじゃ。)
第一部では、講師の先生に問われた質問に対してそれぞれ自分のことを考えて答えた。
生まれ変わったら……の話。
本音を言ってね、本気で、と先生は言うけれど、初めて会った人に本音なんか言えないんだぜ。と、すぐにむりむりセンサーが発動する。
思いつかなくて絵とかかいてる。らくがき。
発表の時間。
みんな、自分の夢や目標と重ねたり、旅に出たいですとかもう一度今の彼氏と出会いたいとか、かわいい。
だいたい、「いいねえ~」とか「やったらいいじゃん」とか「できそうできそう~」と応援されるのに、
その中でUさん、「壁画アートしたいです! ここの壁塗りたい!! 塗っていいですか???」
と言って冷静に止められているのがおもしろい。
遠慮せず前のめりにツッコんでいって、軽やかに笑えるのがすてき。
壁画タイル、私もやってみたいな。って、書いていて今気づいた!(遅。)
世界文庫の近くにある喫茶さらさの壁画タイルめちゃかわいいんです……。タイル好き。
「踊りたい」という声が何人か挙がって、自分の夢とは直接的に関係なさそうな人もいておもしろい。
先生が、人間は本来「踊る・食べる・寝る」なんですよーと言っていた。現代人は、人の目が気になっていろいろやめちゃうらしい。
人の目がなくなれば踊っちゃうらしい。
わかる……気がする。本当は私だって踊りたい。
……え? そんなこと思ってたの? 初めて言ったよワタシダッテオドリタイ。
今までダンスといえば私の世界には、生徒が文化祭で踊りたがる系(高校生が好きなやつ。ヒップホップ? ストリート?)しかなくて(世界狭すぎなんじゃ……)、
みんな同じ踊りで実は全然興味なかった。興味なさすぎて、踊る自分のクラスがどれかわからなくなり、生徒に聞いて呆れられたこともあった。
違う踊りのこと、私は全然知らないんだな。もしかしたら自分が踊りたかったことさえも。
そこで、Yちゃんが「本能を呼びさますような踊りをしたい」という話をした。
Yちゃんは世界中を旅したり住んでいた経験いっぱいの人。
先生と、「インプロ」の話で意気投合している。
インプロ……全然知らない。
(今ちょっとだけ調べたら「即興演劇」のことらしい。すごい! もう良さそうでどきどきする。)また教えてもらおう。
Yちゃんいわく、最初から子どもと大人と分けてしまって「子どもに教え見守る立場としての大人」になるのではなく、大人も本気で踊り、一緒に味わったり創造したりするのが本来の楽しさらしい。
しかもその土地のいろんな楽器やリズム、文化を使って踊るのが最高らしい。
聞いているだけでもうすばらしい(また)。本能を呼びさます踊り、やってみたい。
Yちゃんは最後に、「第二部の時にみんなにもやってもらうから、腰まわしてね!!」と華麗に言う。みんな、ウフフ、ひゃはは、まかせて!! ってなっている。かわいくて、いい雰囲気だな。
私は小説の中みたいなことが言いたかった。この場がもう小説みたいだったから。みんなの人生の一場面が少しずつ表れて見えるのがすばらしいから。
「髪をもう一度ピンクにしたいです。」
「やればいいじゃん!」回避の思考が働いてその後もごちゃごちゃと説明しちゃったんだけど、生まれ変わって私だけ記憶があるという設定(拡大解釈)なら、いくら短期間に何度染め直しに行っても変に思われないかなーと思った。その瞬間、一人で知らん顔をして何度もピンクに染めにいく自分(いつも自分)が宇宙人みたいに想像できた。
あ、創造(想像)ってこうやってするんだね。
実は髪をピンクにした話もまた書きます。「世界文庫」同級生のみんなを、会う前から意識した行動(恥)。
それからも面白い話は続き、可愛い女の子を見たらナンパしたくなるっていうお隣さんの告白にすごくすごく共鳴した。わかる~。かわいいって伝えたくなる。
第二部では、テーブル(卓球台)に乗らないぐらいのたくさんの手作りのお料理、お菓子、ケーキ、和菓子、ジンジャエールなどなどなどが持ち寄りでふるまわれた。
見た目も美しく、味も繊細で丁寧に工夫されていてすごかった。全部、完成された作品だった。
作りたいとか、食べてもらいたいとか、発表したいとか、そういうのも人間のすばらしい本能なのでしょうか。
前回書いた「早く仲良くなるなんて絶対むりむり」論
を早くも撤回しなければいけないのかもしれません。
人生最速で人と仲良くなっている……。
むりむりちゃんの基本スタイルから考えたら、友達作りの展開早すぎてついていけない。でも平気な顔して仲良くなってる。うまくいけてるかな私。
もしかしたら、みんなで「おいしい!」と感動して顔を見合わせることが、いちばん早く仲良くなる方法かもしれない。おいしくてうれしくて感謝して尊敬する。ごきげんにそのことを共有するのが最高で、「おいしい!!」って目が合って一緒に言ったらもう友達。
(子どもみたいな……。子どもってこんなふうに友達作るんかな。友達の作り方忘れてた。そもそも知っていたのかな?)
Yちゃんは、ジャンベという楽器を持って登場した。「どんぐりころころ」を、全身を使って演奏して踊った。私たちはYちゃんに導かれるまま、取り上げられる歌詞の一つ一つに力を込めて歌ったり叫んだりした。もちろん腰もまわした。Yちゃんはすごいオーラとユーモアでぐいぐい私たちを引き出していった。笑うたびに感動して、何と名付けたらいいかわからない気持ちだった。これが本能を呼びさます踊り……。
隣の人が気になる私はまだまだすぎたけど(人の目が気になるのは現代人!)、「まだまだ」ってこれからがあるのはいいじゃんって思った。
他にも……
・美しくて心の震える演奏と歌声を聴いた。
・ジャズシンガーとウクレレちゃんのかわいくてエレガントでこれから楽しくがんばろーねーの気持ちのこもった演奏に、一緒に笑い、LOVEを踊った。
いい夜だった。人生でこんな時間を持てるのか。こんなふうに時間を作っていけるのか。
知らなかった。
おいしかわいかった~
◇京都の「世界文庫」に行きました。
いくつかの出来事がありました。
~今後の「むりむりちゃん日記」ラインナップ~
◇大阪・淡路の「ずぶの学校」の「種まき祭」に行きました。
◇京都の「世界文庫」に行きました。
◇考え事してました。
◇かっこいい男の子に出会いました。
◇新しい部屋の各部の計測をみんなでしました。
◇新しい部屋のコーディネートをしてもらいました。
順不同で書いてきま~す。
◇京都の「世界文庫」に行きました。
週末に、京都にある「世界文庫」に行きました。
6月から通うことにした「学校」のようなもので、私のように文章を書きたい人だけではなく、さまざまな人が集まってくる、と聞いていた。
私は、場所と締め切りと読者とサポーターと友達を求めて(求めすぎ?)
通うことにした。
面談時の校長先生とのお話で、「毎回文章を持っていってみんなに配る」ことに決めたから、小説風のものを何回も書き直し、仕上げて行った。
タイムリミットで切り上げたので(言い訳)、2日前にプリントアウトした後はもう読めない気分で、人数分の20枚をかばんに入れた後は存在を忘れることにした。
もう一つ持っていくべきものは「名刺」で、これが難関だった。
「名刺を作らねば」とは3月に退職してから考えていたことだけど思いつかず、
もう鞍馬口まで来てしまった。その時点で15:00。(授業は16:00~。)
カミングアウトのやり方
私は、この5年間ぐらい考え続けている、人権のことを書きたいのです。
小説かエッセイ。
でも、人権とかハラスメントとかフェミニズムとかジェンダーのこととかを人前で口に出して言うことに関しては経験があって、その場が微妙な感じになったり、聞き手を困らせたり、時には嫌がられたりすることがあることは知っているし、しんどい話題なので難しいことはわかっているけど、私はやっぱりそのことが書きたいし、「早く仲良くなる」(のなんて普通に無理なはずだと思ってるけど)ためには特に、早めにそういう嗜好(ライフワーク、私のしごとだと思っていること)であるということをカミングアウトしておいたほうが話が早いと思うから、それを名刺や自己紹介や作品で示していきたい というのが私にはある(って今書いているうちに気付いた)。
書くことも生きることも、私にとっては身を売ったり(飾り窓*1的世界観。プロスティテュ―ション。感情労働。)血を流すことなので、そういうことをしているし、したいんだということを初めからカムアウトしたかった。
なんかもう、そうじゃないのはいいやっていうか、そうじゃないような場所にずっとずーっといて隠れキリシタン(比喩です。やりたいことと、職場&仕事の乖離が激しく、自分の信条を殺せないくせに殺し、踏み絵を踏む思いで働いていた笑。)だったから、もう隠れるのしんどいし、ここではたとえキリシタンっていうことを公言しても(キリシタンじゃないけど)、迫害されたり拷問とか処刑とかされないはずだから(←キリシタンの歴史好き。『沈黙』好き。)隠れたり我慢したりするのとかそういうのはやめたい。
ていうか、そんなことより、私には時間がないんじゃ……。
切迫してるんです。
それでも、どうやってこの重さのまとわりつくトピックを説明したらいいのかとか、(やっぱり受け入れてほしいとか)、そういうことも含めて自分の見せ方がわからないまま歩き、現実的切迫感(この時点で15:20)とまったくそぐわない、かわいくて優雅な喫茶店『さらさ』に飛び込み画用紙を開いた。
(アーティストぶるのはやめない。)
(……焦れよ!)
クレヨンで画用紙に名刺の枠をかいたら、クレヨンマジック✨で(ややこしい)なんかいい感じになったし、
まんなかに昨日付けた名前を書いてみてもグッドなかんじが続くし、この勢いに乗じようとへたくそな字で(クレヨンは字へたになる)
「かいているもの・・・エッセイ⇔小説、絵、差別、人権、ハラスメント~」と書いたら一気に呪い感出て、怨念のこもったプラカードみたいになった。
(こもってるけど。)
こわい…。
でもやめれない……。
いくらユニコーンの絵を描いても挽回は無理め……
ってこともわかるのが、マイ強固な社会性。
結論→人権とかフェミとかハラとか、かわいくポップに真剣にやっていきたいんだな私は。
そういうの、考えよ。そういう名刺。作品も。
い・ま・わ・か・っ・た。
それで、未完成な謎のスケッチブックを抱えて教室のドアを開けたのでした。ジャーン。
ドアを開けた時の最初の印象……か・わ・い・い!!!
みんな女性で(あとからひとり男性)、みんなお洒落で、みんなかわいかった。
「こんにちは」って自分が言ったかどうかわからないけど、みんなが一斉にこちらを見て、「 こんにちはー 」と言った声をよく覚えている。
声も、服も表情も存在も、すごくカラフルで目を奪われました。
(うれしくて、あちこちじろじろ見ました。)
そこら中から、なにかをしたいと思っている女性たちの意志と意欲が放たれていました。
いいかもしれないと思った。
書きながら泣けてきたよ今……こわいよ自分。ここ外だよ。
・(やっぱり)外の世界がいかに男性社会かってこと。
・そのことにさらされて、慣らされてきたんだってこと。
そんなことあるわけがないし、あってたまるかと思ってたことだけど、やっぱりあったのだ。悔しいけど、そのことがこんなにこの一瞬でわかった。
ここにいる人たちの話を聞きたいし、一緒に話したいし、書きたいと思った。
教員時代、やらされるのもやらせるのも大嫌いでいつも全身で拒否を発信していたグループワークを、この私が初めてやりたいと思った。
意志と切実な思いのある人々と一緒に、お互いのことを話したりみんなで考えたりするのはなんていいだろう、ということがすぐに想像できたから。
ドアを開けた時の最初の風景を、私はきっと忘れないと思う。
自己紹介を聞いた。
お店を出したい人や詩を書いている人、絵本を出版したい人、音楽を通して世代を超えて地域のつながりを作りたい人、デザインや写真が得意な人などさまざま。
私は、カミングアウトの仕方に答えが出ないまま前に立った(これ今の課題っす)ので、それをそのまま言って、あとは切実に、「読者が欲しいです」と言ったら、どこからかすぐに「なるよ! 読者! なるなる!!」という声が聞こえた。
顔を上げると、他にもみんなうなずいてくれたり、にこにこしたりしている。
え、こんなにすぐにいいよって言ってくれるの?
こんなにみんなやさしいの? すごすぎ。
終わってから、みんなでごはんを食べに行った。
近くに座った人々とお話しする。
私は、人の話がきけるのがうれしい。
みんなやさしくて、配った小説の紙を、「読みますね」と言ってくれたり、
私の描いた変な絵や無理やり付けたペンネームも褒めてくれる。
褒めるのが上手ですごく申し訳ないのでそう言うと、
「ここは褒める場所や!」と言われる。
応援しあえばよくて、みんなそれぞれにどんどん発表していくのが大事、と教わる。
そっかーそうだよなあ。
隣で、ずっとたくさんほめてくれた方が、「ほんとにいいと思ってるから褒めてるんですよ~」とにこにこしながら言ってくれる。
隠れなくて、いいのかもしれない。
終わってから何日かたつ間に、何人かの方が私の書いた小説(と言い張る笑)の感想を送ってくれた。
すごくうれしい。やさしい言葉をたくさん書いてくれた。
ツイッターをフォローしてくれたり、メッセージをくれたりもする。
すごい!
反応を示していくって本当にありがたくて大事だと学んだ。私もまねしたい。
「世界文庫」で出会った海野あしたさんのブログです。
ポップでかわいい文章だなー。
たくさんの人とお話してる。
「文豪ガール」って言われた~
「かわいこちゃん」ってかわいい。
友達づくりの悩みもおんなじ……。
ちなみに上の私の文章中の励ましの声も、いっぱい、by海野さんです。
書きます~ ✎
かめちゃんとどうぶつ王国ピクニック☕🐢
週末のピクニックの話を。
神戸どうぶつ王国に行きました。
卒業生のかめちゃんと一緒です。
かめちゃんを待っているとき、三宮のホームで運命かも…と一人すごく盛り上がっていたのは(すぐに運命と思う病)これです。
ハシビロコウじゃ~ん
ハシビロコウといえばドラマ「anone」に出てきましたね。
ハリカがカノン君の病院を見つけた手がかりの鳥。カノン君が「ハシビロコウにいつもにらまれている」と言っていたそれは、缶コーヒーと一緒に映るハシビロコウの大きな広告看板だった。
オシャレすぎるんだよ~。
王国にはハシビロコウがいるんだ。
見たい。ぜひ見たい。
かめちゃんはかわいくて、「駅のホームに集合」がピンときてなくて右往左往し、「さすが積年の自転車生活🚴(今は違います)」とからかっていたらひたすら謝っていた。
遅刻も、分刻みの謝罪連絡も、「すすすすみませんっっっ」と言いながらにこにこ!と登場するところも彼女らしくて朝から大笑いした。
かわいすぎる~~。
王国は、すばらしき全天候型施設だった!(なんじゃそら。)
説明しよう。
つまり、 ほぼ屋内とか室内とか屋根付きとかで、太陽とか雨とか暑さとか寒さとか苦手で虚弱な私のような人にもやさしい施設なのです~。
日傘とか帽子とかの気分じゃなくて持っていかなかったくせにKUYOKUYOしてたのと、
最近じりじりと散歩的気候ではなくなってきたことにHARAHARAしてたところだったので、
やったーやったー。ありがとう全天候型。
全天候型ピクニックのはじまりだ!
高校では思ったことがなかったけど、
かめちゃんは、何年も前にアメリカでホームステイした時のホストシスターに似ていた。
ロズっていう名前の、当時9才だった女の子なんだけど。
動物が大好きで、新しい動物に出会うたびに熱狂してとろけていたところとかそっくりだった。
私の動物好きは二人に全然及ばないから、
目を輝かせて動物に走り寄った後、言葉にならないといった面持ちで見上げられると照れてしまって、うまく返せたかどうか。
ふさわしい言葉も持たず、人生も送ってこなかったことをひそかに恥じました。
ハシビロコウはすごい貫禄でアフリカの湿地に君臨していた。
ほぼ動かないから、枝とかぶったり変な所にいたりするといつまでも見えない。よりよく見える場所を探してうろうろする人間(わたし)なんか完全無視。
ミーハーな私はすっかり魅了され、簡単にとりこになりました。
お昼ごはんの話。
私は適当なコンビニおにぎりを買っていったのに対して、かめちゃんはなんと…
私の分もサンドイッチを作ってきてくれたよ~~👀‼️
そのうえ、温かい紅茶まで‼️
すごすぎる~。
おいしすぎる~。
気持ちがうれしすぎる~🐰
遅刻の理由はこれだったんだって。
なんてやさしくてかわいくて思いやり深い人なんだ。
かめちゃんは、
どうぶつ王国のことをいろいろと調べてきてくれたり、「お昼ごはんは各自で持っていきますか~? 」のメールとか、
事前の準備からちゃんとしている。
虚弱なくせに着の身着のままの私は「はいは~い」と言うだけ。
これだから、お友達(なのです。もはや。卒業したら友達。)と遊びにいくって楽しいよな~と思う。自分とは違うから、そういうところがおもしろい。
ごはんを食べながらいろんな話をした。
かめちゃんの大学のことや最近考えていること、大学に入って気付いたこと。
かめちゃんは、よく考えてよく悩むところが自分と似ていると言って、二年生の授業のときから共鳴してくれていた。
大学生になって、流されなさ(流されようにも流れていけない…同じ~ワカル~)に磨きがかかっていた。
悩みながらしっかりと決断するところが頼もしいよ。
私は、あの秋と冬に何があったか、今は何をしているかのお話。
絶対に話したかったのは、かめちゃんが私のオランダ旅行を「先生はオランダに絵の勉強に行った!」と勘違いして手紙に書いてくれたことがおかしくて当時は大笑いしていたけど、
今は突然絵にハマってきたから不思議! ということ。
そう言うと、かめちゃんは全然不思議そうじゃなくて、私が大笑いしていたことの方がむしろ不思議といった風で、
「だって先生の絵はすごくいいから、絵と文章をやればいいと思う。同級生の子たちもみんな、先生の絵のこと好きです!!」
と言うので本当に本当にびっくりする。
かめちゃんが、「自分と他人とは、見えていることが違うってことがあるんですねえ~☺️」
とにこにこしながら大人びて言うから、
そうかも…とすんなり呑みこんでしまった。
サンドイッチを食べ終わっておにぎりも1個ずつ食べて、紅茶を飲んで、柿ぴーとポテチを食べながら、ふたりですごくたくさん話をした。
周りは植物であふれていて、すぐそばのケージではいろんな種類のウサギがとび跳ねていた。
足りないものがなく満たされていて、いつまでも話していられるし、途中で休憩してもよかった。
とても自由だった。
それにしても私たちはまだ入国してすぐのウサギのエリアにいたから、少しだけ焦って歩くことにした。
「今日と明日だけはカピバラの誕生会をやるらしいんです~」
とかめちゃんが言うから、アクアバレーに見に行って、カピバラにも人にもすごくやさしいお兄さんにふたりとも恋に落ち、
ステキでしたね♥️
と言って移動したら同じお兄さんが熱帯の湿地でカミツキガメのえさやりを明るく爽やかにしていて、
熱帯の森ではうっかり道に落下したベニコンゴウインコを華麗に救い、
私たちをマルチにときめかせた。
(ベニコンゴウインコ。信じられない色の組み合わせだよ~)
その後もたくさんの動物を見て、また休憩した。
大学のカフェテリアみたいに、そこら中に気軽に座っておしゃべりできる場所があるのがいちばんの魅力かもかも~。
目を閉じたハシビロコウ。くちばしは、私のピンクのズボンと同じ柄でした。
しゃべったり歩いたり、同じものやちがうものを見て感動したり、やっぱりピクニックがサイコーなんだよね。
また行こうね~🌞
あそぶおとなの話
昨日マーキーさん(DJ)のラブレターの話*1を聴いたので、今日私も手紙を書きました。
(リスナーみんなが知ってるラブレターの話、そしてそれを何回も聞きたいと思ってるっていいですね~💌)
今日は文通友達に手紙を書きました。
あっという間に3枚書いて、
「俺のことにノー触れ!」
になりそうでしたが、ときどき相手のことを思い出して書いたのでいいかなと思っています。
最近、絵と俳句と短歌を書いている話をして、それには自分でも驚愕してることを書きました。
考えてみると、うれしいときやいらいらしたとき、好きなものに出会ったときにどうやら書きたくなるようでした。
飛鳥時代の人か子どもみたいだなあ。
つまりそれは、私にとって「子ども時代」以来の解放というか、自由というか、ゆるみの状態なのだと思っています。
数カ月前までの私は、本を読むか、飲むか🍺、文章を書きなぐるかしかなかったのですが、今は、それだけではないよくわからない(おもしろそうな)方法で、その言葉にならなさにさわっている。かんじです。
発表というか、こうして気軽に送れる場があるのも励みです。
子ども時代の再来=あそぶおとなですね。
マーキーさんはあそぶおとな代表。
~マーキーさんのピクニックゴルフの話。~
マーキーさんのゴルフはいつも、おむすび、音楽持参のピクニックゴルフ。
疲れたらカートで休憩して音楽きいたりおむすび食べるそうです。
私も、一緒に聴いていた友だちもこの話(とマーキーさん)が大好きで、
終わったあとも想像して幸せでした。
私の次のピクニックは今週末の予定!
晴れるといいな~🌞